2005年07月31日 (日)

育つ棉

COTTON棉の芽」で書いた mitsubakoさんからいただいた棉が総領での「田植え」の際に持ち帰った「」とは対照的に順調に生育している。
っていうか、大した植木鉢でもないのにすでに背丈が65cmにまで育ち、このままどこまで大きくなるのだろう?とちょっと心配なくらいである。

先日の天神祭の花火大会で遊びに来た友人に余った種があるので育ててみないか?と訊ねてみたのだが、どこまで大きくなるのかわからないと言ったら「なんか不気味」とか言われて断られてしまった(笑)
いや、まあ、そのくらいのことまで調べてから勧めればよかったのだが、この際だからどこまで大きくなるのか知らないままに育ててみるのも面白いかもしれない。

mitsubakoさんのところの「和棉(発芽の様子)」「和棉その2(本葉出始め)」以降の様子もちょっと気になるところである。「」の方は順調な様子だが。。

by m-louis : 17:21 | comments (9) | trackbacks (0)

2005年07月28日 (木)

花火を見る場所

garaikaさんが「涼み台で花火鑑賞」と自慢(?)されている(笑)

TENJIN FIREWORKS谷中の家も立地的には隅田川の花火が屋上から見えるところにあるのだが、生憎「とある障害物」のおかげで花火の方角の景観はすべて遮断されてしまっている。

他方、私が現在住んでいる大阪のマンションは裏が天神祭の行われる大川で、天神祭の花火大会も部屋からは3/4、非常階段に出ればバッチリ間近で見られるので、涼み台には叶わぬものの、花火を見るロケーションとしてはうってつけである。
マンションもこの日くらい屋上を開放してくれてもいいのに!とも思うのだが。。

ちなみにそのマンションに引っ越した去年、私は実家の引越手伝い等で天神祭ギャル御輿花火大会も見逃していて、家からの花火は今年が初めてであった(ちなみに現在のところに引っ越す前もすぐ近所に住んでいたので、毎年花火は見ていた)。

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2005年07月23日 (土)

art-Link/谷中芸工展2005

毎秋、谷中界隈の「まちじゅうが展覧会場」となる「谷中芸工展」と「art-Link」。
去年も気付けばもう始まる寸前って感じで、やはりそこに住んでいないとうっかり忘れてしまいがちになるものである。が、今年は一応2ヶ月前の現段階で思い出したので、実家からの電話ついでに参加意志含めて聞いてみた。

そしたら回覧板のようなものがすでに回ってきていて、最初の説明会はもう終わってしまったんだとか。そして、どうも電話の様子だと今年もまだ参加したくないらしい。
結局、未だに家が片付いていないことと、1Fが何かとトラブル続きなもので、その1Fでギャラリー開く精神的余裕はとても持てそうにないということだった。

by m-louis : 02:50 | comments (0) | trackbacks (1)

2005年07月20日 (水)

食洗機問題の答え

食洗機とトップライト」という個人ネタ(家族愚痴)エントリーに garaikaさんからTBいただいてちょっと恐縮気味なので、こちらでも食洗機談義に続編として触れておくこととする。というか、この際だからズバリその答えを書いてしまおう!

なーんて言うとずいぶん偉そうではあるが、その答えとは garaikaさんのTB元エントリーのタイトル「食洗機それぞれ」であることは間違いない。要するに各家庭によって向いている家もあればそうでない家もある。そこのところをしっかり事前に話し合って(見極めて)決めた答えならばそれは正しく、その意味で我が家の事例を誤ってしまったケースとして前のエントリーでは取り上げていた。

しかし、こうした設備機器類のあるなし論というのは結構ヒートアップしやすいもので、一度使ってその便利さを覚えてしまったものは「なぜ?勿体ない!」となるだろうし、使ってない側は使ってない側で色々屁理屈が出てくるものである。
そこに garaikaさんのようにかつて使っていた立場ながら「使わない」選択をされてるような存在が出てくるとまたひと味違うが、それでもこの件に関しての論議は「それぞれ」でよいのだと思う。

by m-louis : 19:14 | comments (8) | trackbacks (1)

2005年07月19日 (火)

建築シックバブル

Yahoo! のトップページで「シックハウス 北京でも波紋」というトピックスを見掛けたのでクリックすると案の定と言うべきか「北京市の子供部屋のうち7割以上がシックハウス」という衝撃的な調査結果を報告する記事だった。

中国建築バブルが伝えられて久しいが、ときおり建築雑誌などで様子を掻い摘んでいるだけでも、中国は日本の建築バブルの惨状を反面教師とするどころか、むしろ倍加する勢いで新しい家やらビルやら公共建築やらを建てまくっているように見受けられる。

だからこのような調査結果は衝撃でも何でもなく、単に日本の数年前が十倍増化してやってきたというだけのようにも思えるのだが、ただ、最近は日本の著名な建築家の多くが中国に渡って様々な活動を繰り広げている現状を見ると、なぜにバブルの反省を中国で「建築教育」という形でもっと積極的に伝えていくことができなかったのか?ということは考えてしまう。

国際協力って資金援助とか事業開発協力以上に「失敗の経験」を如何に前もって事が起きてしまう前に情報伝達できるかというところにあると思うのだが。。

by m-louis : 23:55 | comments (0) | trackbacks (0)

2005年07月17日 (日)

食洗機とトップライト

家の引き渡しから1年が経つというのに、我が家では一度も使われていない設備機器がある。食洗機と略称される食器洗い乾燥機がソレだ。

この食洗機に関しては計画時それなりに一悶着あった。
唯でさえモノで溢れかえっている我が家なのだから、システムキッチンとして少しでも有効に収納スペースを取っておいた方がいいのでは?というのが母以外の意見であったが、母は食洗機にこだわったのである。確か「お客がたくさん来たときに苦労するのは結局私一人なのだ」とかなんとか言って‥‥。まあ、食洗機自体が収納の役割も果たせはするので、皆、母の願望に割と早くから折れた恰好にはなっていたが‥‥。
(というのも、ここで抵抗するとあとあと面倒くさいので)

by m-louis : 16:03 | comments (0) | trackbacks (1)

2005年07月12日 (火)

帰る家

先週末、谷中の実家家族と私共夫婦合わせて5人で、愛知県一宮市北方町の木曽川べりにある母方祖父の墓参りに行ってきた。先月行った諏訪の墓には祖父母ふたりの遺骨が眠るが、こちらはM類家代々の墓から数百メートル離れたところに分骨された祖父の骨だけが埋葬されている。要するに代々の墓はもう飽和状態なのである。曾祖父母の代までは土葬だったという話だし。。(汗)

以前「家と命」というエントリーで細木数子の暴言を引き合いに出して、しかしながら家が出来たからにはご先祖様にその報告と感謝の気持ちは伝えておいた方がいいんじゃないかということを書いたが、竣工してもうすぐ1年というところでようやく墓前でのその機会は得られたということになる。血族ではない父も何となくそれを気にしてたらしきところがおかしかった。何はともあれ、我が家の新築に亡くなった祖父母の関与するところは大きいのである。

by m-louis : 04:37 | comments (4) | trackbacks (0)

2005年07月07日 (木)

ガルバリガルバニ、トタン

TUTANAGA SHED先月あたりからすっかりハマッてしまった Photo Sharing Service の Flickr!(サーバ容量気にされてる方にも使えると思う)。
写真共有のネットワークなだけに国内に留まらず世界とアクセスしてた方が圧倒的に面白いので、なるべく頑張って英語でタイトル表記してるのだが、そこで結構困りものになってるのが建築用語君たちである。

例えば「トタン」。
一部の好事家の間でこよなく愛されるこの建材を和英辞書で引いてみると「galvanized iron」なんて出てくるのだが、これじゃー若手建築家などが好んで使いたがる「ガルバリウム」と同列になってしまい、味も素っ気もあったもんじゃない。まあ、ガルバ派の人たちからしたら、錆付きやすい亜鉛合金めっきだけのトタンとそれに長期耐久性を兼ね備えたアルミニウムを混入させたガルバを一緒にすんなよ!とむしろ反論喰らいそうでもあるが、いずれにせよ、一緒くたにされては困る用語たちなのである。

by m-louis : 05:36 | comments (7) | trackbacks (1)

2005年07月02日 (土)

高過庵とスナフキン

TAKASUGI-ANまず「高過庵」へこれから行ってみたいと思っている人たちのために書いておく。
高過庵に行くには「神長官守矢史料館」を目指せばよい。茅野駅から「宮川高部の〜」とでも言い添えてタクシー運転手に話せば、大抵のタクシーは連れて行ってくれるはずだ。ただ、宮川高部で帰りのタクシーを拾うのは難しいかもしれないので、待機してもらうか事前にタクシー会社の電話番号を控えておいた方がよいだろう。

そして高過庵は神長官守矢史料館入口付近からは見えないが(※1)、史料館右手30m先くらいのところにある舗装された道に出れば、山の方にぽつんと浮かび上がってるのが確認できるはずだ。または史料館で場所を聞けば、説明好きな館長さんがいつでも気さくに教えてくれることだろう。私たちに対してもそうだったが、ネット上でも館長さんの親切な人柄については多くのサイトで触れられている。

JINCHOKAN MORIYA HISTORICAL MUSEUMちなみに母と私は史料館に来るのは2回目。
ところが諏訪在住の善n叔父さんはこうした施設があることすらご存知なく(後でお会いした奥様は学校の先生をされてるだけに知っていたが、地元ではあまり知られていないのだろうか?)、それで高過庵に向かう前にまずは史料館に入館した。そこで館長さんから高過庵の場所を聞いて、上記のように舗装道路に出て行くか(車でも行ける)、あるいは畑の中を強引に直進するかの方法を教わった訳だが、ここは年配者二人に合わせて舗装道路迂回順路で行くことになった。

ところで「そんないざ行かん!」とする直前に私は史料館の中で高過庵の姿を見つけてしまったのである。
何と!高過庵は史料館のトイレから窓越しに見えるのだ♪
人見知りがちで、高過庵の場所を誰にも聞く勇気が持てない人(世話好きの館長さんと話さないということの方が難しそうだが)とか、窓越しの写真を撮るのが好きな方は、用がなくともまずは史料館でトイレに入ることをオススメしておく。

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