第19回打合せ: 3月工程確認

三鷹&大阪の家族全員が揃って出席できた打合せはこの日が初めて。さすがに5人で訪問すると初音すまい研究所も狭い。しかし、私はこうして全員顔を揃えて打合せできる機会が持てたということが妙に嬉しかった。その喜びをひしと噛みしめていたのは私だけだろうか?

この日の打合せは上棟式を控えていたため時間は短かったが、その割に内容は濃かった気がする。
主な内容は工程確認、サッシについて、設備関連について。

3月は3/12(金) あたりまでが鉄骨工事、3/13(土) にシンダーコンクリート(※1)、そして同日から ALC基礎型枠(※2)、3/16(火) ALC基礎生コン打設(※3)、3/17(水) から3月一杯は ALCパネル取付作業(※4)と予定が組まれることになる。
私は ALCパネル取付作業前後に再上京ということに。

サッシについては別稿にて。
設備関連についても別稿で。

−初音すまい研究所、鷹匠、現場
−11:00〜16:30
−豊田さん、矢原さん、父、母、妹、妻、私
−工事工程計画表、打合せ記録

by m-louis : 11:00 | comments (0) | trackbacks (0)

2004年03月03日 (水)

仮設工事

040303_1458_kasetsu.jpg建設現場として最もイメージしやすいのがこの光景じゃないだろうか?
建方(※)後の構築物を取り囲むように丸い鉄パイプで足場が組まれ、それがシートで覆われている。なぜに建設現場でその印象が強いかといえば、それはその状態での工事期間が全工程において一番長いからだろう。あの白い膜のシートは周囲環境への安全配慮はもとより騒音対策にもなるらしい。その中で今後の内外構工事のほとんどが行われる。
040303_1502_abe.jpgシートには阿部建築の名前とマークが記され、母はその明朝体のロゴが好きらしい。私もABEと丸まった感じに構成されたマークを気に入っている。

さて、そうしたシートで囲うまでの工事を仮設工事または仮設足場工事(※1)と言い、その仕事にあたるのが鳶工=鳶職(※2)の人たちである。実は彼らとは1月初めの根切り工事でも顔を合わせており、この日は嬉しいことにシートの張られた敷地の中に入れさせてくれた。

仮設工事は前日から始まっており、すでに枠組足場は組まれ、この日の午後には大方シートを張り終えた感じだった。というか、私が到着した時はシートが足りなくなったとかでシートの補給を待っているところだったのだが(^^;)、とりあえず作業中の様子をデジカメで撮りたかったので、近所のデニーズで到着を待ち(デニーズの店内からうちの敷地は見えるのである)、改めて出動。そこで鳶の棟梁の「入っていいよ」の一言があったのである。いや〜、待っててヨカッタ♪

040303_1542_wall.jpg基礎工事でコンクリートが敷かれた後の敷地に足を踏み入れたのはこのときが初めてである。
これまで土だったところがコンクリートになっているというのは、考えようによってはトンでもないことで(ある種の侵犯行為と言えないだろうか?)、しかしまあ、それが鉄骨の支えとなり、1階床面の下地ともなるのだ。まだ壁が張り巡らされたわけではないので、建物内部に立っても土が見えなくなった訳ではない。それでもやはりここまで計画し作り上げて来たものの内部に足を踏み込むと気持ちは昂揚するものだ。見えないはずの壁がその気がなくとも想像上で立ち上がる。040303_1541_tobi.jpg1階天井は外から見ていたときには低く感じられて心配していたのだが、中に入るとそんな心配も無用だったことがわかった。お寺側小階段付近に立ち『壁畫に集ふ』が展示された状態を想像する。現状だと収納・トイレ壁がなく余裕もあるが、それが立ち上がるとちょっと窮屈になってしまうか? 豊田さんは壁だけ張られると狭く感じられるが、天井や床も入るとその比率が全体で縮まるのでさほど窮屈さは感じなくなると言われていたが、そればかりは実際に体感してみないことにはわからない。

敷地内で撮影している間に鳶さんたちは鉄骨の梁・柱を軽々飛び移ってシートをほとんど張り終えてしまった。残すはタロップとお寺側のみといったところで、私は退散。

by m-louis : 14:28 | comments (0) | trackbacks (0)

2004年02月29日 (日)

建方見学 - 裏手にまわって

敷地の裏側をまわる前にそういえば敷地北西側にお住まいの永松さんご夫婦と会った。
地鎮祭時のご挨拶ではご不在だったので、改めて建築家が変わった旨を話して、豊田さんを紹介。といってもお隣の柏山さんとは親子関係なんで話はすでに行き渡っていた。
永松邸はうちの建物でほとんどが影に入ってしまうものの、好意的に完成を見まもってくれているようだ。ただ、現場付近に昼食後のものと思われるゴミが散らかってることを指摘されてしまい(^^;)、それに関しては豊田さんがしっかり伝えときますとのこと。

040229_1017_tatekata.jpgさて裏側。
柏山邸の横の細い路地を入って、まずは柏山邸と永松邸の間からどのように見えるかを確認。
続いて、浅見邸の駐車場からも見てみようとしたが、そこからは我々の背の高さでは何も見ることができなかった。
道をしばし奥に入っていくと途中からタラップにかかる屋根の部分だけが見えてくる。その後またしばらく見えなくなって、ぐるっとまわって法蔵院のあたりまで来るとちらっとタラップ屋根が見える。040229_1028_tatekata.jpgしっかり見るには法蔵院の中のお墓のあるところまで行かないとって感じか? しかし、我々がタラップを上り下りしたり、滑車を使って荷物の上げ下げをしてる様子はおそらくそこからは丸見えで、案外お参りしてる人からは何やってるんだ!アレ?と気にならずにはいられなくなってしまう雰囲気かもしれない。そういえば墓場からは母の部屋の上部あたりまでが見えるということは母の部屋からも墓場は見えるということか?(^^;)

040229_1041_tatekata.jpg一乗寺の東側を抜け、今度は言問通り沿いのセブンイレブンやルネ上野桜木のある方へ。
こちらからの見え具合は実質正面よりもこの角度から見た面がファサードと言いたくなるくらい全体像がよく見える。正面は言問通りが狭くて引いて見るというほどの距離が取れないし、言問通りの谷中六丁目交差点が若干折れているので、東からの視界が大きく開けているのだ。それは言い換えれば、うちの2階バルコニーや3階両親の部屋からの見晴らしが良いということを示してくれる。
しかし、こちらから見ても何よりも目立つのはタラップだ。本当にタラップで何かやってるとどこからも丸見えだと思って間違いない。とはいえ、このタラップのおかげで間違いなくファサードが無理なく表情を持ってくれたし、第一、豊田案以前の一乗寺の壁と平行して2、3階まで立ち上がる案になっていたとしたら、相当に重苦しい印象を与えてしまっただろう。豊田案の大胆さもさることながら、案外それをあっさり受け容れた我が家の判断力もこの件に関してのみはあながち捨てたもんじゃないなと思う。

まだ完全に確定していないサッシュの色の取り合いについても話し合う。
お寺側にシャイングレーのサッシュとその色に近い感じのガルバリウムの波板鋼板を組み合わせることは確定しているが、果たして正面を黒のサッシュにしてよいものなのかどうか? まずお寺側と正面でサッシュの色が違ってしまうことを豊田さんは気にしておられ、私はその場では言わなかったが黒サッシュとALCパネルの白吹付が武家屋敷のような雰囲気になってしまいはしないか?という心配が多少はある。無難なのはすべてをシャイングレーのサッシュにしてしまうことだろうが、その場合、シャイングレーが遠くから見て光に当たったときにどう見えるかが問題だ。シルバー系のように白く飛んでしまうと、最近小ざっぱり系若手建築家の間でありがちな如何にもな建築で終わってしまう。もちろん古き良き近代建築には白壁+黒サッシュの取り合わせは多く見られるが、今回の場合の黒の利用は若干挑戦といった意味合いが強くなるんじゃないか?(外したときが悲惨)と思う。

by m-louis : 10:17 | comments (0) | trackbacks (0)

建方見学

夜行バスは予定通り新宿朝6時着。ひとまず歌舞伎町向かいのラーメン屋で腹拵えして、山手線をぐるっと外回りで今回初めて鶯谷下車で敷地まで歩いてみた。で、南口側から出てしまったんだが、どうやら北口の方が多少は近かったようだ。しかし、どっちにしたところで鶯谷で降りるなら、上野か日暮里から行った方がいい。直線距離では一番近いはずだが、かなり迂回しないとならないのよね。

040229_0744_tatekata.jpgさて、すでに完了してしまった建方工事。
7:45頃に現地到着したが、やはり今日の工事はもうないようだ。今回バスで行くことにしたのも、工事が早朝から始まるので、前日三鷹に来ておいて翌朝谷中まで出向くよりも、到着した足でそのまま現場に向かった方が効率的且つ確実だと思われたからだ。しかし、その思いつきも虚しく終わってしまった。
ただ、工事中でなかったおかげで写真は撮りたいようにじっくり撮れたとも言える。昨夕、工事中に撮影した母は迷惑がられてる感じがあってなかなか思うように写真が撮れなかったそうだ。とはいえ、前日に来てれば両日にわたって撮ることもできたわけで、やっぱり大いに悔やまれることには変わりない。とまあ、しかし、恨み節もこの辺にしとこう(^^;)

朝7:45の時点では敷地にも鉄骨にも朝日は全く差していなかった。春分までもうわずかだが、ルネ上野桜木(※1)の影に完全に入ってしまっている。雲の多い日だったので、厳密なことは言えないが、初めて陽光が建物全体に差し込んだのは8:40をまわったあたりでだった。確かその頃アランさんが自転車で前を通られ、しばし談笑する。

040229_0857_tatekata.jpg9:00ちょっと前に向かいのマンションの住人が出て来たので、非常階段をあがらせてくれないかお願いすると、前にも一度来られましたよね?とちょうど一年前の1月頃に声を掛けてあがらせてもらった6階の住人の若いお兄さんだった。これから出掛けるときだというのに、わざわざ6階まで付いてきてくれて大感謝!である(ま、心おきなく写真を撮るわけには行かなくなってしまったが)。騒音のことなども聞いてみる。6階なのでちょっと参考にはならないかもしれないが、夜間は交通量もそれほど多くなく、車の騒音で眠れないと感じたことは一度もないとのこと。ただ、今、うちがやってるのがまさにそうだけど、聞き慣れない工事音とかはやっぱりうるさく感じてしまうらしい。交通量の多い昼間は気にすればうるさいと感じるかもしれないけど、気にすること自体がほとんどないと、まあ、それは当たり前と言えば当たり前の話。あと、写真を撮って何かするんですか?と聞かれたので、Web で最近レポート始めた旨、伝えた。URL も教えておくんだったな。というか、名刺でも作ってみてもいいかもしれない。

9:30過ぎに豊田さん登場。前夜、すでに見られてるとのことだったが、明るいところで再確認。
と、ここまでまったく書いてなかったが、私の方からは想像してたよりも遙かに建物の高さが低く(特に1階)、基礎レベルが両隣よりかなり低い設定になってる(※2)ことに気づくまでは、ひょっとして寸法間違っちゃったんじゃないか?と不安になってたってことを話したり、あとは柏山さん側の鉄骨柱の垂直線が微妙に右に傾き気味なんじゃないか?と話したり。
それに対しての豊田さんの返答はおそらく北西側の鉄骨柱とパース上で重なるので、そう錯覚して見えるのでは?とのこと。豊田さんの昨晩見た感想はむしろ思ってた以上に大きいなという印象だったようだ。確かに近寄ってみるとパーゴラの位置も意外に高くて、大きいといえば大きくも見える。これが道路を挟んで見てしまうと両隣との関係から急に丈が低いように見えてしまうわけであるが。。

040229_0921_tatekata.jpg窓位置の重なり具合は、妹の部屋の西側窓とキッチン西側窓がだいぶ被ってしまった感じだ(これは当初のイメージではレベル差を考えてなかったので、重ならないと思っていた)。バスの窓は重ならない訳ではないが、上から見下ろすような感じなんで心配はなさそう。キッチン北側窓もちょうど面一つズレてくれた恰好だ。

豊田さんの気になる点としては、床材基礎として使われる波板鉄板がすでに上に載せられてしまっていて、その荷重で仮止めした鉄骨が微妙にズレるんじゃないかと心配されていた。まあ、搬入がしづらいことからやむを得ない処置なのではあろうが。。

その後、周囲をぐるっとまわって背後からの見え方など話し合ったが、長くなってるので別稿に譲る。

by m-louis : 07:44 | comments (0) | trackbacks (0)

2004年02月19日 (木)

現地ノイズ調査

1Fギャラリー車庫側ガラス戸をどうするかの問題で、実際に現場や近所のコンビニ・薬局に入ってどのくらいのノイズがあるか確かめてみましょうという提案が豊田さんからあり、多少元気になってきている母に出向いてもらった(音の問題はそこでピアノのレッスンをするかもしれない母にとってこそが一番重要なのだ)。

040219_map.gifまず向かいの道路は図のように谷中六丁目の信号のところで車が減速するため、うちの敷地にとって手前の車線の方が心持ち車の騒音が少なかったのはラッキーな話であった。しかし、いずれにしても言問通りの車の往来が激しいことに変わりはなく、エンジンを吹かす音などはきっと防ぎようがないにちがいない。

向かいの薬局はまさしく車が加速する箇所に位置するゆえ、店内に入ってもかなりの騒音は感じられたとか。サッシュも昔のものが使われているらしい。それではなかなかうちと比較してという判断はしづらい。
セブンイレブンも同一車線とはいえ、信号の手前と先とでは対比しづらいところではあるが、かなり頑丈なサッシュが入っていて、店内の奥の方にいればほとんど外の騒音は気にならなかったらしい。ただ、逆に店内のBGMがうるさくてそれが判断を曇らせていたところもあったようだ。
その後、セブンイレブンのさらに先の喜久月という和菓子屋にも入ってみたらしいが、そこもサッシュがあまり本格的でないのが使われていて、参考にはならなかったようだ。

さて結論だが、その後に初音すまい研究所で話し合った結果によると、こちらが提案していたスペーシア(※1)の利用は確かに騒音はうるさいがそこまでガラスの質を高めるのはちょっとコスト的に見て勿体ないのでは?という話になったらしい。ガラスの質を高めるということはそれに見合うだけのものにサッシュのレベルもあげないとならないし、加えて光庭側の大きなガラス戸も全体のバランスにあわせてランクをあげていかなければならなくなってしまう。
そもそも最近のサッシュはふつうの一枚ガラスのものでも遮音性能はかなり高いらしく、たとえばエアタイト仕様にしてもしなくても騒音指数はほぼ変わらないらしいのである。あと、これは母が OZONE で聞いてきた話だが、車の騒音という面で見た場合にはペアガラスよりも一枚ガラスの方が遮音性能が高いというのである。それ以外の音の例は母が聞いてきた話だからわからないが、ともかく当初の計画通り、一枚ガラスで一ランク上のサッシュを使い、どうしてもうるさいという場合には後からスペーシアを入れたらどうだろう?というところで話は落ち着いた。

と結局たっぷり打合せといってもいいくらいの話をしてきたみたいで、病み上がりとまで行けてない母ゆえ、帰ってきてからどっと疲れてしまったらしい。なんせ病んでなくても打合せは疲れますからね。おつかれさまです。

−現場、薬局、セブンイレブン、喜久月、初音すまい研究所
−15:00〜18:30
−豊田さん、矢原さん、母

by m-louis : 15:48 | comments (0) | trackbacks (1)

2004年02月03日 (火)

第18回打合せ: ファサードの色調

第18回打合せのところでも書いたようにまず今回の打合せの席で豊田さんからこれまでの黄色ベースの暖かいイメージから白ベースで黒サッシというちょっと緊張感のある色調に建物のイメージをがらりと変えたいという意向があることを伝えられる。

040203_compare.jpg実は豊田案の図面と模型を初めて見せられたとき、まあ、模型がスチレン色で白かったせいもあるかもしれないけど、漠然とこの形なら色のこと深く考えなくても充分イケる!つまり白で持ってってもしっかり個性の発揮できる器になるだろうという安堵感が第一印象としてあった(大袈裟に言えば肩の荷が下りたような気分にさえなったものだ)。
しかし、先月、豊田さんから黄色で塗り絵した図面を見せられたりして、無難に白に落とさないで考えて行くのもそれはそれで面白い考え方だと成り行きを見まもっていた(黄色はキスケの色だから好きだしね)のだが、実際問題、予定している吹付材のサンプル色に満足できそうな黄色系統色が見つからなかったのと、あったとしても一乗寺の隣という立地で暖色系の家が建つと少し場違いにほのぼのしすぎるのではないか?(田園みたいなところにぽつんと佇む家ならいいけれど)と思われるようにもなったらしく、そのときサンプルで取り寄せていたほんのり蒼味掛かった白色(フッコー FMX-101)をベースにする方向に考え直されたらしい。

吹付材の色見本を現場に持って行って、エントランス軒下に張る杉縁甲板やガルバリウム鋼板の色と組み合わせて見ていくと、確かにその白(FMX-101)がスキッとした透明度を持っており、単純に風景に馴染むというよりは、それら3色が微妙な緊張度で干渉し合いながらもふわっと浮き上がる感じでちょっと不可思議な印象を与える。父はサンプルを単体で見ていた当初はそれより少しクリーム色掛かった白(FMX-103)を好んでいたが、組み合わせると FMX-101 の方がよいと豊田さんの考えに賛同。私もほぼ同意見。帰宅後、経緯報告してから判断を仰いだ母も同意見だったが、どうせなら何の説明もなしにどれが好みか聞いてみるんだった。

040203_model.jpg事務所に戻ってからエントランス部のみの 1:10 の模型を見せてもらう。
先の3色に、さらに黒い玄関扉と搬入口のサッシの色が入ってくるとまただいぶ印象が違う。FMX-101 の色味が単純に白とは言い難い色をしているので、スチレン色と組み合わさった黒色では逆にイメージが捉えにくい。それとパーゴラの檜も紙でできてるので、これが木の色だったらばまただいぶ印象も違っただろう。

それから玄関ドアをこの模型のように重たく黒でどっしりさせた場合、取っ手部分は考えようによってはデザイナーに発注するような、すこし変わったものを持ってきて、アクセントを持たせてもいいのではないか?とのこと。まあ、確かに黒でずっしりだけだとちょっと人を寄せ付けない入口になってしまうかもしれない。しかし、こういう話の流れになってくると途端に「じゃ、取っ手だけDIYしたいです!」というセリフが喉元から出掛かってしまう。何とか自制したが、もしそれが木でもOKなら、総領の義父と作りたいものだ。

豊田さんとしては1920年代の近代建築的イメージになってきてしまったかも?と、具体例としてル・コルビュジエのシュタイン邸を挙げておられた。

第1回現場見学

040203_reinforce.jpg臨時打合せ翌日の工事見学を除くと地鎮祭が行われてからの公式的な現場見学は今回が1回目となる。現場は小雨がぱらついて予定されていた配筋調整の工事も小休止の様子。

豊田さんからは配筋調整の必要な箇所の説明、また配筋されて朧気ながら見えてきた建物のスケール感(結構大きいですよと言われて父は首を傾げていたが)の話など聞く。
正直、現在の私はこのスケールに対して大きいか小さいかの判断は持てない。とりあえず現場では約1ヶ月弱お預けとなっていた敷地の、というか工事過程の一場面をデジカメの静止画+動画で撮りまくった。

第18回打合せ: 白い家

040203_planbw.jpg工事が本格始動してからは毎週火曜に行われている定例会に併せ、打合せも月1ペースで火曜に行うこととなったのだが、先月末あたりから母が声帯炎を患い、当初予定の1/27(火)から1週遅らせても快復しなかったのでこの日に行うこととなった。

主な打合せ内容は工事状況の説明(※1)、今後のスケジュール(※2)、検案・検討事項の確認(※3)、母からの質問(※4)といったところだが、大きな変化としては先月提示されたファサードの色彩イメージががらりと変わったということが第一にあげられる。

黄色ベースだったのが、白ベースに黒サッシという具合に豊田さんの考え方は移行してました。
取り寄せた吹付サンプルを見せてもらったり、現場にサンプルを持ち込んでエントランス軒下に張る杉縁甲板やガルバリウム鋼板の色とも組み合わせて考えてみたり。ファサードの色彩イメージについては別稿にて。

また、近所にアトリエを構える日本画家のアラン・ウェストさん宅を訪問し、照明についてのアドバイスをいろいろ伺ったけど、それに関しても別稿にて。

−初音すまい研究所、現場、アランさんのアトリエ
−14:00〜20:00
−山本さん、豊田さん、矢原さん、父、私(+ゲスト:アランさん)
−契約書、意匠・設備図面、構造図面(以上、綴じ本)、管理報告ファイル、工事工程計画表、打合せ記録
=トイレットペーパーホルダー、タオルかけ、MO

2004年01月09日 (金)

臨時会談: 黄色い家

地鎮祭から一月以上空いてることと、前回打合せに私が出席できなかったことから、本格工事がスタートする前日、豊田さんと個人的にお話しする機会を持たせてもらった。
しかし、臨時会談とはいえ、内容的にはかなり濃いものだったといえるかもしれない。まあ、二人が私の家族の存在に気を取られず建築のことをあれこれ話せたせいもあったが、この席で初めて建物の色調が提示されたことが何よりも大きいだろう。

040109_yellow.jpg豊田さんとしては生き抜き半分、色鉛筆を使ってお絵描きしてみました〜というような言い方をされていたが、ズバリ黄色で来た!というのは意外であると同時に、豊田さんならばあり得ない話でもないなという感じではあった。黄色い家という考え方は家作りが始まって、まだ豊田さんと出会う以前に計画されていた貫通案(※1)というプランのときに私と妻の間だけでイメージされていたことである。我々夫婦は殊の外、黄色という色に執着が強い(※2)のだが、だからと言って即座に好みの色を外観色に使いたいと言い出すほど建築をナメてはいない(笑) しかし、その貫通案においてはそのプランのヴィジョンと結びつく要素が黄色にあった。それは至って個人的動機によるものだが、私が初めて公に出した作品(※3)が全面黄色で覆われた箱型の作品で、箱の中央には思いっきり貫通孔が空いていたのである。だからそのプランを見るまで黄色い家ということは考えもしなかったが、ふと自分の作品との呼応ぶりから黄色い家も悪くないと思うようになり、そのことを妻に告げると、当時谷中の家作りに私が関わること自体がストレスとなっていた妻にも急に明るい兆しのようなものが見え始めてきて、それはそれで希望を与えてくれる色となっていたのである。もっともその色のことは当時の建築家たちに伝える前にそのプラン自体が頓挫してしまったが。。

その後、黄色い家のことはプランが変わって全く考えなくなっていたが、ここに来ての復活には何とも不思議な因縁みたいなものを感じさせられた。それと豊田さんならばあり得ない話でもないと感じたのは、あの立地条件に加え、何となく和風仕立てになってきているファサードにあって、黄色を使うというのは相当な挑戦心がないとできないことだと思ったからである。それは、これまでの取り組みの最中に幾度か豊田さんのその風貌からはちょっと想像できないようなマッチョ的(=良い意味で地中海のヒト的)とでも言うべき大胆なデザイン手腕を見せられてきているので、こうした挑戦も納得というか、任せてみたい気分になったのである。もちろん両親にでもわかりやすい説明をしてくれることや事業に対する誠実な対応にも信頼を置いているが、私が豊田さんという建築家と接して一番魅力を感じているのはこのパッと見の穏やかさに隠れた豪傑なところなのかもしれない。そういえば、ジュゼッペ・テラーニ(※4)が好きだって言ってたもんな(笑)

この日、豊田さんとは少しこれまでの経緯を振り返りながら互いの労をねぎらった。この計画の最大のミソは諸々要素を思い切り切り捨てたことによって出て来た2階のバルコニースペースにある。バルコニーに出て一乗寺やA見邸の緑を背に感じながら自分の家を見上げるとタラップの先には大きな空が広がっている。その空はこの上なく贅沢な我が家の一部として感じられるにちがいない。そんな話をしていたら、思わず涙腺が弛みそうになってしまったが、豊田さんも心なしか涙目になってたのは気のせいか?

−初音すまい研究所
−15:00〜18:30
−豊田さん、矢原さん、私
−ファサードのイメージ図、工事工程計画表、打合せ記録

2003年12月02日 (火)

地鎮祭

地鎮祭

地鎮祭(※1) の日取りは六曜との関係から考えると大安か友引の日が一般的とされているらしい。だが、うちでは私の上京日程や工期のことなどあって 12/2(火) の先勝の日に行われることになった。地鎮祭を行う上で先勝は可もなく不可もなくといったところらしいが、そもそも私個人は知らなければ知らないまま六曜をやり過ごせる人間。豊田さんもどちらかというとそういう人なのだが、しかし、この計画は私一人でやれるものではなく、多くの人が関わり、その中にはそれを気にする人もいることだろう。そういう意味では地鎮祭以上に上棟式において日取りのことは気を遣った方がよいように思われる。地鎮祭は家族と工務店・建築家だけだが、上棟式にはいろんな職種の職人さんも見えるのだ。

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