まだパラパラと写真を見ながら、藤森照信×岡崎乾二郎=対談「最後に残る建築は?」しか読んでないのだが、藤森建築撮り下ろしと称する写真、これがふだん建築雑誌等で見掛ける写真とちょっと違う。というか、ゴリモンさんが Photoshop 加工して最近よく遊んでられる「箱庭梅田」写真にそっくり? てゆーかゴリモンさん、それらの写真を指して"本城直季もどき"って書かれてたんだけど、『ザ・藤森照信』の撮影者とはまさしく本城直季氏ご当人だったのである。
高額な建築雑誌を買えない身分の藤森ファンの一人としては、建築雑誌でしか見られなかった藤森建築写真も所収されているということで、フツウの建築写真(写真としての作品色の強くない)を期待していたのだが、それはあくまでプチマニアックな個人的所有欲ということで本城直季氏の写真を採用した編集方針の是非についてはさておく。
しかし、私が興味深かったのは藤森×岡崎対談の中で、藤森氏が神長官守矢史料館の実物をオープン前に見たらそれが模型に見えてしまって恐怖を覚えたと告白していることである。この告白があって本城直季氏が撮影者として選ばれたのかはわからないが、この実物/模型についての話は建築論としても写真論としても面白く読めるので、以下に引用しておく。
本城直季氏がどのように撮影→現像してるのかは知らないので、あくまでここではゴリモンさんの「もどき」話に限定するが、彼は「箱庭梅田」写真を Photoshop で「コントランストを強めにして上でピンボケ加工する」ようにして作られている。その際の加工技術は「箱庭」の持っているリアリティに近づくべく費やされている。しかしながら考えるまでもなく、その「箱庭」のリアリティとは「箱庭」自体が現実の世界のリアリティを得ようとして得損ねた部分にこそ現れているのである。そしてその得損ねた部分を得るために必要とされる技術がコントラスト強めだったりピンボケだったり、、そして『ザ・藤森照信』の大半の写真がそんな感じで模型の複写なのだか、現物の複写なのだかよくわからないのである。
しかし、おそらく藤森氏はこの刷り上がった『ザ・藤森照信』を手にしてもその実物だか模型だかわからない建築写真に「ものすごい恐怖」を感じることはないだろうという気はする。それは本城直季氏の写真の質の問題とは無関係に、それが写真であること、そして藤森氏が建築家であることに起因すると見るのは純朴すぎるだろうか?
ゴリモンさんには是非この冊子を手にする前に、高過庵箱庭にも挑戦してもらいたい♪
【写真】『ザ・藤森照信』表紙をスキャンしたものの部分掲載(撮影:本城直季氏)
【追記】後でググってみたところ、本城氏の写真は「大判カメラを用い、アオリによって擬似的に浅い被写界深度を表現することによって、実際の風景をまるでミニチュアの接写であるかのように見せる手法が特徴的」(by はてな)とのことで、Photoshop 加工を積極的に取り入れた写真ではないようだ。「Tokyo Source: 012 本城直季(写真家)」で彼のプロフィールと自作品についてのインタビューが掲載されている。
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