2004年07月30日 (金)
帰阪直前(書籍の行方)
ダイニング |
書斎 |
無印の電動アシスト自転車
谷中に暮らして数日。その数日生活体験で最も必要と感じたアイテムが電動自転車。
何しろ、うちの敷地は言問通りでも一番高いところに位置し、何かと買い物に出掛けるスーパー赤札堂が一番低いところにあるのだ。「行きはヨイヨイ帰りはツライ」をこれほど地でいくところもないだろうというくらいにその坂道は辛い。
実際、何度行き掛けて躊躇したことだろう。
不忍池の睡蓮
ここ何日か上野に出向く度(※) に目にしていたのだが、日に日に睡蓮の花の数が増えて来ている。といっても睡蓮見るなら朝(花が咲く瞬間、カポッと音が鳴るらしい)と言われているように、見事に咲いてるなという状態のものは少なく、ほとんどがツボミか半枯れしたような花ばかりだ。祖父は睡蓮の花を好んで描いた(※1)が、この不忍池の睡蓮も間違えなくモデルになっていたはずだ。
タラップに屋根
タラップの天井に雨避けのための透明波板ポリカーボネートが取り付けられた。工事はお昼くらいまでやっていただろうか?
引越後の整理作業に忙しくて、実際に取り付けられたところは未確認のまま。というか一回目の引越が終わった翌朝に妻とあがって以降、1度も屋上にはあがっていない。日中あがると炎天下の日差しに足も肌も焦げちゃうのよね。
2004年07月29日 (木)
第30回打合せ: 増減見積修正報告
今回の打合せは谷中の家でということで。
どうにか打合せできるスペースを確保した和室のこたつテーブルで行われました。
主な内容は増減見積の修正報告ほか、未済工事、住み始めて気づいた点など。
−谷中M類栖宅
−15:00〜17:30
−山本さん、豊田さん、矢原さん、父、私
−建物使用に関する確認事項、打合せ記録
=建築写真撮影ネガ
車寄せスペースに砕石
工事が遅れる最大の要因となってしまったのが、一旦認可の下りていたはずの道路の切り下げ幅の問題が行政側の担当者が変わったか何だかで、再度仕切直しになってしまったことに拠る。アプローチ部分の外構工事は歩道と高さを揃えて作りたいので、どうしても切り下げ工事(実際には工事用に切り下げられているので、切り下げ部分を再び元に戻す作業となるのだが)の後でということになってしまうのだ。
2004年07月27日 (火)
間に合わせのデッキパネル
施主検査の日、特に深く考えもせずに豊田さんと裸足でバルコニーに降りたら、二人ともアッチッチーの飛び跳ね状態。どうやら午前中の日差しだけでも相当強烈にバルコニーの生コンクリートは過熱するらしい。
2004年07月21日 (水)
うえの夏まつり
妹のPCデスクが設計時に想定されていたものと違うものとなったために、電源コンセントの位置がデスクの側板で隠れるようになってしまった。というわけで、兄心とでもいうか、秋葉原までチャリで出向いて(15分程度かな?)スイッチ付きの5股電源プラグを買ってきたのだが、その行き帰りで目に留まったのが不忍池の弁天堂。ライティングされて屋台が出て、、ってこういう光景ってどうしても気が浮き立ってしまう。
結局、帰りに上野で夕食食べてから寄ったらもう屋台も仕舞い掛けていたのだが、どうやら「うえの夏まつり」ってのが行われていたようだ。実際に見てないので詳しくはわからないのだが、7/24(土) には夏まつりパレードと称して、各地のお祭りが寄せ集めパレードみたいのが行われていたみたいだね。残念ながらその日は三鷹仮住居の方の片づけで一杯一杯でした。
3Fトイレ水浸し事件
我が家のトイレは2F以外はコスト削減のためにウォシュレットだけ別メーカー(松下製)の割安商品を施主購入&取付するということにしていたのだが、母が不器用な父の取付作業に対して心配を口にし始めて、結局施主取付は主に父が使うということになってる3Fのみ。1Fは商品自体は施主支給ではあるが、取付工事は本工事期間中に別途費用を払って業者にやってもらっていた。
というわけで、3Fのみは父が自分でということでこの日の11時頃にそれを取り付けるためにやってきたのだが、まあ、何となく予想はできたんだけど、母の不安は見事的中。トイレ水浸し事件が勃発したのである。
2004年07月20日 (火)
光庭: 土均し
畳工事(※) の最中に阿部建築の山本さんも見え、光庭の土均しをされていた。土均しされたことによってA見邸のブロック塀はちょうど男性平均身長くらいの高さになった感じだろうか。
父が濡れ縁がないと1F階段通路から降りるにはちょっと怖い高さだと言っていたが、これ以上土を盛ってしまうと塀越しにA見邸が覗ける状態になってしまうので、それは向こうにとって良くない。
それにしてもこの三角コーナーは蚊が多い。
というか、谷中自体が蚊が多いんですよと以前に豊田さんか阿部さんから聞いた気がする。それに対して母が「やなか=ヤな蚊」とオヤジギャグを言っていたことをよく覚えている。
畳搬入+工事
できれば建築写真撮影(※) のときに張れていれば申し分なかったのだが、7/22(木) と聞いていた畳屋さんの工事は2日早いこの日の夕方に行われた。
第1回引越(※) 後の昨晩から谷中に寝泊まりしていたのは私だけだったので、畳屋さんが来られてから慌てて2F和室の荷物を別のところに退ける。ただ、不幸にもというべきか幸運にもというべきか、昨日の引越屋の荷物の運び順がまずかったおかげで、2F和室にはそれほどモノがなく、私一人でも割合簡単にすぐ畳工事に入れる状態にすることができた。
工事には森田畳店という西日暮里の畳工事専門店の方が二人来られ、如何にも職人気質という雰囲気の二人は黙々と畳張り作業を進め、正味一時間もしないうちに張り終えて帰られてしまった。
イ草の匂いが漂うと途端に新築って気分が高まりますな。新築というか新しいところに引っ越したあとの気分というか、、しかし、このせっかくの新調畳に背中が汗だくなのも忘れごろんと寝ころんだ私はさっそく畳に汗染みを付けてしまうのであります。
2004年07月19日 (月)
引越1回目
今回、主に父主導の判断で、我が家が2回(結果的には3回)に分けて引越をすることになったのには大きく3つの理由が挙げられる。
1)三鷹金猊居→仮住居への引越時も2度業者に頼むことになった。
2)仮住居から大きな家具類を出さないことには荷詰めするスペースが作れない。
3)市の規定で粗大ゴミや不燃物をいっぺんに一定量以上出すことが出来ない。
以上のことから引越業者2社と6月中旬に見積もり交渉。最終的には2社のうちで安い見積もりを出してきた方(父の弁では前回の引越時に母が推していた方)を選んだらしいのだが、竣工予定日から約2週間後の本日を1回目、そしてその1週間後にもう一回という形で2回分まとめて予約を入れたことが、結果的には二つの面で良くも悪くも働いてしまった。
2004年07月18日 (日)
引越1回目前日
引越を翌日に控え、この日はデジカメで何か撮ってる余裕など全くなかろうと、谷中に置いて行ってしまったのだが、今にして思えばちょっとした休憩中でも撮ることはできたのだから、作業時刻の記録装置という意味でもやはり持参すべきだった。
ともあれ、この日の作業は我ら夫婦は仮住居に到着して一息入れさせてもらい、11時前くらいからスタート。夕方くらいまではトランクルームの整理、その後、仮住居に戻って主に2Fの段ボール群の分類やフトンの圧縮し直しなどする。当初の予定では夜に妻だけ谷中に戻るという話だったが、結局時間も遅くなってしまって妻も仮住居でこのまま一夜を過ごした方がいいという話になって行った。
ただ、今回の引越は最初から2回することを想定しているせいか、どこか皆まだ余裕があるというか、気の弛みみたいなものがあって、まさかこの日行くとは思ってなかったのだが、父の提案でお昼には父・妻・私の三人で妻が以前から何度か憧れを口にしていたレッドロブスターに行ってみたり、夜は夜で下連雀の弁当屋「いと半」の名物チキン南蛮やレヴェのショートケーキを買ってきて、この家では滅多にない団欒のひとときを過ごしたり。ヘンに優雅な一日だった。それにしても父がまったく別の話題をしてる最中、妻に向かって突然「な? いと半のチキン南蛮美味いだろ? 昔は胸肉使ってて大したことないと思ってたんだけど、腿肉使うようになってからはそんじょそこらの店で食べるより数倍美味い」と言い出したのには、いつものよくある話といえばそうなのだが、疲れた中でもたっぷり笑わせてもらった。
トランクルームでは主に私は祖父作成家具の梱包と段ボールの最終整理をし、妻にはその処理に一番困っていた三鷹金猊居から持ち込んだ天井板のキレイなのを8枚ピックアップし、それを近くの公園まで持って行き拭き掃除するという作業をお願いした。60年分の埃の溜まった天井板だけにさぞかし大変だったことだろう。
仮住居の方では母+妹は1Fで作業をしていたが、1、2Fで完全分業となっていたため(母の希望により)、彼女らの作業内容まではわからない。父はすでに自分の部屋の整理は概ね終えていたので、役所のゴミ出し日チェックやその他の交渉等、どちらかといえば事務的なことをやっていた。
この日、母は徹夜したそうだが、母以外は翌日に備え、ある程度の睡眠は取った。
初めての朝@谷中
妻は母のムアツふとんで、私は父のベッド(※) で寝た谷中初日の夜。エアコンが苦手な我々は当然窓という窓を開け放し、風通しを良くして眠ったのだが、一乗寺側窓が足下まで開く母の部屋は想像通り最高の風通しだったが、父の部屋は母の部屋との間の仕切戸を開けていたとしてもいまいち風の抜けが悪く空気が籠もりがちで、妻に較べ私は寝苦しい夜を過ごすことになった(右の写真は一回目の引越が終わった後のものだが手前が母のムアツふとん、奥が父のベッド)。
ただ、明け方、先に目覚めたのは妻。というのもまだカーテンが付いていないため、足下まで窓全開の母の部屋は朝日も見事全開に差し込んでくるのだ。ふと私が目を覚ましたとき、隣のムアツふとんで寝ているはずの妻の姿がなく、びっくりして部屋を出たら脱衣室の引き戸を閉じて光を遮り、床の上で寝ていたのである(笑)
車の騒音の方は、4車線の谷町筋に面したところに住む騒音馴れした我々ゆえか、音が近いという感じはあるものの、寝られなくなるほど気になるというでもなかった。
おそらくこの日、谷中に戻ってくることはないだろうとの予測のもと、引越屋がいつ来てもよい状態にまで全階整理をし、それと各階の写真を幾ばくか撮って、9時前に谷中を出た。もちろん行き先は引越を翌日に控える三鷹仮住居。だが、主に我々の準備作業はトランクルームの方で行われることになるだろう。ちなみにこの日の起床時刻は6時半。ふだんの私の就寝時間。
2004年07月17日 (土)
初風呂 i-bath2003
初寝泊まりの晩に入った風呂は当然初風呂となる。何となく、我々夫婦がそこに実際に住む家族よりも先に風呂に入ってしまうことがしのびないような気持ちがないことはなかったが、とりあえず夕方に妹がシャワーだけ浴びたと聞いていたので、そのことが自分たちの負い目を和らげる良い言い訳とはなっていた。
で、風呂の入り心地だが、ケチケチ夫婦の我々は当然湯量を真ん中線よりも2つ下に設定。それでも寝ころび気味に入れば充分胸元までお湯は来る。そんな INAX『i-bath2003』でまず最も心地よさを体感したのは湯船の丸味だろうか。何というか背中で凭れて両腕を広げるとちょうど体のラインに湯船の丸味がフィットしてのんびり優雅な気分を味わえるのである。それから片側が腰湯できる状態になっているのものぼせやすい人には嬉しいところだろう。ただ、我々の場合、湯量が少ないので二人で入ってないと足しか漬かれない状態にはなってしまうが。。
洗い場の方はこの日はまだ座椅子がない状態だったので、サーモフロアの床に直座りだったのだが、床表面に設けられた独自の断熱層があることによってか足裏には良いがお尻にはちょっとざらざら痛い感じがする。まあ、座椅子が入ればお尻で触れることもそうはないだろうから、その点ではあまり気にするところでもないのだろうが、ただ、風呂から出る前に軽く拭き掃除をしたときにもそのざらつきは拭きにくいなという感じがあった。ちなみに肝心のサーモフロアの機能についてはさすがに夜になっても暑苦しい夏の盛りでは判断のしようがない。
他にケチを付けるとするなら、シャワーノブを壁に掛けておく場所が2箇所固定で、その下側の方が少し低すぎるかな〜という印象。それと1620サイズは大きくて気持ちいい代わりに掃除が大変。もともと掃除を怠りがちな実家家族なだけにその辺は大いに心配である。
把手取付
阿部建築での引き渡しの際、山本さんと玄関把手(※) の話にもなり、今日中に付いていた方が何かと便利でしょうということで、長田さんの設備説明最中に把手の取付工事をしてもらうことになった。まあ、できれば妻には自分の父親の手による把手がちゃんと付いた状態での家を見せたかったので、ぎりぎりセーフといったところ。助かった。
把手の取付自体は山本さんが直接細工されて、基本的には打合せで決められた通りの取り付け方となった。ドアへの取り付け位置も図面で数字は出されていたものの、念のため、母+妹+妻にも手掛け部分を実際に握ってもらって高さの頃合いを調節。鍵との取り合いを考えるともう数センチ低くてもよかったかもしれないが、掴みやすさ優先でこの位置に確定した。ちなみにこの日は裏からのビスを打ち込んでなかったので下手をすると盗難に遭いかねない状態でもあったのだが、後日その工事も完了。もはや引っ張ろうと何しようとウンともスンとも言わないはずだ。
ただ、さすがに10kg の重量はそれなりに重く、また断熱対策でエアパッキンが玄関ドアには組み込まれているため、ドアを引く/押すしてからでないと鍵が掛けられない。それはちょっと使い勝手が悪い気がしている。また、鍵の差込口が今回のは横になっているのだが、どうも縦で馴れてる者からするとそれがちょっと使いにくい感じだ。
把手の梱包を解いたとき、梱包材として使われていたプチプチの痕が把手の表面塗装に残ってしまい、妻がしきりにそれを拭き取ろうとしていたが、それに関しては今後も1年置きくらいに塗装する必要が出てくるので、特に心配はいらないと云う。
この日は母+妹は三鷹の仮住居に戻り、我ら夫婦だけがこの家に初寝泊まりすることになっていて、夜、電気の点いてない1Fでしばしくつろいでいたら、通行人が把手を見つけて何やら話しているらしいことに気づいた。早速「把手の家」が始まっているようだ(笑)
設備点検&指導
阿部建築での引き渡し終了後、豊田さんと一緒に谷中の家に戻る。この日は17時過ぎから設備設計の長田さんによる設備点検&指導を受けることになっていたのだ。
長田さんは初音すまい研究所との計画が始まる以前からうちの設備設計を見てくれてきた人で、メールでは何度もやりとりしてたのだが実際にお会いするのはこの日が初めて。年賀状で「長田!突然変異する」といって設備設計の会社から某ブロードバンド系インフラ会社に転職されるという、今年最初のオドロキを味合わせてくれた人だけに、そのことも含めてお会いできるのを楽しみにしていた。
とりあえず点検の方はまだ未済工事の部分も残っていたものの、電気系統のチェック他、水回り関係もトイレの水をしばらく流しっぱなしにして、その排水音をチェックされたり、本来なら施主検査のときに我々がやっておくべきようなことまでしっかり見て廻られた。豊田さん、母、私(時々、妹、妻も)が後ろに付いて各所説明を聞きながらだったが、長田さんのテキパキと的確にアドバイスを加えて行く様は家族は言うに及ばず誰が見てても感心しちゃうんじゃないかと思う。途中、工事で居合わせた電気屋さんにも細かく指示を与え、電気屋さんの方がたじたじになっていたくらいだ。
しかし、そのおかげで心配事の一つだった LAN 配線の問題が丸く解決しそうだ。これまでの話の流れでは工事をするのは空配線を張るところまでで、そこから先の実際の LAN 配線は自分たちでやらなければならないような話になっていたのだが、そうした作業もすべて電気屋さんがやってくれるという手筈をその場で取り付けてくれた。そうした交渉手腕も見ていて天晴れであった。
尚、なぜに長田さんのような設備の専門家にうちのような個人住宅を見てもらうという話になったかといえば、それは今後エントリー予定の初音以前のプロセス上で何度か触れることになると思うが(だいぶ先の話だろうけど)、簡単にいえば1F応接室に展示する屏風作品にとって最適な空調換気システムを考えたいというところから話は始まっている。
その結果としてダイキンのエアカルテットを導入することはこれまた初音との計画が始まる前から決まっていたのだが、それはそのまま初音との計画でも引き継がれ、こうして1Fの全スペースは古材の再利用などで一見古風な佇まいを見せるものの、長田さんの言葉を借りれば「めちゃくちゃハイテクなシステムの仕掛けられた」空間(※1) となったのである。
そのハイテクな仕組みに関しても詳しい説明を受け、ホホ〜と感心することしきりだったが、それについてはエアカルテットのサイトでもフラッシュアニメによる説明があるのでそちらをご覧いただきたい。
ただ、このハイテク装置の特性(※2) として、例えばこの室内に入ったときにエアコンのよく効いたところに暑いところから入って「おぉ〜、涼しいな」と感ずる、あの直裁的なわかりやすい体感性はないということを付け加えておきたい。むしろ入ってしばらくは空調の効いた室内に入った割には暑いな〜くらいに感じられてしまうはずだ。しかし、しばらくするとそこが一年中暑くも寒くもない空気の浄化された心地よい空間であることに気づく人は気づくのである。まあ、こうした話も後日、空調システムを検討していた際のプロセスを記したエントリーで改めてすることになるだろう。
余談ではあるが、1年以上も前にエアカルテット導入の方向で話が固まったときに長田さんとはダイキングッズのぴちょんくんの話もしていて、何と!そのときお願いしていたぴちょんくん関連グッズを1年以上も取り置きしてこの日に持ってきてくれたのである。これには我ら夫婦も大感動。ましてや1年前のものゆえに逆に激レア物になってたりして、でも、ここで何をもらったか書くと世のぴちょんくんファンにやっかみを買いそうなので、ここでの記述は差し控えさせてもらいます。ららら〜ん♪
何やかや長田さんとは家族交えて記念撮影までしたりと20時近くまでお付き合いしていただくことになってしまい、母の提案で長田さん、豊田さん、我ら夫婦で晩御飯を食べに行くことに。お店は、豊田さんが以前から私の妻が上京した折には是非とも連れて行きたいと言われていた日暮里駅すぐ側の「ポドゥナム(柳)」という韓国料理屋。ユッケ、ケジャン、キムチチヂミ、冷麺を注文し、ちょっと値段は高い感じだったが(夜だから仕方ないともいえる)韓国料理にはうるさい妻にも充分満足な味。店内の雰囲気も韓国の焼肉屋をそのまま持ってきた感じで今度はお昼に寄ってみたいお店だった。
その帰り路、長田さんが車を置いていたうちの近所まで戻ってきてから「鞄をお店に忘れました」と思い出したように言われ、自分も忘れ物が多い方ゆえあまり人のことは言えないのだが、ご愛嬌までしっかり持ち合わせた人なのか〜と最後のオチまで感心してしまった長田さんとの出会いだった(笑)
尚、上記内容をエントリー前に長田さんに確認したところ、幾つか補足(※3)と指摘をいただけたので、それを追記にて記しておく。
引き渡し
第29回打合せ: スケジュール(※) ですでに触れたように、引き渡しというのは本来タイミングを慎重に見極め、ある種、格式張った中で執り行われるものなのかもしれないが、うちの場合は私が一人でひょこひょこ阿部建築まで出向いて、必要書類と鍵を受け取り、未済&駄目工事の簡単な確認、そしてしばしの雑談ののち、豊田さんと共にのこのこ帰ってくるという、まあ、至ってお気楽なものだった。そうした気軽さ自体についても同エントリー(※) ではすでに触れている。
ただ一つ、引き渡しの席で心配だったのが矢原さんがちょこっと風邪気味になってたこと。うちの件でいろいろまとめたり検査したりとムリがたたってないとよいのだが、、
一応、引き渡し時刻を記録しておこうと阿部建築に入る前に阿部建築の建物の写真を撮っておいたのだが、我々が初めて阿部建築を訪問したのが去年の2月26日。あれから一年半が過ぎたのだな〜と実は事務所に足を踏み入れる前、建物を見ながらしみじみした想いに耽っていた。この「しみじみ」こそがそれで以て充分儀式的な充足をあらわすもののはずだ。
−阿部建築
−16:30〜17:00
−阿部さん、山本さん、豊田さん、矢原さん、私
−引き渡し通知書、資格証明書、印鑑証明書、設備関係説明書一式ファイル、鍵
PCデスクとベッド搬入
パソコンデスク(妹用)とベッド(父+妹用)が届くということで、午前中から母+妹が谷中に出掛けたのだが、昼頃、鍵が開かないから今すぐ来い!という何ちゅー横暴な!とつい言いたくなるような電話が掛かってくる。前日、山本さんに鍵を手渡されたときにその場で開閉テストをしておかなかった私もまずかったといえばまずかったのだが、とりあえず近場の阿部建築や初音すまい研究所に電話で問い合わせてみるとか、もう少し自力でなんとかしてほしいものだ。
結果的には山本さんが千葉に出ており、豊田さんに来てもらって問題は解決したのだが、単に鍵を開けるときにちょっと押せば開くというだけの話だったという、、まあ、そうしたところも前段最後の一行に繋がる訳だ。
さて、母+妹が慌てたのには業者が昼過ぎに来るという話で、特にベッドが届いたときに家が開いてなかったらどうしよう?という心配があったからなのだろうが、道路の混雑等で実際にベッドの業者が到着したのは17時半をまわってからだったという、、なんとも昼前から御苦労さんな話でした。
妻は15時半頃、日暮里駅から自力で着。当初は神田で待ち合わせる予定だったが、新幹線が新大阪を発つなりストップしたおかげで電話が繋がり(新幹線内公衆電話⇔三鷹仮住居間で)、待ち合わせの時刻設定変更が可能になった。こういうとき、夫婦共に携帯持ってないというのは不便といえば不便だが、世の中、そのくらいアバウトな方が楽しいもんだ。私自身は当初の予定よりも約1時間早い14時過ぎに谷中に到着した。
2004年07月16日 (金)
喫茶 谷中ボッサ
撮影というのは撮る方はもちろんだろうが、付き添う方というのもこれまた案外疲れるもので、撮影終了後に私の方が一休みしたくなり、カヤバ珈琲の並びにある喫茶 谷中ボッサに入ることになった。実はこの店、この日発見して初めて入ったんだけど、今年の4月頃にはオープンしてたらしい。谷中ボッサの前の通りって通る機会がないわけじゃないんだけど、大抵 SCAI THE BATHHOUSE の前の道のところで右折しちゃうんで、この筋だけ外れちゃうんだよね。前を通ってたなら絶対気づいてたはずだもん。
しかし、なかなか良い店を発掘してしまいました。こんな近所でボサノヴァ聴きながら珈琲飲める店があるなんてちょっと幸せ。清さんから一口もらったスイーツもなかなかの味で、店の雰囲気もいいし、今後、上京の度に通うことになりそうです。
建築写真撮影
豊田さんは以前「完成直後の真っ新なときよりも、人が住み始めて生活臭が漂い出してからの写真を撮りたい」と言われていたことがある。そうした姿勢というのは施主という立場にある者からすると大変喜ばしい話だと私は思うがどうだろうか? 「人が住む」ことが大前提の住宅建築ながら、建築雑誌の多くは完成直後の写真を扱うのが主だし、またそうした写真を残したがる建築家の中にはそれが自身のプレゼンの道具になるという意識の方を強く持ってる者も居ないわけではないだろう。その点で豊田さんの姿勢はアンチ建築雑誌、アンチプレゼン中毒、さらにはアンチ<近頃の極端すぎる抗菌・清潔>志向に繋がる小気味良いものがある。
ただ、とはいえ、さすがにそうした真っ新写真がまったく残ってないというのもこれまた施主としては寂しい話というのが偽らざるところ。ところが実質的問題として、建築写真ってのはその手の専門家に頼むとめっちゃ高く付くということが少し前から相談に乗ってもらっていた学生時代の友人フォトグラファーの話によって判明した。
具体的な数字を挙げると、もちろん内容やカメラマンによっても様々だが、4X5なら1カット¥15,000〜¥50,000くらいは掛かるというものらしい。となると家の写真の場合、数枚撮っておけばよいというものでもないし、相当の出血を覚悟して臨まなければならない。というわけで、我々はさっさとそれを諦めてしまったのだが、それは初音すまい研究所にとっても同様のようで、予算の都合上プロに頼むのは1回までと考えていたらしい。となれば必然的に豊田さんが希望する「人が住み始め」「特に応接室はピアノや屏風が入った」状態が初音が依頼するプロの撮影対象ということになるわけだ(もちろん初音すまい研究所独自に撮影するということは考えられているが)。
ところがそうした経緯を先の友人フォトグラファーの清さんに報告していたら、建築写真の専門ではないけど自分が撮りましょうか?と名乗り出てくれた。それも当初は35mmのカメラで三脚は使うもののスナップ的にと言われていたのが、最終的には西荻窪にある「レンタルカメラショップ」で¥4,700-/1日という定価23万もする広角ズームレンズ「Canon EF16-35mm F2.8L USM」を借りて撮影してくれることに。
清さん自身が「35mmのカメラでは、広い範囲がはいりきらない、画面の端の方がゆがむ、などの弊害がある」(※1) と事前に言われていたのだが、やはり実際に自分で撮るとなると必要に応じた道具が使いたくなるというのがプロ魂というものだろうか?(もちろん、そのとき限りしかない真っ新おうち写真を我々家族のために残しておこうという親切心も大いにあっただろうが)
ともあれ、そうした本人が撮る撮らない以前の段階で建築写真について色々メールでレクチャーもしてくれ、それは今後本格的な建築写真を残しておきたいと考えている建て主さんにも役立ちそうな話なので、以下に転載しておきたい。
建築雑誌等に掲載されている写真は、たいてい4X5という蛇腹のついた大きいカメラで撮影しています。
普通のカメラ(35mmとか)で建物を撮ると、パースがついて上の方が細くなっちゃったり、柱が斜めになっちゃったりしますが、4X5カメラはそれを修正して、まっすぐに撮影できるのです。
ここ(※「大判カメラ写真教室」)にわかりやすくのってます。
特に第3回「人間の目とアオリ」、第6回「建物の撮影方法」をみるとよくわかります。
(中略)
雑誌に掲載されているクオリティの、いわゆるちゃんとした建築写真をお望みならば、専門に撮っているカメラマンにまかせたほうが、早いと思います。
で、当日はお披露目会のあと、工事も続行する中で15:00〜17:45くらいまで2F(書斎→和室→キッチン→ダイニング→階段)→3F(タラップ前→各洋室→ベランダ→脱衣浴室→廊下)→2F(建具ディテール→ダイニング→バルコニー→階段)→1F(応接室→工事風景→前室)→ファサードといった順で、36枚フィルム2本分撮影してもらった。2F和室の畳が敷けてない状態だったのが何とも悔やまれる。しかし私自身、何度もファインダを覗かせてもらったのだが、レンズの広角具合とアオリの補正具合(※2) はさすがは定価23万円の代物と言いたくなるものだった。私が後ろでデジカメで撮ってた写真とはその納まり具合も違えば写真全体のピントの合い方もまるで違う。
清真美撮影による谷中M類栖写真は後日改めてまとめて公開する予定です。
ささやかなお披露目
第29回打合せ: スケジュール(※) でも書いたように引き渡し→引越までの間が2日となり、その期間はすべて引越準備作業に当てなければならなくなってしまったため、事実上、完成お披露目といった機会は持てなくなってしまった。しかし、ムリムリでも引越前に写真撮影だけはしたかったので、工事の真っ最中に友人のフォトグラファーに撮影をお願いし、そのついでという形でフォトグラファーと何某かリンクしてる友人数人+先日相互 trackback で知り合ったばかりの Off Space の bside さんを招き、ささやかながらお披露目の場を作ることができた。
まあ、お披露目といっても日暮里のペルシャ・トルコ料理店「ざくろ」で1000円のしあわせランチを食べながら自己紹介&近況報告をして、その後、工事最中に現場見学をするという慌ただしいものだったのだが。。
ある意味、みんなが一番くつろいでくれたのは現場を離れて、近くのカヤバ珈琲でかき氷食べてたときだったんじゃなかろうか。でも、途中から雲行き怪しくなるし、何もかもが慌ただしい中で引きずり回すことになってしまって、ちょっと申し訳なかったくらいだ。
お越し頂いた皆さん、ありがとうございました。
今度は是非本当に完成してから!ということで。。
2004年07月15日 (木)
イプサ納入設置
歩道切り下げ問題の交渉を終えた父はその日搬入が予定されているキッチンキャビネットとエアコンの搬入&設置に立ち会うために急ぎ谷中へ。何でも昼食中に業者さんから「もう家の前に来てます」という電話が携帯に掛かってきたらしく、大慌てで鶯谷から走って行ったらしい。おそらく日中の言問通りはタクシー乗るより走った方が早い。猛暑の中、ホンマに御苦労様である。
で、まあ、エアコンの方は「第29回打合せ: ケーブルテレビ」追記の打合せ記録(※) でも書かれているように洋室-2(Y) 用と洋室-3(A) 用の冷媒管に印を付けておいてもらってあったのでさほど時間を要せず設置作業は終わったらしいが、キッチンキャビネットのイプサ(ipsa)の方はモノがモノだけ(階段通路も狭いし)に大変だったらしい。
ただ、父曰く、イプサを納入してくれた三芳家具は家族経営の小さなとこだけど、親父さんは如何にも職人気質のなかなか愉快な人だったらしい。途中、店のある埼玉の方が突然の夕立に襲われたらしく、表に出してあった家具類が大変だ〜という電話が奥さんから入り、大童の作業だったらしいが、それでも寸法ぴったりの納まり位置に滞りなく収めて行ってくれた。
イプサを買うなら三芳家具!と個人的に応援したくなるところだったようだ。
再々?歩道切り下げ問題
7/11(日) に届いた豊田さんからのメールで、既に了解済みとなっていたはずの敷地前面道路の歩道切り下げの問題が再浮上したことを知る。実はこの問題に関しては豊田さんとの設計プロジェクトが始まる前にもすでに役所および警察双方の了解を得ており、今回の交渉で3度目ということになるのであるが。
で、豊田さんから、こうした問題は業者だけで赴くよりも敷地の所有者であり納税者でもある施主自身が出向いた方が役所の側としてもいい加減な対応ができないだろうということで、山本さん、豊田さんと共に父が交渉の場に立ち会うことになった。まあ、以前も父と私と前任建築家のT氏と3人で乗り込んでいるのだが、今回は引越準備で忙しいこともあり施主側からの参加は父のみ。
2004年07月14日 (水)
表示登記
引越手伝いで週末に妻が上京する前に、登記に印鑑証明や住民票等が必要かどうか確認しておいた方がよかろうということで東京法務局台東区出張所に電話。
で、聞くところによると登記上、所有者が完全に一人で明確な場合には印鑑証明まではいらないらしいのだが、うちの場合は建物の権利が母と私の共有名義となっていて、書類上二人の名前が出てくるところもあるので結局妻には北区役所に行って両方取り寄せてもらわねばならぬことになった。
尚、この時点においては登記は父が自分でやると言っていたのだが、何やかんやと個人では難しいところもあり、結局7/29(木) の第30回打合せ(※) のときに司法書士さんを阿部さんから紹介してもらうということで落ち着いた。
追記に法務局から聞いた必要な書類関係を纏めておく。
2004年07月13日 (火)
屋上タラップの滑車用金具
エントリー「第29回打合せ: ケーブルテレビ」の追記(※) でも触れたが、屋上タラップに取付予定の滑車用金具が確定した。
→水本機械製作所 ステンレスオーフブロック B-75(写真右上)
タラップの階段傾斜角度が70度とかなりの急角度で、昇降する際に物を片手で持ってというのが困難なため、計画の当初から設置予定にされていた。これを使って植木鉢とかを屋上に上げることになる。私はこういうアクロバティックなものが家に併設されてるってのは大好き♪
余談だが、タラップの塗装色はもう一段濃くてもよかったかな〜とちょっと思う。
第29回打合せ: スケジュール
この日から引き渡しは4日後、第1回引越予約日が1週間後というスケジュールを考えると明らかに工事は遅れている。
そうなった背景には施主側の決断遅延も含め、様々な理由があるのだが、大きなところではやはり歩道の切り下げ問題が再浮上したということの他に、外壁の ALC パネル用吹付材(※) が思うように吹き付かず、業者(株式会社フッコー)を呼んで再度やり直したことに伴って外構工事全体が遅れてしまったということもあるらしい。いずれにしてもこうした諸々の遅れによって、引き渡し→引越までの間隔がたったの2日となり、家の撮影や友人たちを招待するといった時間もほとんど持てなくなってしまった。
住宅づくりのマニュアル本「How to make your own Home−ここち良い住まいをつくる」には引き渡しのタイミングとして
引き渡しは、駄目工事が終了して、最終確認がきちんと済んでから、カギなどを渡してもらうようにしましょう。急ぐからといって、駄目工事が終了する前にカギをもらい、引越してしまったあとでは、責任の所在が建て主側にあるのか、施工者側にあるのか曖昧になってしまいます。
あとで壁の傷や汚れなどに気づいて補修をお願いしても、誰がつけたかはっきりしないため、建て主側が身に覚えがないと思っても、その部分についての手直しの要求を強くできなくなってしまうことがあります。引越早々に後悔してしまうことになりますから注意しましょう。
などと書かれていて、そういう意味では我々はその最も悪い例を実演してるようなものだが、正直、私自身の感覚としては結構「それでも、ま、いっか」って感が強かった。心配性の母はそうしたマニュアル本を片手に不満を連呼していたが、なぜ私が「ま、いっか」の心境でいられるかといえば、それはここまで阿部建築とは約17ヶ月、初音すまい研究所とは16ヶ月という付き合いの中で、今更責任の所在云々といった小さなことをちまちま突っつき合うような関係ではもうないような気がしていたからである。そうした工務店・設計事務所と出逢えたことを我々は幸運に思うべきだし、加えて彼らが近所にいて今後も関係が続いて行くというのは幸甚の至りとしか思えない。
なお、この日から引越後くらいまでのスケジュールを打合せ記録をベースに追記にて触れておく。
−初音すまい研究所
−14:30〜19:30
−山本さん、豊田さん、矢原さん、父、母、私
−見積書、打合せ記録
第29回打合せ: ケーブルテレビ
13:00まで続いた施主検査に父が空腹からか苛立ちを見せ始めたので一旦打ち切りとし、豊田さん&矢原さんと共にデニーズで昼食。増減見積もりの報告を兼ねた打合せは14:30から山本さんの到着を待ってスタート。昼食後に妹は退席。父も夕方17:00前に所用で退席した。
主な打合せ内容は追記の打合せ記録に任せるが、この日、アンテナの取付工事の話に及んだとき、山本さんの方からケーブルテレビに関してこちらが勘違いしていたサービスについての話を聞かされる。
これまで我々はケーブルテレビというのはテレビ1台につき1つのホームターミナルが必要で、そうするとエコノミーコースの利用でも3台分に対応させると 2,520円+1,575円×2=5,650円/月 ととてもじゃないがTV放映料ごときに支払える額ではないと思ってきたのだが、どうもそのホームターミナルというのが1台あればそれと直接繋いだテレビ以外のテレビも一般の民放チャンネル+NHKだけは視聴可能だということがわかったのだ。つまりテレビ1台分の2,520円/月という契約をしておけば、その契約したテレビ1台でだけケーブルテレビのサービスを受け、他のテレビでは一般放送だけ見てりゃいいという話。
となると、もともと一般放送だけで充分な我々としては、アンテナの取付位置の問題などアンテナ受信にすると幾つか問題もあったので、それならということでケーブルテレビ契約という考えに戻すことにした。
もちろんホームターミナルを置くのは2階のダイニングで、父と妹の部屋は一般放送のみ。しかし、驚いたことに二人は今回の引越を機に DVDレコーダーを買っている。どうせ買うなら HDDレコーダーにしておけと言ってたにもかかわらず。。
ちなみにこの家では台東ケーブルテレビのサービスを受けることになります。
−初音すまい研究所
−14:30〜19:30
−山本さん、豊田さん、矢原さん、父、母、私
−見積書、打合せ記録
第29回打合せ: 増減見積報告
7月始めに行う予定だった増減見積もりの報告を兼ねた打合せだが、私の方の仕事の都合もあって約2週間遅れの本日、施主検査のあとの時間で行うことになった。本来のスケジュールでは6月末に設定されており、豊田さんとしてはさらに2週3週と遅れたことでちょっと焦ってられたようだが、報告結果自体が施主側の覚悟していた範囲内で大きな問題にならなかったこともあり、結果的には工事自体も遅れていたので見積りを出すにはちょうどよいタイミングであったようだ。
増減見積もりの詳細は追記の打合せ記録で。
打合せ当日の上京だったため、実は家族内でいくらが限度額かといった実質的な額を出しての話し合いまでは行われていなかったのだが、山本さんから提示された見積書の額を見て私自身はホッとしていたというのが本心だ(両親も何となくそんな顔をしていた気がする)。あとで豊田さんから一般的に増減の見積もりでは建築費総額の10%増という話もざらではないという話を聞かされ、そうした意味でも我が家はその1/4以下で収まっている訳で、最後の最後に目が飛び出すようなことはなくて済んだのである。一応、削れるところは削ったつもりでも、後からの追加要求の方が圧倒的に多かった気がしていたし、相当の覚悟を持って臨んではいたのだが、その点では阿部建築と豊田さんたちのやりくりには感謝しなければならない。
加えて豊田さんからは初音すまい研究所側のミス等により生じたコストについても詳細にリスト提示してくださり、その全てを初音負担という形で請け負ってくれた。ある意味当然のことなのかもしれないが、こうした問題は誤魔化そうと思えば誤魔化せてしまう部分も多くあり、その点において初音すまい研究所はこちらで気づいていた点以上の申告をしてくれたのだから、こちらの方が申し訳ないくらいの気持ちだった。
阿部建築には SD-1 のやり直し工事増額分のみ再調整してもらうことで見積もり関連の打合せは終了。その他の打ち合わせ内容は別稿にて。
しかし、あとから見積書を見ると階段脇本棚の棚板追加増額分だけでも10万円近く掛かっており、軽い気持ちで各段一枚ずつ追加などと言わず、もっとしっかり枚数を検討してから注文しておくべきだったと今更ながら後悔するところもないではなかった。こちらの心掛け次第ではまだいくつか減額出来る要素もあったことだろう。その辺は大阪からの遠距離チェックというのが難しくしている面もある。
−初音すまい研究所
−15:00〜19:30
−山本さん、豊田さん、矢原さん、父、母、私
−見積書、打合せ記録
施主検査
初見後初撮影写真 |
3週間ぶりの現場。シートも取れたという話は豊田さん以前に gumoblog :: shinya さんからも聞いていたので、いざ建物が見えてくる交差点に足を踏み出すときには思わず息を呑み込んでしまう。そしていざ視界に捉えたときには何というか頭の中が何も感想を持たないような状態となった。ま、茫然としていたという言い方があるのかもしれないが、どこかそれとも違う。頭はむしろ感想というか批評心(例えば何か似ているものを探したり比較したりといった)を追い求めていたように思うのだが、そういったものを手繰り寄せられないちょっと情けないような状態に自分はあった。
とりあえず数枚デジカメで撮影し、正面の方にまわると阿部さん&山本さんが作業してるのが見えたのでさっそく声を掛ける。なぜかこのときは声を掛けられる人が現れてホッとしていたのだから自身の精神状態はよほど妙ちくりんなことになってたに違いない。別にその状況を誰に見られてるというわけでもなかったのだから。。しかし、そこで阿部さんとようやくここまで辿り着いたことや暑いこと家族のことなど話しているうちにどうにか落ち着きは取り戻し、初音すまい研究所へと向かうことにした。
初音にはすでに両親に妹と家族も到着していて、軽く挨拶を済ませて再び現場へと向かったのだが、その挨拶で豊田さんに現場を見てきたことを話すと「どうでしたか?」と訊ねられてしまい、先述した頭の回転停止状態から立ち直っていたわけではないので、しどろもどろな返答に。確か「相変わらず見る度に大きさの印象が変わりますね。今回はシート分の容積がなくなった分、ちょっと狭く見えたかな〜」といった、おそらく豊田さんが期待していただろうものからはおよそ見当違いな返事をしてしまった。
現場での施主検査は前日行われた建築家検査のチェックリストを見ながら屋上から順に豊田さんらの案内で行われたのだが未済工事箇所の方が多い状況(約70項目)だったもんで、前夜、住宅づくりのマニュアル本「How to make your own Home−ここち良い住まいをつくる」を読んで施主検査の心得みたいなもんを確認しておいたのだが、何だかそういう感じの緊張感は全然なく付いて話を聞くだけって感じになってしまった。で、後ろに付いて回ってる間にも幾つかこちらで見つけた染みとか汚れとか、その他いろいろあったけど、それらは矢原さんに伝えてチェックリストに書き加えてもらったもんで、どれがどうだったかさすがに一ヶ月もあとにこの記事を書いてるもんですっかり忘れてしまった。その辺は完全にダメダメな施主ですね(笑) 母は家路に着いてから「本にもちゃんと書いてあるのに何でちゃんとやらないんだ!」と憤懣やるかたないご様子だったが。。それとまあ、豊田さんや工事の職人さんたちが居られる前であれやこれや細かくチェックするってのもやりにくいことでもあり、職人さんのお昼時を利用して我々施主だけで再度見させてもらった(豊田さんたちは一緒)。大きなチェック事項は別エントリーで個々にピックアップしていく。
−谷中M類栖宅
−10:00〜13:00
−豊田さん、矢原さん、父、母、妹、私
2004年07月12日 (月)
もう見てた隣人?
gumoblog の方から「まだ見ぬ隣人」というタイトルで trackback を受けた(trackback って「受けた」って言うのかな?)。実はこの gumoblog はどうやって漂着したのか覚えてないんだけど、既にブックマークしてた blog だったもんで、私からすると「もう見てた隣人」なのかもしれない(笑)
2004年07月04日 (日)
Off Space にて
6月末からスタートしたばかりのようなので委細は掴めませんが、Off Space って blog で
谷中M類栖
お気に入りの建築系ブログの谷中M類栖が最近更新されていない。
現場に見に行ってみようかと思ってしまう。
と書かれてました。
う〜む、更新滞ると知らないところでも心配されるのね(^^;)
現場、もしメールいただければ中もご案内致しますよ!
私は今月中旬からならしばらく東京にいます。
2004年07月01日 (木)
1Fタイル工事開始
ここ1ヶ月、仕事が結構ハードスケジュールだったってこともあったんですが、引越を控えたことによってか実家間とのトラブルが何かと頻発し、blog に立ち向かう元気を完全に逸してました。今後、立ち直れるか不明ですが、あまり溜め込むとそれはそれでヤル気減少にもつながるので、実家から送られてきた写真を以下にアップしておきます。
玄関ドア SD-1(未塗装) |
応接室タイル敷き |
丸太および木製ドア WD-1 |
もう屏風展示面の壁紙も張られた様子。
ライティングレールやピアノ用スポットも付いている。
丸太の入るところのタイルはどうやってカットしてるんだろう?
実際に見てないんで、それ以外のコメントは母からのメール(たぶん妹代筆)を引用。
前室の右と左のドアを間違って逆に取り付けられてしまったので(丸穴1と丸穴5)、豊田さんは頭を抱えていました。
和室はどんどんいい感じになってきました。
玄関の扉もついたけど、取っ手はまだです。
一見、このメールだけ見ると静穏な感じで受け取れます(笑)