2004年10月25日 (月)
一乗寺(※) に続き、A見邸でも境界塀の相談。こちらは第31回打合せ: 光庭(※) でも書いたように、現在A見邸の方で建てられたブロック塀に板塀を取り付けたいという話。
まあ、こちらの意図するところはこちらが話さぬうちにA見さんの方から言ってくれた。つまり「うちの塀があまり見栄えよくないから、それを覆っちゃいたいってわけですね!」と。。ある意味単刀直入には言いづらいことだったので、すぐに察して自ら切り出してくれたことは大助かりだったが、しかし、それとは別の予期せぬところで1点、注文を付けられてしまったのである。
それはこの絵の板塀のところをご覧になるとわかりやすいと思うが、豊田さんが想定していた風通しと目隠し機能を持った上部庇についてである。A見さん曰く「うちはお宅さんの家が出来たことで相当の日照権を奪われてしまった。今では10時くらいまでしかまともに日が入らない。だからほんのわずかな日差しでも遮るようなものは避けたい。よってうちが建てたブロックより飛び出るようなものは一切付けないでほしい。それ以下であればブロックが壊れないものであるなら何を付けてもらっても構わない」というような主旨で、つまり塀に近いあたりの土盛りがかなり高くなっていて目隠しにしようと配慮のつもりで取り付けていた庇が不要と言われてしまったのである。もちろんその庇は機能的問題だけでなく、意匠上の要素もあったわけだが。。で、とりあえずその場には母と私と矢原さんしか居なかったため、矢原さんの判断でその条件でこちらも話を呑むことになった。翌日豊田さんはもし自分がその場に居合わせていたら一悶着起きてたかもしれないからかえって居なくてよかったかもしれないと言われたのだが(笑) 豊田さんにとってはうちがどれほど計画初期段階でA見邸の日照の問題に配慮したか理解してもらえてなかったことが殊のほか残念だったようだ。
ところでA見邸ではもう一つ話しておかなければならないことがあった。それは数日前に母が洗濯物をバルコニーで干しているときに発見したものなのだが、A見邸の柿の木に直径20cm前後のスズメバチの巣があったのだ。最近、柿の葉が落ちるようになって母は気づいたんだとか。そのことを私のデジカメ画像も交えて話すとA見さんはまったく知らなかったようだが、しかし、それについてはすぐに業者に頼んで一番良い方法を検討してもらいますと即座に対応を約束してくれた。ただ、スズメバチの巣自体が5mくらいの高さのところにあるため、A見邸の庭下からはまったくそれが見えないらしく、翌日、できれば業者に電話する前に確認させてほしいということで、ちょうどうちのバルコニーに干していた傘がA見邸庭に飛んでしまって連絡したついでに我が家を訪問された。谷中に越してきて、我が家に初めて足を踏み入れられたのがA見さんということになるんだろうか。
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第31回打合せ: 光庭(※) でも書いたように、一乗寺の塀を蔦で覆うプランで話は進んでいるので、その了解を得るため一乗寺へ。
もちろん第一目的はその承諾を得ることだが、今回、久々に座敷に上がらせていただき、初めて挨拶に伺ったとき以来の中庭にお目に掛かることできた。一乗寺の中庭は外から見えないのが本当に勿体ないくらい素晴らしくて、出来れば今回また見れないものかな〜とひそかに思っていたのだ。
目的の話はすぐ済んだ。郵便局から帰って来られた住職さんはもう図面を見るまでもなく腰を下ろす間にOKですよの二つ返事で、一応の条件として、塀を傷めないこと、蔦が塀を乗り越えないことを挙げられたが、それらはうちの方でも当然の注意事項として考えていたことだ。で、実際に図面を見ると、あれ? ここにこんなに広い庭作れましたっけ?と塀問題よりも我が家の光庭用敷地の方に関心の的は移ってしまう。いや〜、この図面で見ると妙に立派な庭に見えてしまうんですよ〜などとこちらも冗談交じりに受け答えして、和んだひとときを過ごすことができた。しかし、まあ、豊田さんの光庭の絵見るとみんな立派な庭だと錯覚しますな(笑)
話を終えて腰をあげるときに一乗寺の中庭の素晴らしさを母と共に口にすると、ゆっくりご覧になってってくださいと回廊に出るのを薦め、お茶まで出していただけた。矢原さんも一乗寺の中庭は初めてとあって「こんなになってたのか〜」と驚きの表情。30平米は悠にありそうな正方形の苔庭に3つの灯籠、庭石、手水鉢、蛙がバランスよく配され、飛び石伝いにそれらの間を縫うことができる。植栽も高木から低木まで多すぎず少なすぎず手入れが行き届き、無論うちでは真似出来そうもないプロの仕事。豊田さんにも見せたかった。庭だけでなく、堂内も障子、襖、天井、欄間、他様々なところに目を見張る意匠が懲らされている。さすがは1573-91年創建のお寺なだけのことはある。昔はお化け松が植わってたなんて話もあるらしいが。。
それからもう一つ我々の目に留まったのが、平成10年(1998年)に撮影された一乗寺の航空写真。我々は自分たちの土地が更地になってからの状態しか知らなかったが、それ以前の様子をここで(しかも真上から)拝めることになるとは。。飾られていた写真がガラスの額に入って暗いところにあったので、ちゃんと撮れてないが一応デジカメで撮った画像を右にアップしておく。画面の一部コントラストが極端に高められてるところがうちの敷地。血縁関係のない2世帯がその敷地に住んでたという話の通り、非常に見にくいけど家は2軒ある(見にくいので右上に簡単に図示した)。ただ、謎なのは1軒がうちのバルコニースペースのところだけに立地しており(青線三角形)、道路に接する面がないのだ。その住人はどうやってその家を出入りしてたのだろうか。まあ、昔の長屋的住まい方なら他人の家の敷地を通って表に出るなんてことも珍しいことではなかったのかもしれないが。。
帰りしな、一乗寺の住職&奥さんに手招きされ、ここからお宅のタラップが見えるんですよ!と奥廊下の方までも案内された。確かにうちのタラップが屋根の間から見える。ということは、タラップからこの場所も見えるのか?と一瞬思ったが、見えているのがタラップの上層部だけなのでそこによじ登らなければこちらは見えないだろう。ちなみにその奥廊下のうちが見えるところには坪庭というのにぴったりなサイズの小庭があり、割と午後の陽が建物の反射でしっかり落ちてきて、光庭考(※) で書いた「光庭」の意味が字義通り使える、光と風の抜ける場所なのだろうなと思った。
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間に合わせのデッキパネルでエントリーした通り、間に合わせのつもりで設置したウッドデッキパネルだったが、どうも「間に合わせ」のものではなくなりそうな気配濃厚だ。
1週間ほど前に母から報告を受けていたのだが、防水工事完了間もなく、職人さんの大丈夫の声で敷いたウッドデッキパネルが防水塗膜剤に付着してしまっているようなのだ。母が掃除するため持ち上げようとしたら固まってしまって動かすことすらできなかったという。今回、私も試してみたが、相当無理にこじ上げない限り、取れそうにはない。というか、こじ上げたときには間違いなく塗膜剤がぺらっとデッキパネルの方にくっついてしまいそうである。
たぶんパネルの設置してある側は雨漏りには関係ない場所とは思うのだが、今回はこのままにしておくことにした。っていうか、永久設置になっちゃいそうですね、もう(^^;)
2004年10月19日 (火)
豊田さんから車寄せ部分のコンクリート舗装工事が終わった旨のメール。
ただ、西側隣地とのレベルの取り合いで段差が生じているので、ブロックかレンガを並べる必要があるとのこと。計画ではこの段差は生まれないはずだったが、排水管の深さの問題がありこのレベルで施工したとの報告を受けたらしい。豊田さんの想定と少し違っていたとか。。
また、隣地側も地面のレベルが少し高いので(隣地の土を勝手にさらう訳にはいかない)植栽意匠含めて検討が必要とのこと。
私個人としては隣地境界との段差以上に車の後輪の後ろに2つ突き出た某かのキャップらしきものの方が気になってしまった。
2004年10月16日 (土)
陰性植物としてオススメなものはないか義父に聞いてみたら、センリョウ・マンリョウはどうか?と庭のマンリョウを指さしながら薦めてくれた。センリョウ・マンリョウは共に日陰を好む低木で冬枯れすることなく、また赤い実をつけるので園芸的にも楽しめる植物だ。尤も庭のマンリョウはまだ実が赤くなっておらず、「マンリョウには白い実のつくものもあるんじゃ。確か寺にワシが種を蒔いたのがあったはずじゃけー」ということで隣の寺にも見に行ってみたのだが、そこにあったのは赤い実をつけたマンリョウだけで、今年のマンリョウは白い実をつけなかったようだ。
マンリョウは実を皮を剥いて地面に落としておいてやるとまた根を張って育つものらしい。「鳥が食うとそこでよく増えるんじゃ」──そう言いながら義父はマンリョウの実を幾つか毟って皮を剥いて落としていた。
ちなみにマンリョウとセンリョウは同じ赤い実を付け似ているが、品種は違う。マンリョウがヤブコウジ科でセンリョウはセンリョウ科。わかりやすい違いはマンリョウに較べてセンリョウは必ず四方に分かれた葉の中心に上を向いて実を付けることだ。確かマンリョウは三鷹金猊居でも鹿威しのそばにあった気がする。
□◇
共にマイペディアより
マンリョウ
ヤブコウジ科の常緑低木。本州中部〜九州の樹下にはえ、東南アジアにも広く分布。茎は緑色で分枝し高さ30〜60センチ。葉は互生し、長楕円形で縁には波状の鋸歯(キョシ)がある。夏、枝先に白色の小花を散房状に開く。花冠は杯形で5裂。果実は球形赤色で、冬も落ちないので観賞用として庭にも植えられる。江戸時代には多くの品種が作られたが、今はあまり作られない。
センリョウ
センリョウ科の常緑小低木。中部地方〜九州,東南アジアに分布。茎は少し枝分れして、高さ70センチ内外、節は隆起し、長楕円形の葉を対生する。夏、黄緑色の花が枝先に短い穂状につく。花被はなく、雄しべ1個。果実は球形、肉質で、冬に赤〜黄色に熟す。果実は観賞用、生花とする。名前はヤブコウジ科の⇒マンリョウに対してついたもの。
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2004年10月08日 (金)
赤瀬川原平著『我輩は施主である』文庫版124ページから始まる「中庭をめぐるウニドロ問題」の章。ここでは土地も決まり、間取りもあーだこーだしながら(それを赤瀬川氏はアメーバーや将棋に喩えるが)だいぶ見えてきた段階で、赤瀬川氏の奥さんから中庭がほしいという希望が出る。それには赤瀬川氏も積極的に賛同し、設計のF森教授に進言するのだがすぐさま却下されたのだそうである。少し長くなるが、そのときのやりとりをここに引用してみたい。
で中庭なんだけど、
「シロートの人はすぐ中庭が欲しいというけど、やめた方がいい」
F森教授にはすぐ却下された。
「え? だっていいじゃない、勝手な空間で。裸で日光浴もできるし。別にしないけど。何で駄目なの」
「中庭でも大きけりゃいいけど、どうせ小さいわけでしょう、中庭願望は。どうしてもじめついてくるんだよ。日本じゃやめた方がいい」
「でも日本家屋ではよくあるでしょう、中庭。坪庭というやつ」
「うん、だからあれはじめついてるじゃない。暗くて。写真で見ると良さそうに見えるけど、大変だよ、必ず後悔するから」
断言された。そうかなあ。
京都の町家などでよく坪庭がある。一坪の坪で、家の中の小さな庭。手水鉢に柄杓が置いてあったりして、苔むした庭石があったりして、緑の葉っぱがちょっと生えたりして、庭下駄が揃えてあったりして。
「だから苔むして、じめついてるでしょ」
「でも風情があるじゃない」
「それはね、写真では風情だけど、住んだら駄目だって」
「駄目?」
「後悔する」
建築史の人である。あらゆる建物を見てきている。その人にこうもいわれたら、やっぱり駄目なのか。
「だいたいイメージなんだよ。写真のイメージ。だから見た目にはいいけど、源門さん(赤瀬川氏)だって見てるだけで、実際に住んだことはないでしょう」
「うん」
たしかに坪庭付きの風情のある家になんて住んだことはない。でも路上観察のみんなで泊まった京都の旅館には、中庭があったじゃない。たしか二つもあったよ。
「だから旅館ていうのは、いわば写真のイメージでしょ。そりゃ一日か二日泊まるけど、自分で住むわけじゃない。一日か二日見るだけ」
「まぁ、そりゃたしかに」
「行った時だけ見るというのと、住むというのはぜんぜん違うんだよ。だって自分で掃除したり、維持して、管理する物件なんだよ」
「物件かぁ」
たしかにそれはわかる。旅行者の目と住民の目はどうしても違う。生活がかかってくる。そうすると見るだけの美学じゃなくて、機能性というのがぐーんと問題になってくる。といって機能だけで出来上がっているものも味気なくてつまんないんだけど。
諦めきれないでいると、F森教授が講義した。
日本家屋というのは物凄く贅沢なんだということ。座敷や床の間、濡れ縁、欄間、露地、茶室、木戸、とかいうのは、空間があってこそ生きるんだという。床の間とか濡れ縁とか、その物に限って見れば質素だけど、それが風情として生きてくるのはそれを囲む空間があってのことだという。
なるほど。
空間が贅沢でも何でもない時代には、日本家屋も質素な建物だったのかもしれない。でもいまみたいに空間そのものが贅沢になってしまうと、日本家屋の質素さをあらわすことが贅沢になってしまった。
「だからね、空間のゆとりのないところに日本家屋の物件だけ持ってくると、質素というより、貧相になるんだよ」
「うーん」
それはわかる。そうすると、
「あれだね、召使いとか『使用人』のいない日本人が、ルイヴィトンのバッグだけ持って見ても、かえって貧相に見えるというのと同じだね」
「そうそう」
いや別にルイヴィトンに他意はない。でもたしかに日本家屋の空間意識は、借景という言葉にもあらわれている。借りるわけで、借景という美学そのものは質素さからきているけれど、借景でこそ生きていた庭というのは、借りる景がなくなったこんにち、それごと全部造らなければいけないので、これは大変な贅沢である。
と以上、この章の余談であるウニドロ問題の話より前のところをほぼ全文引用する形になってしまったが、まあ、何にせよこのF森教授の頭からの中庭否定に思い起こさずにはいられないのが、光庭考(※) のエントリー後半でも書いた前任建築家MH氏との坪庭論議である。そちらのエントリーを読んでもらえればわかると思うが、閉塞空間に対する危惧、京都云々とかジメジメとか施主シロート対クロート建築家のやりとりはほとんどそっくりである。
これでMH氏から上記引用文赤字で示した建築家講義でもあれば、我々も坪庭願望から降りてしまっていたのかもしれない、、って、でも、どうだったろうな? 源門こと赤瀬川氏もこうした講義にもめげず食い下がって中庭を南面オープンにした半中庭案をF森教授から勝ち取っているのだ。それに我々の場合、引用文緑字で示してる箇所などF森教授に否定された中庭願望とは条件的に異なる面もあり、それはむしろ光庭採用積極策にシフトできるようにも思わずにはいられない。
うちの計画を初期段階から野次馬後見人として見てきたCT氏(このブログでも幾度かコメントしている)からは「建築を勉強して」きた建築家が「今回の、三鷹->谷中の条件にあってすら」光庭を「しりぞけた根拠については、たんに」自分「には想像できないという理由から積極的に興味がある」などとも言われているのだが、実際問題当時において赤瀬川氏がF森教授の講義を引き出したくらいにもっと踏み込んだ議論をすべきだったという反省は残る。私が聞き出せたのは否定項の代理として、ではMH氏が認める庭とは何か?(その答えはカラッと晴れた青空のもとでカーッとビールでも飲めるようなところというものであったが)というところまでであった。なぜ駄目なのかというもう一歩踏み込んだところを今からでも聞けるものならば聞いてみたいところだ。
ちなみに先の引用文緑字やCT氏の指摘にもあるように、私が光庭を希求した根拠は
・借景にしないとどう考えても勿体ないA見邸の庭がある
・住人がもともと庭と共に住むことに慣れている(三鷹金猊居がそうだった)
の2つで大局的なところは語り得ているだろう。まあ、1F応接室がギャラリー&ピアノ室ともなり、フツウの住宅よりかは見せ物としての光庭の効果も高いんだろうが、それはオマケといってもよい。
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2004年10月02日 (土)
一ヶ月住んでみてのエントリーにて母が希求していた2Fバルコニーのタラップ下に庇的機能を持ったものを取り付けられないか?という件だが、昨日ドイトで見つけた波板ポリカーボネートを本日ドイトに両親と車で出向いて買ってきたので、さっそくタラップ階段下側床面に敷いてみた。
ポリカの横幅が60cmしかなく、足りない分は縦幅の余り分で補っておいたが、果たしてどのくらいの雨避け効果があることやら? ちなみにポリカーボネートは透明タイプではなく、庇用と銘打たれた網入りタイプのものにした。この方が頑丈で踏んでもそう簡単には割れそうにない。
ところでドイトでは商品の店内加工はワンカット幾らという形で店員が行うのだが、このポリカーボネートに関しては対象商品に入ってないということで鋏を無料で貸してくれて隅の方で自分で切らせてくれた。カットしていかないと車に乗らないのだ。
コーナンだと全て道具無料貸出の店内 DIY なんですけどね。
2004年09月30日 (木)
いつ取り付けられたのか不明なのだが、屋上タラップの滑車用金具のエントリーで確定していたタラップ天井に滑車がぶら下がっているのを確認。ワイヤーは自分たちで購入しなければならない。が、3Fのタラップへ行くための通路が荷物で通るのもやっとの状態なので、当面それを使うこともなさそうだ。というか、これを実際に使うのは自分たちの代になってからのような気がする。しかし、どうも上から間近で見てると絞首刑の死刑台を想起してしまっていけない(^^;)
2004年09月28日 (火)
9月下旬17時過ぎ。まだ夕焼け空というほど赤くない。鴉が通り過ぎる。
光庭についてはこれまでも「光庭考」という形で幾度か自分自身の考え方や豊田さんとのメールのやりとりで考えられたことなどをブログ上でエントリーしてきたが、今回の打合せで豊田さんが描いた具体的な光庭イメージのスケッチを見せられ、「何とここまでやろうとしてられたのか〜、さすがは坪庭開拓団の団長さん!」と改めて思わずにはいられなくなってしまった。というか、こんだけの仕事して「基本的に植栽整備作業は団員による無償作業を理念として」いいのだろうか?という感じ(^^;) まあ、それはともかくまずはその具体案平面図を以下に(クリックで拡大可)。
正直言って私はここまでしっかりしたものは考えていなかった。
第31回打合せの打合せ記録(※) で「石垣で土留めをして、奥を少し高くする」とあるが、濡れ縁降りてまずは砂利敷、そして石で土留めして2段目は苔をメインに小植物を石のまわりに絡ませ、3段目に灯籠といった階段状の3段構成。こうした高低差を段階的に設けることでピアノ室からも灯籠が見えるようにした上で、もう一つの狙いはこの元々小さな空間をさらに浅く見せてしまうこと。そうすることで借景となるA見邸の樹木がぐんとこちらに引き寄せられ、云わばうちの庭と連続してるように見えてくる。
ただ、とはいえ、盛り土が高くなるとそれはこちらにはよくてもA見邸側からはそこに立たれれば塀越しに覗かれるという決して気分のよいものではなくなってしまう。そこで現在のブロック塀を覆う形で右図のような板塀を付けてやるというわけだ。塗装は一乗寺側室内壁面と同じオスモカラー。材も同じく杉板でよいのでは?とのこと。そして実際に張る板自体は背後のブロック塀と高さは揃えるがその上に簡易な庇みたいなものを幾本かの小柱の上に渡して載せる。その分の高さによって感覚的に覗かれてる意識は和らげられ、且つ軒下に隙間ができるので風通しを遮られたという印象も薄れる。この覆い塀の作成は発注でも自前制作でもいいけどと言われていたけど、出来ることなら DIY で行きたい(まあ、問題は私の時間だね)。
植栽は2つの点で面白いアイデアが出ている。私個人は漠然と灯籠の背後に少し丈のある樹木をなんて考えていたが、豊田さんはどちらかというと逆で、向かって右手一番手前に少し背のある笹類、そして左手端の狭くなったところに背後の塀が見えなくなるくらいの大きな植物を茂らせ、石垣2段目3段目灯籠回りの中央部をシダやフキ、ギボウシ等の小さな陰性植物たちで賑わせる考え方なのだ。そしてこの考え方が先のA見邸を如何様に借景とするかを基軸としたものであることはすぐに理解できたので、当然私の漠然とした考えなどはあっさりすっ飛んだ。
それともう一つの面白いアイデアが一乗寺側壁面をヘデラ等の蔦類で覆うという考えである。私個人は一乗寺の4mある壁をそれほど鬱陶しくは思っていないが、設計者として日常生活を営む者の視点に立ったときにはそれを遠ざけたいと思うものなのかもしれない。4mもあるだけにそこをヘデラが這うという絵も私には好ましく思え、即座に了解した。自邸を実験台としてタンポポ・ハウスを建てた藤森照信氏が本当にやりたいのは新宿副都心の都庁ツインビルを天辺まで蔦で這わせ、緑ですっぽり包むことだそうだが、そうした野蛮さには基本的に心が疼く私なのである。
ちなみに豊田さんが候補にあげてるヘデラってのはどちらかというと西洋系の植物で、それと灯籠や苔が組み合わさると奇妙な和洋混在状態になっていく可能性がある。でも、もともと1F室内も屏風『壁畫に集ふ』の主題も皆和洋混在。だから構いませんよね?と豊田さんは冗談めかして言われていたが、無論その方が歓迎である。
しかし、豊田さんの平面スケッチ見てるとなんだかとっても大きな立派な庭のように見えてきちゃうんだよね。実際にはホント坪庭というのがぴったりな程度の小庭なんですが、、一応、再度ここで上から見下ろして撮影した画像を左に掲載しておこう。
それとそうそう、「光庭考(※)」のエントリー最後で書いていた「なぜに豊田さんが<光庭>という言葉を使ったか」だが、特に深い企図があってのことではなかったようで、ただ、坪庭っていうと家の中にある庭のイメージだし、裏庭って言ってしまうとちょっと寂しいし、、ということで、光が落ちてくる庭ということでの<光庭>だったそうだ。
それと最後に今回アップしてるスケッチ画像だが、色の付いてる方の立面イメージ図については豊田さんが繰り返し「これは雑にスケッチしただけですので」と言われていたことを補足しておく。
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