2005年07月28日 (木)
garaikaさんが「涼み台で花火鑑賞」と自慢(?)されている(笑)
谷中の家も立地的には隅田川の花火が屋上から見えるところにあるのだが、生憎「とある障害物」のおかげで花火の方角の景観はすべて遮断されてしまっている。
他方、私が現在住んでいる大阪のマンションは裏が天神祭の行われる大川で、天神祭の花火大会も部屋からは3/4、非常階段に出ればバッチリ間近で見られるので、涼み台には叶わぬものの、花火を見るロケーションとしてはうってつけである。
マンションもこの日くらい屋上を開放してくれてもいいのに!とも思うのだが。。
ちなみにそのマンションに引っ越した去年、私は実家の引越手伝い等で天神祭もギャル御輿も花火大会も見逃していて、家からの花火は今年が初めてであった(ちなみに現在のところに引っ越す前もすぐ近所に住んでいたので、毎年花火は見ていた)。
で、我々が住む8階、もしくは11階の非常階段から目線と同じ高さに上がる花火をしばらく見ていたのだが、何かが物足りない。大阪に越してきたばかりの夏、大川を望む帝国ホテルの上階から見たらさぞ迫力満点だろうと思っていたが、花火の音が聞こえず何とも寂しい思いをしたことがある。だから花火に音は不可欠と思っていたが、どうも私にとって花火というのはそれ以外にも必要な要素があったようである。
それはあの普段は鬱陶しくてならないはずの人混みに紛れて、あんぐりとアホっぽく口を開けて、多少首を痛くしながら上を見上げて花火を見るというあの汗苦しい猥雑な感覚じゃないだろうか? 別に garaikaさんの「涼み台」や谷中の家の「とある障害物」恨めしさから言うつもりはないが、祭や花火ってもんには「雑踏」が持っている過剰な高揚感が不可欠な気がしてならない。
□◇
※)本文中に採用した写真は去年妻が部屋から撮ったものです。
※)関連エントリー
・greenplastic.net「天神祭奉納花火」: 川の向かい側から撮られた花火を発見!
・ノアノア「花火」: 名古屋マンション生活時代の花火体験談
≪ 閉じる