2007年02月28日 (水)

アクセス検索ワード2007.02

Gunkan Apartment, Osaka

臭突がじわじわと勢力を伸ばし始め、何だかブログ界でもすっかり市民権を得た感じがする。軍艦アパートはその最後の最後を見に行けなかったが、完全になくなってしまったようだ。曙ハウスは13位と惜しくもトップ10圏外。それと先月、突如逆転現象を起こしたヤフー vs グーグルは今月は52%:42%と再びヤフーが盛り返していた。

by m-louis : 23:45 | comments (2) | trackbacks (1)

2007年02月22日 (木)

由良タイルハウスと淡路瓦

Yura*CWVF, Sumoto

戦没学徒記念 若人の広場」で記したように、仕事で初上陸した淡路島。残念ながら車窓風景以外にプライベートで撮れた写真は少なかったが、仕事が終わって車に乗り込む直前に唯一撮れた淡路島の家の写真がこれである。場所は洲本市由良の由良大橋の袂。もちろん淡路島の家はみんなこんな感じというわけでは決してない。ただ、さすがにこのタイル&臭突は、、撮らずんば男が廃るという気がして撮ってきた(汗)

by m-louis : 16:24 | comments (5) | trackbacks (0)

2007年02月15日 (木)

戦没学徒記念 若人の広場

Wakodonohiroba, Awaji

仕事の取材だったものの、淡路島に初めて行くことになり、同行取材者にお願いして、ほんのわずかな時間ながら丹下健三が1966年に設計した「戦没学徒記念 若人の広場」を見てくることができた。「若人の広場」は一昨年の3月22日、丹下氏の訃報に接し、「丹下健三氏、没」という追悼エントリーを書いたとき、akanemさんが撮られた写真を借りて感想メールと共に紹介した場所である。あれからもう2年が経つんだなぁ。

by m-louis : 09:00 | comments (7) | trackbacks (0)

2007年02月09日 (金)

曙ハウス・リターンズ

ESUOH AKEBONO

根津の曙ハウスが取り壊され、その地が更地と化したのが去年のちょうど今頃。
そのとき「曙ハウス」という実体のほとんどはこの世から姿を消して行ったが、それでも曙ハウスを強烈に印象づけていた看板役者「スウハ曙」の看板プレート、1階階段の手摺り支柱は、処分される前に「Kai-Wai 散策」の masaさんの手によって救い出され、古物商の協力を得ながら、文京ふるさと歴史館に収蔵されている(その経緯については Kai-Wai 散策「曙ハウス・プレートの行方」「曙ハウス - 再び」に詳しい)。

2007年02月06日 (火)

長居公園テント村跡地にて

2月5日、大阪・長居公園のテント村が市の行政代執行によって強制撤去されている。
当日は各種報道番組などでも盛んに取り上げられていたらしいのだが、生憎その日、私は大阪に居なかったもので、その撤去中の映像情報に生で接することはできなかった。
(といっても、YouTube で「長居公園」検索すれば幾つか出てくるので確認は可能)

by m-louis : 16:00 | comments (2) | trackbacks (0)
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