2005年04月30日 (土)
4/27(水) にNHKの「課外授業ようこそ先輩」ってシリーズ番組でやってた
「過激な家で元気を作れ!」建築家…荒川修作 を見逃した方(=私)、朗報です♪
今夜4/30(土)01:55(もうあと約1時間後)から再放送されまっせ!!
もっと早く書いておけばよかった。
しかし、上記でリンクした URL、ファイル名が「list1.html」なんですけど、毎週ファイル名書き換えてるんだろうか???
2005年04月26日 (火)
施主ブロガーの garaikaさん「庭ができた──苔の帰還 」、yoshiさん「庭師物語-14 」などで続々自家製庭の写真がアップされてるところにちょうど実家からうちの光庭の様子を納めた写真が2枚ほど送られてきたのでここにアップ。
うちの光庭が一番スケール小さいけど、冬場に植えた苗や三鷹金猊居からの持ち込み植木が根付いて青々と茂り始めてるという点で我が家の勝利!(笑)
いや、まあ、もちろんそれは植える時期が早かったからならではの今だけの話ではありますが、しかし、自分で手を掛けた庭というのはかわいいもんなのであります。っていうか、もっと手を加えたかったけど、それは住んだときの楽しみに残しておきます。
ちなみにクリックして見えるかどうか微妙ですが、左側写真 の中央右寄りのところに白い春欄の花が一輪、それから右側写真 の右端中央に木苺の花があり、これらは三鷹金猊居から持ち込んだ植物で、とりわけ私は木苺には愛着を持ってました。ま、基本的に愛着ある植物ってグミ、無花果、金柑、蜜柑、姫林檎、ブルーベリー、キウイ、それから葡萄、木苺、苺と食べられるものばかりだったのですが、この中で谷中に持ち込めた果実植物は「それから」のあとに書かれた3種のみでした。勿体なかったな。
※)これまでてっきり光庭完成時のことはエントリーしたつもりになってたけど、フォトログにアップしただけだったようです。いずれ時間を見つけてアップしたいと思いますが、とりあえず完成直後の様子はこちら から!
※)最初タイトルを「光庭の初春」ってしようとしたんですが、「初の春」のつもりが「初春」とすると別の意味を持ってしまうので、やむなく「春初体験」とせざるを得ませんでした。ちょっとカッコワルイあるね。
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2005年04月25日 (月)
福知山線尼崎駅付近での列車事故だが、事故前日ドミニク・シャニョンのライブ を観に宝塚まで出向いた私は50円安いことからJR福知山線ではなく阪急宝塚線を利用したものの、一つ間違えれば同じ線に乗っていてもおかしくなかったと言える。
そして今日一日報道の続いた事故ニュースを見ていて思ったのだが、もちろん諸々の事故責任は明確にし得るところまで追及しなければならないのは当然として、しかし事故原因の一つと言われる運転士の制限速度オーバーの話を聞くと、ある種、日本人の国民性、また会社という組織の体質そのものが引き起こした事故のようにも見えてしまう。
私自身もそうなのだが、日本人は数分の遅れでもイライラしすぎなのだ。そしてそれがすぐ怒りだとか苦情に結びつき、今度はそれに脅えた会社が社員に対し無言のプレッシャーを与え、挙げ句の果てには責任逃れのための露悪な虚偽行為にまで及んで、最終的に見たくない結末へと導かれていく。
私はこうした悪い流れを堰き止めるのに考えられる現実的な唯一の方法は、やはりただ忠実にいち早く事実を伝えるという方法しかないのではないかと考える。ただ、もちろん「事実」というのは常に確定したものとして捉えるのは難しく、ときに全く異なるような解釈が生まれることもあるだろう。その場合は、それも忠実にそこに見出された二つの異なる解釈を伝えればいい。今回のケースであれば、特別反目し合うような解釈もないので、ただ単に運転士か車掌が無線を利用するなり掲示板を利用するなりして「宝塚駅で8mのオーバーランがありました関係で1分30秒程度各駅の到着が遅れます」と車内および以降の各停車駅で焦ることなく繰り返しアナウンスすればよかっただけの話だ(個人的には車両開発よりも先に全線全車両でしっかり即時情報を流せる電光掲示板やモニタの設置を望みたいところ)。
さて、こうした問題を取り上げたのはすでに察しの付いてる方もおられるとは思うが、シックハウスだなんだとすぐに苦情や責任論に持ち運ぼうとする施主というのがこれと似たケースで多いように思われるからである。もちろん万事が万事のんびりやらせればよいというものではないが、これまた私含む多くの施主は何かと工事を急かしたがりすぎるきらいがあるのではないだろうか?
家づくりというのもまた鉄道と同じく一歩間違えれば大惨事にもなりかねないリスキーな事業なのである。そこで必要以上に業者を急かしてしまうことは、結局は業者からの抑圧で職人を慌てさせるだけであり、ひいてはトラブル住宅なりシックハウスなるものに繋がっていくというわけだ。
ただ、ここでも列車事故同様、業者からは明確な虚偽のない遅延説明がほしい。場合によっては若い職人が何かを反対に打ち間違えたからということだって、ちゃんと説明してもらえればそれについてはどういう考え方をしようといった軌道修正もしやすくなるはずである。というか、まず施主が(あるいは国民が)そうした事実を伝えられたときに、ただ被害者意識に駆られるのではなく、それをどう解釈しどう判断するかのリテラシーを持っていること、それこそが求められているはずのものなのであるが、生憎ニッポンの学校教育は肝心の部分を抜き落として偏差値イライラ国民を増殖させることばかりにご執心のように見受けられるのが残念でならない(私が朝妻さんの著書『家づくりは、はじめてですか? 』を日本の教育批判の本だと思って読んだのも、その本が徹底して「自分で考え判断する」ことに向き合わせようとしていたからである)。
尚、最後にはなってしまいましたが、今回の事故でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
【追記】
その後、色々と事実が明るみになり、本文でも幾つか訂正すべき箇所も出て来ているが(オーバーランが8mとされているところなど)、これについては事故当日に書かれたものとしてそのままにしておきたい。
ちなみに事故前夜、ドミニクライブのあとに三宮で一緒に飲んでたあさみ新聞 のあさみ編集長、ポリタンコスモ の hira さんもこの件についてエントリーされているので、トラックバック受けた aki"s STOCKTAKING と共に以下にリンクしておく。
hira さんのエントリーでは事故車両に乗車していた学生さんの話も収録されている。
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2005年04月15日 (金)
我が家では語学オタクの妻に合わせて大抵一つ二つNHKの語学講座が毎年見られている。で、今クールといえば一番の注目は妻も LBGO で書いてるように笑い飯 の出ているスペイン語会話 。先週の初回分を見逃してしまったもんで、今日はTVに「笑い飯」という紙を貼り付けて忘れないように見た。
スペイン語には男性名詞と女性名詞があって、概ね男性名詞は語尾の母音に「o」が付き、女性名詞は「a」が付くという。その例として「libro(本)」と「casa(家)」が挙げられていた。どっちも日本で固有名詞的に扱われているのでスペイン語を勉強してなくても知ってる単語だけど、「casa」はやっぱり女性名詞なんだな〜。
それを聞いて作家の島田雅彦氏と建築家の隈研吾氏の対談で隈氏が次のようにぼやいてたのを思い出した。
島田雅彦著『衣食足りて、住にかまける 』 (P.27) 隈:建築家の仕事のほとんどは女性相手で、女性が持っている、空間に対するはてしない欲望みたいなものに常に晒されてほとんど辟易しているわけです。その解毒作用として建築家にはホモが多いという説もあって、実際アメリカの建築家はヘテロよりホモの方が多いかもしれない。僕もあんまり女の顔は見たくないから、事務所のスタッフは美青年ばかりですね(笑)。
2005年04月14日 (木)
「祖父から祖母への手紙 」コメント欄の下の方をご覧になればわかると思うが、昨夜、私は一人であくせくしまくっていた。そこでも書いているように同エントリーの本文の文章がコメント欄に自分でコメントした文章にすり替わってしまっているのを見つけたのである。最初は表示上のバグかと思っていたのだが、編集画面のフォーム内を見てもそこにもコメントの文章が来てしまっていて、もはやどうにもならなさそうな状況が見えてきていた。
私はふだんエントリーするのもコメントするのも一旦別のエディタ上で書いたモノをコピー&ペーストする形で投稿しているので、原文が残っているといえば残っているのだが、しかしペーストして公開したあとにもう一度ブラウザ上でエントリーを読み直し、校正をかける。もちろんブラウザやプラットホームの環境差があるのは承知の上で、それでも私は Mac/Safari でもっとも読みよいように微妙に改行部分などの調整を掛けたりしている。
そんな中でも「祖父から祖母への手紙 」は公開後に文章そのものも相当に変更修正を加えたエントリーだった。だから、そのデータが消えたということを認めずには居られなくなったときの喪失感は非常に大きなものだった。エディタ上で下書きしたものを再アップはできるが、それは校正後の文章ではないのである。
もちろんこうした喪失体験はこれまでにも幾度も体験している。一番単純な例としては保存し忘れとか、誤ってデータ削除してしまったとか、、で、そうしたときもしばらくは茫然とするしかないのだが、しかしそれらのケースでは不思議と取り返し可能な力が自分の中に残っていた。もちろん文章をまるごとそっくり再現できるという訳ではない。だが、実際のところ、もう一度書き直したとき、喪失前に書いたものよりもグレードアップした文章に仕上がるのがそうした場合の常である。確かにデータとしては消えてしまったかもしれないが、自分の中で元の文章を書き上げたときの経験が上積み要素となってより優れた文章を書かせてくれるのである。
ところが今回の喪失においてはそうした期待がまるで持てなかった。まず第一にもう一度書き直すなんて気力はまったく持てないし、仮に書いたとしても相当端折ったものになったであろう。で、実際書く気力のない私はとりあえず下書きの文章をそのままペーストして写真についてはソースを自ら書き込んでどうにか体裁だけは復活させる形を取ってみた。だが、何ともやるせない気分になるのである。この際エントリーごと削除してしまおうかとも思ったのだが、すでにたくさんのコメントももらっているので、さすがにそれもしのびなく、如何ともし難い状態。
そこで考え始めていたのが、ネット上のどこかに何らかの形で旧データがまるごと残ってたりしないか?ということだったのである。で、いろいろ考えてふと思い当たったのが Google のキャッシュ 。ここには Google の検索ロボットが巡回時に読み取った情報(つまり何日か前のサイトの状態)が保存されている。だからもしや?と思ったら、案の定4/9(土) 時点のものが出て来てくれたのである。いや〜、このときの安堵感と言ったらそりゃなかったッス!
しかし、今回の経験をきっかけに考えたのが、今回私がデータ上の復活は考えても、頭の中からの書き直しを一切考えようとしなかったのはそれがブログ上の文章だったからではないか?ということである。他の方がどうかはわからないが、少なくとも私はブログの記事をもう一度書き直すというモチベーションをそう簡単には持てそうにない。
[R]Richistyles!「ブログと思考の濃度 」 ブログをはじめてから半年以上がたった。これだけ長い間、安定してものを書いていったのは生まれて初めて。
ニュース、ネタ、雑感、議論といろいろ書いていったが、感想としては特にそれで利口になったとは感じない。ただ、文章を書く作業は早くなったし、文章力はだいぶ伸びた。しかし、これは文章としての中身が良くなったというより、莫大な情報を処理して、それを簡単にまとめたり、適当な意見を書き上げたりする作業効率が上がっただけに過ぎない。
ここに書かれているブログ実感と似たような感覚を私も持つのであるが、どうもブログで書くという行為はこれまで文章を書いていたときのそれとはどこか感覚的に違う。まず、何よりも常に同じフォーマットに従ってエントリーしていくという一連の動作から駆り立てられるもの、richstyles 氏の言葉を借りるなら「処理」という感覚が強くあるのである。それが私にデータ上の復活は考えさせても、内面上の復活にまでは至らせなかった理由ではないだろうか?
実をいうとこの問題を私は最近 garaikaさんが書かれた「オーダーメイド 」とレディメイドとの関係、あるいはアナログとデジタルとの関係において平行させて考えたいと思っているのだが、どうもまだうまく纏められきれず(処理しきれず)にいる。
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2005年04月10日 (日)
週末、妻の実家(広島の庄原市にこの春吸収合併された総領町)にて苗代の手伝いをしてきました。苗代というのは検索サイトの辞書検索結果によれば
苗代 (なわしろ/なえしろ) 稲の種をまいて苗を育てる所。苗代田。田植えが機械化された現在は育苗箱が多く用いられる。[季]春。
といったところで、我々はその苗代となるビニールハウスを押っ立て、育苗箱に籾米を無肥土でサンドし、ビニールハウス内に積み重ねるところまで手伝ってきました。このあと田植えまでの約25日間、積み重ねた育苗箱の順番を幾度か反転させて蒸れ具合を均等にし、発芽した頃から一段ずつハウス全体に並べて行くのだそうです。
上の写真は2002年のGWに田植えの手伝いに行ったときに撮った田植え直前の育苗箱の並べられた様子です。すでにハウスは取り払われ、青々と背を伸ばした苗が田植えの瞬間を待ち構えていました。このあとの追記欄では今回手伝いをした苗代作りの経緯を写真と共に紹介します。
まず最初にビニールハウスの骨組みである竹を差し込むための4cm四方、深さ20cmくらいの穴を掘ります。一応、毎年同じ位置に穴をあけているので、冬の間もパイプを差し込んで目印代わりにしてはいるのですが、それでも細くて深い穴を掘るのって意外と大変。苗代づくりではこの作業が一番重労働なんじゃないかな? 穴は2箇所ずつ掘ったらすぐに竹が弧を描くように両端に差し込みます(穴に小石が落ちるとまずいので)。この作業は最初のうちは義父がやって、途中からは私が担当しました。
またハウス作りと同時進行で女性陣は育苗箱に無肥土を敷き、その上に籾米 を均等に蒔いてからジョーロでたっぷり水をかけてやり、水が落ちたところで再び無肥土を被せるサンドイッチ作業をひたすら続けます。
ハウスの骨組みが完成しました。ハウスの中央部ではすでに籾米を無肥土でサンドした育苗箱が積み重ねられて行ってます。
育苗箱は7枚ずつ間に角材を挟んで重ねるので、わずかな狂いも致命傷になりかねません。しかし、この作業も途中から私に任せてもらえました。
その間、義父は籾米に水を撒いていました。本当にたっぷりたっぷり育苗箱に水を撒くのですが、この水撒きが案外難しいらしく、私はやらせてもらえませんでした。
育苗箱のセッティングがすべて終わってから、ハウスの骨組みをより強固にする作業です。道路側には水平垂直軸にも竹をまわし、全ての交差箇所を紐で縛ります。
竹の骨組がしっかりしたらビニールシートを被せ、ひとまず石で固定したあと、ビニールの左右両端を少しばかり土に埋めます。
そして最後にビニールの上から弾力性のある紐をまわして杭で留め、入り口側にも石を置いて完成。完成後ほんの数分経っただけで、もうハウス内はめっちゃ暑いです。義父曰く、この中に人を閉じこめたら1時間もしないうちに死ぬはずじゃと言ってました。
しかし、籾米はこんな蒸し暑い環境に置いてやらないと簡単には発芽しないようで、、そりゃ考えてみたら、お米が米櫃の中で発芽したりしたら困るもんね。
GW中にまた総領町に行くこと出来たら、今度は田植えの手順をレポートします。
□◇
家のベランダでも稲作は可能です。
Abejas e Colmenas のみつばこさんがブログ始められる前に発芽から稲穂が垂れるまでの経過をまとめられた「種子の時間 」をご参照ください。そして収穫の少し前にブログを始められたようで「収穫 」だけはブログ内でエントリーされてました。
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2005年04月05日 (火)
もう数週間くらい前になるだろうか。母から1F縁台通路下の収納に入れておいたヴァイオリンケースに厚さ数ミリの黴が生えていたという電話があった。私はその状況を見てないので何とも言い難いところだが、黴を見つけた母はやや一大事といった口ぶりで、ただ、すぐに工務店や設計事務所に苦情連絡するようなことはしてなかったので、ひとまずほっとした。
この問題、一概に設計・施工側に責任を求めるのは誤りである。というより、その責任の比重はどちらかといえば施主の方にあり、より厳密に見るならば諸々関係性の間において生じてしまったと見るのが正しいところだろう。
我が家の1Fが空調面において他の居住スペースとは異なるハイテク装置(エアカルテット)を導入していることについては去年7月の「設備点検&指導 」のエントリーで書いた。この選択は祖父の日本画作品保存を第一に考えてのもので、室内はほぼ一定の湿度を維持し、常に浄化された空気が循環するシステムが採用されている。ただ、その仕組みは作品収蔵庫にまでは適用させていたが、さすがに縁台通路下の小収納までは非対応だったのである。
つまり1Fは空調万全だから心配無用という油断がつい我々の間で働いてしまったというわけだが、こうした問題は住人がふだんの生活でもう少し家の隅々まで気配せする習慣を身に付けていれば未然に防げたろうにとも思えてしまう(特にまだ住み始めて間もないわけだから)。だが、この件は毎度の家族への愚痴に繋がるのでこれ以上書くのはやめておく。それよりももう一点、こうした問題を誘発した遠因として考えられるところについてここでは触れておきたい。
引越作業時にヴァイオリンをその小収納にしまったのは他ならぬこの私なのである。結果的に仮住居から新居への引越では計3回も(※) 引越業者に来てもらうことになってしまったのだが、実家家族が仮住居の荷詰め作業で手一杯なため、私は主に谷中新居側の到着済み荷物の整備に当たることになった。整理でなく整備と書くのは、私が自分や祖父関係以外の荷物まで開封して整理収納してしまうと後々余計な混乱を招き兼ねないので、とにかく次の引越屋が新たな荷物を持ってきても邪魔とならないスペースを作りつつ、段ボール箱をワレモノや軽いモノ、日常すぐ使いそうなモノが上に積まれるよう、すなわち整備してたというわけである。
そんな中でヴァイオリンは当初から収納場所が決まっていたので、特に疑うこともなく想定された収納位置に放り込んでいた。ただ、当時の私は在京に期限がある以上(それでも1週間くらい延長したのだが)、自分や祖父関連のモノを整理するだけでもギリギリ一杯で、とてもじゃないがそれ以外のモノの状態にまで気を配っている余裕はなかった。だから言い訳するわけではないが、ヴァイオリンを収納する場所の除湿にまでは頭が回らなかったのである。しかし、もしここで母が最初からそれを自分で片付けていたなら、その時点で除湿のことをすぐに考えていたかもしれないとも思うのである。だが、母は母で当時はキッチン回りなどの整理でそれどころではなかっただろうし、とにかくそうしたドタバタの中でヴァイオリンの存在は1Fだけは大丈夫という油断とも相俟って置き忘れられたような状態になってしまったのである。
幸い、黴が生えたのはヴァイオリンケースだけで、中のヴァイオリン本体は無事だったというから安堵はしているが、ヴァイオリンケースが皮で出来ていることを考えれば、早めに除湿対策を取っておくべきだったことは言うまでもない。ただ、それに気づくべき立場が1Fだけは万全!という油断と、引越時のドタバタによって宙に浮き、曖昧なまま日が過ぎてしまったのである。
こうした問題の責任を問うのはなかなか難しい。というか、こういう事態に遭遇したとき、自らを顧みず何でもかんでもシックハウス呼ばわりで業者に責任を押しつけるのは大きな誤りだ。また反対に何でもかんでも責任を自ら背負い込んでそれで一件落着にしてしまう態度もそれはそれでどうかと思う。肝要なのは、そうしたトラブルがどういう経緯でどのような関係の中で生じたかを冷静に分析して把握することである(大方のトラブルは関係性の間=伝言ゲームの最中において起こりやすいものなのだから)。そういう意味で私はNHKの海老沢会長が全容解明してから辞任すると言っていたその姿勢に対してだけはある一定の評価を与えたい(もちろん腹のうちでは視聴者を誤魔化すためだけの延命策だったのかもしれないが、それはさておくとして)。
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2005年04月01日 (金)
うちの裏手、アランさんのアトリエの近くに立ってる看板なのですが、抑止効果のほどや如何に?
しかし、ふと思うに前科のないドロボウってドロボウをするまではドロボウとは言えなさそうなので、「ドロボウ侵入禁止」という言葉が適合しないのではないか?と、、せめて「ドロボウ退出禁止」とか「関係者以外侵入禁止」とか、、でも、それを言い出すとドロボウってのも最早関係者ですな(汗)