2008年02月29日 (金)
1975年4月, 東京都三鷹市, 三鷹金猊居前にて
「いろはに木工所 」のランクイン以外は特に目新しい変化のない今月。ブログ再開したものの、大したエントリーを書く間もなく終わってしまったのだから当然といえば当然だが、ただ、それとは全く関係なく、これまでアクセス解析画面をスクロールしないと出てこなかった祖父の名前が19位まで浮上してきたのが何とも喜ばしい。
これは現在水面下で動いている企画を知る人がアクセスしてくれているのだろう。感謝したい。その水面下の企画は諸般の事情により4月に入るまで告知できないが、4月に入ったらすぐこのブログ上でも告知する予定である。4月1日にというのも何やけど。
軍艦アパート 10.8% 上棟式 2.8% 谷中 2.0% グヤーシュ 1.6% いろはに木工所 1.5% 遊郭 1.4% 高過庵 1.2% 山門不幸 1.1% 臭突 1.1% 無印の家 1.0%
先月(2008年1月)の解析結果はこちら から。
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2008年02月13日 (水)
2006.11.26 16:48, 韓国ソウル市中区(南大門), Nikon D50/18mm
ソウルの南大門の名で知られる崇礼門(崇禮門 )が放火されるとは!(朝鮮日報魚拓 )
2006年秋に門をくぐってきてるだけに、あれま〜の感は強い。まあ、確かに警備は門番いたっけな〜というくらいに手ぬるい感じではあった。写真右下に SECOM のマークが見えてるが、監視カメラなども「無用の長物 」で終わっていたということらしい。ただ、個人的にはこうした事件を機に世間が監視強化を是とする方向に傾き、それに国が便乗するのはあまり好ましいことだとは思わない。形は違うが、姉歯事件により建築基準法が改正されるという対症療法的な法整備を想起してしまう。
朝鮮日報では、すでに「再建に使う木材は? 」という記事も書かれ、補修工事の予算は2〜3年掛かりで約23億円と見込まれているようだ。文化財庁は「日本統治時代に改造された崇礼門の左右の城壁も原型通り復元する計画を打ち出している」らしいが、できることなら今回の火災まで含めた歴史的経緯の見える再建計画を立ててもらいたいもんである(国宝指定の問題 で右往左往なんぞしてないで、ある意味 Wikipedia 的にね)。
ちなみに2006年時点の門前の説明書きには以下のようにしか記されてなかった。
ソウル崇礼門 (スンネムン) この門は、ソウル城郭の正門である。また、城郭の南側にあるため、南大門とも呼ばれている。朝鮮第1代王、太祖7年(1398) に創建され、第4代王、世宗30年(1448) に大々的に改築された。
上下階が、正面5間、側面2間のこの門は、典型的な多包様式の建物で、しっかりとした木造建築物の技術がここに見られる。また、現存する城門としては、韓国最大の規模を誇っている。門に掛かっている扁額の字に関してはいくつかの説があるが、《芝峰類説》には、第3代王、太宗の長男、譲寧大君が書いたと記録されている。
門をくぐり、天井を見上げると龍の天井画があったんだが、そのことは Wikipedia には触れられていない模様。
flickr に写真をアップしたら、タグ 伝いにメディアでは流れていない火災現場の様子 なども見ることができる。言ってしまえば、それもまた記念撮影の場と化しているといっても過言ではないのだが、それに対してとやかく言える立場では自分はないようだ。
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2008年02月04日 (月)
2003.12.02 11:30, 東京都台東区谷中(谷中M類栖敷地), MINOLTA DiMAGE G400
2月2日、所用により近鉄電車を利用して名古屋まで行った。その道中、二度ほど地鎮祭の風景が目に入ってきたのだが、それを見て改めて地鎮祭っていいもんだなと思った。
理由は別に土地の神(霊)を鎮める神道思想に則りというほど、自分は信心深い人間ではない。ただ単にその空間がまだ「風景」であることを担保しながらも「建築」となることを天に向かって示しているような、それでいて慎ましくも空虚な感じであること。
昨日たまたま読んでいた福岡伸一著『生物と無生物のあいだ 』で出てきた言葉を借りるなら「界面」と言っていいのかもしれない。それは空間上ではなく、時間軸上の話ではあるが、しかし、新幹線ほど速すぎない近鉄特急の車窓からはっきりと目で捕らえることのできた地鎮祭の風景は、地平上の「界面」であるとも言いたくなるものであった。
2003年12月2日、我が家も先勝の日に地鎮祭を行った。改めて「地鎮祭 」エントリーを掘り返してみると、近鉄の車窓から見えた地鎮祭風景に較べ、我が家の注連縄 (しめなわ)で四方に囲われた領域(祭場)の小ささにはびっくりする。当時はナンチャッテ地鎮祭のつもりだったので全く気にも留めなかったが、こんなにもかわいい感じだったとは! 写真で見る限り、四方約1.5mくらいしかない感じである。そこで気になって調べてみると「地鎮祭の調度品 」「地鎮祭などの祭事コラム 」などによれば、敷地中央付近に2m間隔でとのことだが、Google イメージ検索 で見ると、大小様々のようにも見える。もちろん敷地の大きさにも拠るだろうが、地域差なんてのもあるのだろうか。
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2008年02月02日 (土)
2008.02.01 17:31, 大阪市西区九条(シネ・ヌーヴォ ), Nikon D50/24mm
前エントリーで「家づくり」に立ち返って‥‥と方針転換を示唆しておきながら、いきなり何だが、学生時代からの友人がユニット監督・撮影を担当した(総監督は別)映画『 東京ソーダ水』が東京・大阪でロードショー中なので紹介しておく。
東京ソーダ水
めくるめく東京。変わりゆく8人の女の日常(ライフ)ドキュメンタリー。
東京:渋谷 アップリンクX 2月15日(金)まで
大阪:九条 シネ・ヌーヴォ 2月7日(木)まで
前売り価格で鑑賞できる当日精算券予約はこちら
まだ放映中なので内容に踏み込むのは控えるが、個人的に新鮮だったことを一つ。
途中スクリーンを4分割するシーン(つまり4人分の女の日常)が何度か出てくる。当然最初それは違和感をもって迎えることになるのだが、そんな違和感を抱きながらもそれら4つのシーンが観れてしまっている(ら抜きだが、何か「観れて」と言いたい)。それがこの映画の目方なんだろうなと観ている途中から思っていた。
とっころで、この8人の女の中にうちの妹が入ってるってのを観てみたかったな。
‥‥とここで無理矢理「家」絡みの話を挿入。「変わりゆく東京」という以前の谷中M類栖なら取り上げそうなネタもあったのだが、仮に方針転換を図ってなかったとしてもあまりここで取り上げようという気にはなれない。ただのフリのようにも思えた。
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2008年02月01日 (金)
2008.01.07 16:54, 大阪市北区天満(桜ノ宮橋), Nikon D50/35mm
「blog 開始 」のエントリーから4年が経つ。ここ半年くらい更新をサボッていたので余計にそうなのかもしれないが、その間に自身のブログというメディアの受け止め方は随分変わったし、また日常的に見ているブログの傾向もすっかり変わってしまった。
「家づくり」という高揚感は、当時の自分を、その志向から周辺環境(交友関係)まで大きく変えたが、年月とともにそれが冷めてきたとき、どこか家づくりを始める前の自分に舞い戻っているような気がしなくもない。そんな折、20代の自分という存在に大いなる影響を与えてくれた友人が死んだ。その出来事は自分にとっては不思議と出来事感を一切感じることなく自然と受け止めることが出来たが、それが回り回ってきたなりの30代の経験の垢ということなのか? そこはまだよくわからない。
Custom Field 標準搭載の Movable Type 4.1 がリリースされたが、この谷中M類栖でそこまでの機能拡張は不要なので、ver3 台の最終形である MT3.35 に MT3.21 からスモールバージョンアップして、リスタートを切ることにした。ただし、このバージョンアップにおいても、タグの標準搭載という結構な変化があり、それまで Tagwire のプラグインで無理矢理宛がっていたタグは一旦捨てて、面倒ではあるものの、徐々に再入力していこうかと考えている。何せ、前タグリスト はあまりにぐちゃぐちゃだから。
それともう一点。過去エントリーにタグを再入力する過程で、当時のことを振り返るエントリーをしても良いかな〜と思っている。どうもネタ切れから、家づくりとは近しいようで、実は反対の方向を向いていた「まち・建物探訪 」のカテゴリーを安易に作ってしまったところからこのブログに対する意欲は落ち始めており、もう一度立て直すには「家づくり」とがっぷり四つだった頃の過去エントリーを見つめ直すところから着手した方が賢明と踏んだ。その流れで、過去エントリーよりもさらに過去の経緯についても触れられたら、それは当初このブログで目論んでいたことと一致する。
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