2005年07月20日 (水)
「食洗機とトップライト」という個人ネタ(家族愚痴)エントリーに garaikaさんからTBいただいてちょっと恐縮気味なので、こちらでも食洗機談義に続編として触れておくこととする。というか、この際だからズバリその答えを書いてしまおう!
なーんて言うとずいぶん偉そうではあるが、その答えとは garaikaさんのTB元エントリーのタイトル「食洗機それぞれ」であることは間違いない。要するに各家庭によって向いている家もあればそうでない家もある。そこのところをしっかり事前に話し合って(見極めて)決めた答えならばそれは正しく、その意味で我が家の事例を誤ってしまったケースとして前のエントリーでは取り上げていた。
しかし、こうした設備機器類のあるなし論というのは結構ヒートアップしやすいもので、一度使ってその便利さを覚えてしまったものは「なぜ?勿体ない!」となるだろうし、使ってない側は使ってない側で色々屁理屈が出てくるものである。
そこに garaikaさんのようにかつて使っていた立場ながら「使わない」選択をされてるような存在が出てくるとまたひと味違うが、それでもこの件に関しての論議は「それぞれ」でよいのだと思う。
ちなみに私は使ってない側なので、使わない側の屁理屈を幾つか挙げてみると
- 溜めてから洗わないと勿体ないという食洗機だが、溜まる前に使い回したい食器がすぐに出て来てしまうことが予測できる。
- 省エネというが、どうも信じ切れない。
(というか自分たちの洗い方がかなり省エネ的なので、それに勝てるのか?) - そもそもあんまり皿を使ってない。
(買ってきた総菜をパックのまま食べてる実家の場合) - 食器くらい自分の手で洗ってないと手や脳が鈍りそう。
といった具合だが、この中でも最後に挙げた話はある種バリアフリー/アリー問題と通ずるところがあるだろう。だが、これもやはり考え方は「それぞれ」であり、逆の立場からすれば、そこは手荒れの解消と食器洗いの時間を他のことに有効に使えるとして、それが実践されているのであれば全く問題はないのだろう。
ただ、まあ、私はどうも葡萄の皮は自分の手で剥いて食べたいクチで、それと似たようなもんなのだろう。種なし葡萄なんてのも余計なお節介もいいところで、あの種の回りのぷにゅっとした部分を舌先を使って取り出して食べてこそ葡萄だと思うのだが、そう思うのは滅茶苦茶少数派なのかもしれない。が、それもまた良しという話である。
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※)参照エントリー
便利なモノを通じて人間の能力論に展開してるエントリーにTB。
・ノアノア「カーナビと食洗機」
・Under the Bridge「物覚え・物忘れ」
・家づくり、行ったり来たり「便利な道具の是非論」
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