2006年08月29日 (火)

三鷹金猊居のサンタの入口

上の画像は長らく私が PowerBook のデスクトップ用壁紙にしているものである。
CWVF≒臭突」のエントリーで、ちはるさんから「子供の頃はココからサンタさんが入ってくるのだと信じたものです」というコメントを受け、思い出したのが私も子供の頃、つまり三鷹金猊居在住時代に風呂場の煙突を見上げながら、首を傾けつつもそれでもサンタクロースを信じようとしていたことである。

三鷹金猊居は敷地内に風呂場が独立して存在する、それだけ聞くとかなり贅沢な家だった。しかし、田舎育ちの妻でさえ驚いたように、その独立風呂小屋ともいえる風呂場はなかなか年季が入っていて、戸・窓はガタガタのスカスカ、ある意味、覗きもし放題。冬場は冷たい風がピューピュー吹き込んでくるような、裸になったら即風呂に飛び込まないとやってられん!くらいのオンボロ風呂だったのである。

風呂は木桶でガスで沸かし、そのガスの換気口ということだったのだろうか? 煙突が付いていた。しかし、風呂を沸かしても煙が出たわけではないので、むしろ臭突に近いものだったと言えるのかもしれない。

小学校高学年になるくらいまで純粋培養の超無邪気少年だった私はサンタクロースの話も何の疑いもなく信じてしまうようなアホな子供だった。ただ、そんなサンタを信じつつもちょっとだけおかしいなとは思ってもいたのである。それはまず第一に煙突の穴が通気用の細い穴しかなくて、とても人が入れるような大きさではなかったこと。もう一つは風呂場が独立しているので、どうやって私の寝ていた母屋まで入ってきたのか?ということ。そういうプラグマティックな面だけは空想世界に対する無思考ぶりに対し、多少は冷静に考えようという側面を子供ながらに兼ね備えていたようである。

デスクトップの壁紙に冒頭の画像を選んだ理由は色相のバラツキが少なく、彩度抑えめで背景として目に鬱陶しくないというのが第一ではあったが、どこかこの煙突には何とも言い難い懐かしさのようなものがあり、それを無意識裡に選び、長く使い続けている理由にも繋がっているのだろう。そしてまたそれを無意識裡に日々見続けていることが私の必要以上の「CWVF≒臭突」への興味・関心にも繋がっているのかもしれない。
臭突を通れぬサンタの最大のプレゼントは「臭突」そのものだったのである。

【写真上】2002.10.07 09:33 三鷹金猊居・風呂場の煙突・モデル:ウスケ
【写真中】2002.10.03 10:53 三鷹金猊居・風呂場の浴室・モデル:ウスケ
【写真下】2002.10.14 05:36 三鷹金猊居解体日の早朝・風呂場の正面写真

by m-louis : 2006.08.29 03:03
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