ちなみに「ネオン広告意匠製作中」以外の面は右の2枚の写真からもわかるように「HITACHI」と「10月28日 通天閣開業50周年」という垂れ幕的シートが被され、もう一面は見てくるのを忘れた。そういえば、今まで1回も真下から東面は見たことないな。市立美術館くらいのところからは見たことあるんやけど。。
通天閣のオフィシャルサイトによれば「10月28日 通天閣開業50周年」の垂れ幕通り、それを記念してネオンの全面リニューアルを計画。本年7月1日から工事は始まり、10月27日に新たなネオンが点灯するということが「通天閣ネオンの全面的なリニューアル工事に着工」という同サイト内ニュースに書いてあった。
とまあ、ここまではタイトルの話。
ここから先はちょっとだけ冒頭にアップした写真=昔の通天閣のことを書いてみることにする。現在、通天閣のちょい南東にあるジャンジャン横丁もこれまた通りの北東部一面が開発工事中で、工事塀には通天閣の歴史を写真で見せるパネルが展示されている。あのジャンジャン横丁は正直あまり開発されて欲しくないが、ただ、その通天閣歴史パネル自体はかなり面白い。そんなパネル写真の中の一枚が冒頭の写真なのだが、見ての通り、現在の通天閣とは姿・形共にだいぶ違う。っていうか、どっちかというと、先程 moopee氏の塔運のことで引き合いに出したエッフェル塔の方がよっぽど近い。
で、それが実は「それもそのはず」なのである。まずこの通天閣写真は1956年に完成した現在の二代目通天閣ではなく、1912年、ルナパークと共に建設された64mというその当時東洋一の高さを誇っていた初代通天閣であり、そのデザインはパリのエッフェル塔と凱旋門を模したものとされているのである(この2つを組み合わせるという発想が何とも笑える)。ちなみに初代通天閣のことは通天閣オフィシャルサイトを見るよりも、Wikipedia「通天閣」の方が少しは詳しいだろう。
それにしてもエッフェル塔と凱旋門のドッキングもさることながら、ルナパークと通天閣がロープウェーで結ばれている(それも明治時代に)というのは凄いの一言に尽きる。これならばここが「新世界」と呼ばれても誰も違和感は持たないに違いない。
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