正直、この話は目から鱗というか、言い得て妙の話である。うちの母は趣味がプレゼントといっても良いような人なもんで、つい反動的になってしまって、何やかんやと理由をつけて貰うことを拒絶する態度を示して来ていたのだが、こういう逆転の発想があったとは! というか、これだったらば何の抵抗感もなく親に対して素直に感謝の気持ちが現わせられるような気がする(玉川上水で入水心中したなよっちい文豪は違うかも知れないが)。というわけで、母の誕生日はもうすぐだが、それは妻に任せるとして、自分の誕生日には両親に対して何か考えてみたい。というか、まだだいぶ先なんだけど、なんだかそれはちょっと楽しみになってきた。
それからこれはバカバカしいといえばバカバカしい話なんだけど、今、「ズバリ言うわよ!」で何かと茶の間を騒がせてる占星術師(?)の細木数子女史。別に彼女の占いを信じる信じないはどうでもいい話なんだけど、たまたま夕食時にTVのチャンネルをいろいろ回していたら、いつものように何かの相談を受けてる彼女が出て来た。途中からしか聞いてないので、事の子細は掴めないが、相談者は家の新築後に何かと悪いことが起きているらしく、それでどうしたら良いかと細木に相談している。すると彼女はこんなようなことを言った。
あなたたちは自分の家を新しくするにあたって、先祖の墓も新しくしたのか?と。それに対し、質問者が特にそうしたことはしていないと言うと彼女は例のセリフに続けて、3年以内にあなたたち家族のうちの誰かが死ぬわよ!と捲し立てた。
コレ、今回の家作りに当たって私が一番心配してることなのである。よく新築・増築などするとその家の誰かが死ぬという話は耳にすることが多い。実際、私の祖母が脳梗塞で倒れたのも増築直後であったし、またこのブログでも一度書いてる親戚筋のうちの一人も4年ほど前に大きな屋敷を構えた直後に呆気なく亡くなってしまった。
私自身は迷信は何もかも信ずるという質ではないが、しかし、多くの迷信には科学的根拠に照らして説明可能な物も多く存在するという風には思っている。この話も同様で、まず何よりもその大きな理由は環境の変化であり、次いで一仕事(それもとても大きな)終えたという安堵感から来る気の抜けという理由などが挙げられるだろう。それに加えて、うちの場合、父は高齢であり、母はただでさえ心臓が弱い上にわざと自分の身を苛酷な状態に置いて何かを訴えようとする自虐的なところがあり、それによりますます自分の衰弱化を進めている。そんなもんだから、私はこの家を建てるという話が出たときからそのことが一番の心配で、何か起きたときのことは常に頭の片隅というよりは中心部にどーんと座ってる感じだったのだ。そして、そのことは今もまったく変わらない。だから、今回の細木の予言には彼女がどうのという問題以前に過敏に反応してしまうのである。
この件に関して彼女の考え方は至って明快で、即ち先祖から引き継いだ遺産で新しい家を建てた場合、それは先祖の恩恵で建てられているものなのであり、そのことに気を掛けずに地鎮祭なり上棟式なりをやったところでそれは単に自分たちのためだけの儀式であって、先祖に対しての感謝を示したことには全くならない。それを怠ればそれだけの罰が下るというわけである。
まあ、ここで先祖の霊魂を信じるか信じないかの問題は置いておくとして、家作りという重たい事業を成し遂げた後、一応、開眼供養はやっているが、それはあくまでお坊さんにいらしていただいての、ある種、日常のなかで行われた儀式のようなところがある。正直、細木数子の言葉を受けてってことにはなってしまうが、今にして思うに家作りという先祖の存在があったなればこその事業の後で、そうした受け身の儀式だけでは足りてない気がしてきてしまった。やはり自らの手足、頭を動かして能動的に何かをせねば! その内容は個々人によるのだろうが。。
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