2006年02月20日 (月)

シベリアの雪面

flying over SIBERIA

シベリアのへび道」以来、中欧旅行の続編エントリーは一月ぶりとなってしまった。
この写真も同じくルフトハンザがシベリア上空を飛行中に撮ったものである。
モーグルにもアルペンスキーにもスノーボードクロスにも向かなさそうな雪面ではあるが、トリノオリンピック見ていたらこの雪の表情をアップしたくなってしまった。

by m-louis : 06:09 | comments (0) | trackbacks (1)

2006年02月19日 (日)

電線の景観*補遺

Y*aizome st.+akaji slope

前エントリー「電線の景観*N的画譚」では画家の視点・撮影者の視点を借りて谷中の電線を好意的に捉えてみようとした。家づくりに集中していた頃には工事・引越・建築撮影と何かと障害物となっていた電線なだけに、その試みには些かこじつけ的な感もなかったとは言えない。ただ、それでも電線を「景観」の一つとしてポジティヴに見られたのは、やはりそこが「谷中」という場所だったという点が大きい。

谷中は敢えて乱暴に言ってしまえば「観光地」なのである。
観光地とは余所者から見られることを宿命づけられた場所、即ち「景観」としての特性に自覚的足らざるを得ないところである。ただし、そうした観光地でも行政主導で観光化を目的とした地域もあれば、自然発生的に人々が集まるようになった場所もある(最初は自然発生でそれに行政が飛びつくケースも当然ある)。その点で言うと谷中は後者でさらには行政はそれを放っておいているような印象が強い(その証拠に曙ハウスの解体でも特に区で何か考えようとする動きは特に見られなかった)。

by m-louis : 19:28 | comments (0) | trackbacks (0)

2006年02月13日 (月)

電線の景観*N的画譚

Y*nmm

谷中や根津の風物詩の一つに縦横無尽に入り組んだ「電線」がある。
谷中の半住人どころか年間で10日も谷中に滞在してない私は、つい最近までそのことに割と無頓着だった。というか、それ以前に家の建築写真を撮ることにおいて邪魔くさいとすら思っていたところもあり、ポジティヴ・シンカー garaikaさんの「電信柱って」のエントリー・コメントでも結構散々なことを書いてしまっている。

ところが、先月「無邪気な Kai-Wai フリッカーズ」で一緒に散策した nodocaさんが flickr にアップされた「雪融け谷中」の写真についたコメントを読むと、電線のことが住民・家主の視点からでないせいか、決して悪印象では捉えられていないのである。
悪い景観100景「街並みを汚くしている電線・電柱」では電線ケーブルが「視界をますます低く圧迫している」と悲観しているが、nodocaさんは「とにかく電線は多くて低い位置にある気がする」と言うだけで、決してそれが良いとか悪いとかは言わない。そのことにアレ?っと思っていたところに更なる決定打が現れた。

2006年02月12日 (日)

景観喚問

あさみ新聞でシリーズ化している「悪い景観100景を考え直す」のエントリー。
実は先日からこのブログでも何か書こうと思ってアレコレ書き留めてはいるのだが、どうもエントリーするまでには至れない。すでに検索すれば「悪い景観100景」を公表した「美しい景観を創る会」に対する批判的エントリーは山ほど出てくるし、今更その組織とテーマに対する批判をこのブログでやってても生産的ではない気がする。

ところでヤフーで「悪い景観100景」を検索すると、その4ページ目に「景観100景」というブログがヒットする(2006年2月12日現在)。このブログ、どうやら「悪い景観100景」で取り上げられた情報をまるごとコピーして、コメント+トラックバック歓迎の体制を取って行こうとしているもののようである(作者不明)。
実は最近、ブログの可能性というのは情報発信のそれと同時に情報の受け皿としての機能も重視すべきと考えているのであるが(っていうか、実は一つお仕事でもうそういうことしてるし、阪急コンコースのブログだってある種その路線だし)、このブログも云わばその延長線上のブログと言える。

で、現実を見れば「美しい景観を創る会」も最初からこの仕組みを作ってしまっていれば、そんなに全体枠としての批判を受けることもなかったろうし、純粋に一個一個の個別事例に対して、賛否両論をデータベース化して行けたのだ。その意味で考えるならばこの「景観100景」というブログは「美しい景観を創る会」に対する嫌がらせとして存在しているのではなく、むしろ真性のフォロー部隊と言ってもよいのではないか?

by m-louis : 23:55 | comments (0) | trackbacks (0)

2006年02月10日 (金)

暖簾の力

暖簾アリ暖簾ナシ先月、カメラ購入直後にウィルス性結膜炎に掛かってカメラのファインダーが覗けなくなるという間抜けな出来事があった。眼科医からは感染の可能性もあるので、なるべく家族に近づくな!タオル等同じモノは一切使うな!と厳しく言いつけられ、ちょっとした家庭内隔離状態になっていた。

そんな最中、私たち夫婦は思わぬものの威力を実感することとなる。
それは私が2000年10月に京都のトレゾーアーツという雑貨ギャラリーで「おらないがみ」という展示をしたとき、妻がギャラリーの入り口用にと作ってくれた暖簾である。
展示が終わってからは、自分たちの住むマンションの廊下からリビングへの扉の手前側にずっと掛けていたのだが、そこを通り抜ける度に必ず顔が生地に当たるのである。つまりは暖簾もタオル等の共有物の一つに入って来るでは?ということで取り外さねばならなくなってしまったのである。

その外した場合掛けてる場合の様子が右上の2枚の写真。写真ではおそらく大した差は感じられないだろうが、我々にとってはそこに暖簾があるのとないのではもう全く世界が違った。というか、外すともうそこは自分たちの家ではない!って言いたくなるくらいの違和感を覚えてしまったのである。そして、その違和感は結膜炎が完治するまでの約一週間、拭えぬままだった。1ヶ月だったらさすがに慣れてたかもしれんが。。

高が布切れ一枚。それも薄くて向こうが透き通しで見えるくらいのもんなんだが、その存在感や絶大である。我が家ではその扉を開けっ放しにしてる時間の方が圧倒的に長いので、扉以上に部屋の輪郭としての仕切りとしての機能を果たしていたのだろう。

by m-louis : 23:45 | comments (4) | trackbacks (0)
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