というのも、この3人のクリエイターのうちの一人、細谷巖氏は私の祖父・丸井金猊が神奈川工業高校工芸図案科(のち工芸デザイン科)の教鞭を取っていたときの教え子であり、また1997年に『丸井金猊とその周辺の人たち展』という展示をしたときには出品協力をお願いし、祖父へのメッセージもいただいているのだ。正直ここで「教え子」だなんて書くこと自体も烏滸がましい存在なのだが、当時の私は怖いもの知らずもいいところで、神工出身の名だたるデザイナーたちに無理難題な協力をお願いしていたのである。今思えばデザインの「デ」の字も知らない分際で、超一流のデザイナーたちによくもあんな無粋なチラシや発行物を平然と送っていたものである(汗)
細谷巖氏に関しては世田美の企画展プロフィールを読んでもらえればと思ったのだが、どうも世田美のサイトは期間が終わると次の企画展情報に切り替わってしまって、過去の企画展は概要のみしか記されなくなるようなので、以下に引用しておくことにした。
finziさんも書かれていたように、細谷さんの作品をご覧になると「ああ、あれもこれもみんなそうなんだ〜」ときっと多くの人が思われることだろう。記憶の片隅からほじくり出してくるというよりは、記憶の中心にどーんと座って一端を見せればすぐに蘇ってくるという感じの作品なのだ。気になる方は「タイムトンネルシリーズVol.19 タイムトンネル:細谷巖アートディレクション 1954→」のページを参照されるとよいだろう。
当時、細谷巖氏にいただいたメッセージはできればここで紹介したいところだが、本人確認が必要と思われるのでこの場では控えることにした。短い文章ではあるものの、祖父から正倉院御物の宝石箱の真珠にからめられた唐草の模写を課題に出されたときのエピソードなども書かれている。当時作った冊子の残部はまだ少々あるので、ご希望される方は谷中芸工展開催時の「谷中M類栖/1f」会場でお申し出ください。
尚、右の書籍写真は2004年10月に白水社から出版された『細谷巖のデザインロード69』という伝風半生記で、神工時代に思い出に祖父の名前も見つけることができる。
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