栃乃花関といえば平成12年五月場所で新入幕後、3場所で三役まで駆け上がる活躍を見せていたのだが、怪我で幕下まで陥落し、長らく低迷。同年七月場所に新入幕を果たした高見盛関も同じように入幕間もなく怪我で幕下まで落ちて苦しんだが、それでも1年半で幕内復帰を遂げている。相撲マニアの妹のおかげで、高見盛関のことは人気が出る前から気に掛けていて1年半でも充分長く感じられたくらいだから、5年の歳月といったらどのくらいのものだったのだろう。それを考えただけでも応援したい気分になる。
ところでその「栃乃花関 年男奉仕」の短冊であるが、それは根津のサイタという質屋のある細い通りの小さな告知板に一枚だけピラッと貼ってあって、それを見たときにそれが何を意味するものなのかがよくわからなかった。そして、その前を通ったときには谷根千案内人と化した masaさんが近くには居られなかったものだから、特に意味を追求するでもなくやり過ごしていた。それが思いも掛けない形でやっぱり masaさんから知らされることになる。それが冒頭にリンクを張ったエントリーである。
その短冊の意味するところとは、「節分の日に、根津神社での豆まきに栃乃花関が来るよ」ということらしい。実は masaさんもその短冊だけを見てそのことがわかったわけではなく「町内のお店の店頭などに貼ってある、神社配布のチラシを見て納得した」とのことであるが、そういうところに目が行き着くあたりがさすがは masaさんである。
ちなみに「年男奉仕」でググッて検出されるのはたったの6件。基本的にどれも節分と関取ネタのサイトに飛ぶ。
実はそんな私も今年は年男なのであるが、では、今年の私の豆まきは妻への「年男奉仕」ってことになるんだろうか?(汗)
そんな節分ネタのエントリーを見透かしてか、masaさんが谷中M類栖に来訪された折には鶴屋吉信の節分豆の形をした饅頭の菓子折をいただいてしまった。さすがに節分過ぎたせいか、もうサイトの商品紹介ページに「福ハ内」というお菓子は出ていないが、大変美味しくいただいた。
尚、我が家では子鬼が一杯いるため、「鬼モ内」と言って豆まきしている(`Θ´)
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