この行器、実はこれまでどういう漢字なのかを知らなかった。基本設計期間中に「家具・建具・古材 再利用リスト」を用意したときにもそこではどういう漢字なのかわからず「ほかい」と平仮名で書いてしまっている。「ほかい」という呼称を教えてくれた母も漢字まではわからず、前任建築家たちとの間でも、豊田さんとの間でも「ほかい」と平仮名のまま、図面上に記入され続けてきたのである。今にして思えばググれよ!と言いたくなるところだが、当時もググってはいたものの出て来なかったのか、その辺のところは忘れてしまった。
近江八幡の歴史民俗博物館ではその行器に「行器(食器を運ぶのに用いる容器)」というキャプションが付いていて、もちろんふりがなも振ってあった。
ちなみに私は漢字や読み方は知らなかったものの、用途については子供の頃から知っていて(実際うちの行器にも器が入っていた)、それをなぜ知っていたかをこれから書くこととしよう。
小学校の何年生の頃だったか忘れたが、「附子(ブス)」という狂言を学校で観に行ったことがあった。太郎冠者と次郎冠者という二人の召使いが出てきて、主人が留守にする間、ある容器(附子)の蓋を開けるなと命じられる。その附子の中には本当は砂糖が入っていて、それを主人は留守中、誰にも食べられたくなかったので「附子を開けると中の毒で死ぬぞ!」とまで脅して出掛けるのだが、太郎冠者と次郎冠者は興味に駆られて附子を開けてしまい、さらには中味を全部食べてしまうという話である。
・・と思っていたら、実際のところはちょっと違った。
狂言 「附子」というページなどによると、まず「附子」というのは容器ではなくて、植物から作る毒(何と!トリカブトらしい)のことで、主人はその容器には本当は砂糖が入っているのに「附子(毒)が入っているから、その風に当たってもいけない」と二人を脅して出掛けたのだそうな。当時から国語に関しては至って低脳だった私が如何にも犯しそうな勘違いではあるが、国語嫌いの私でもこの話は妙にインパクトが強かった。なぜって「ブス」だからである(笑)
そしてこの学校で観に行った狂言では「附子」を入れた容器に件の「行器」が使われていたのである(ちなみにその容器は壺だったり、桶だったりと多説あるようだ)。なので、当時の私は「うちにはブスがある」としきりに自慢していた記憶が残っている。
ここで悪戯好きの少年であれば、当然さらなる好奇心に駆られることだろう。すなわち「うちのブスは大丈夫だろうか?」と。そして私も親や祖父母には内緒でこっそりブスの蓋を開けてみたのである。すると何と言うことはない、そこに入っていたものとはまさしく行器の用途そのままに漆塗りの器(茶碗)だった。あのときのがっかり気分(+ひそかな安堵感)と言ったらなかった。そういう体験は得てして後々まで残るものだ。
基本設計で三鷹金猊居から谷中へ持って行く家具類をリストアップしていたとき、私は言うまでもなく当初「ホカイ」を「ブス」と呼んで話していた。当然、ほどなく母からのツッコミを受けることになるわけだが、それでもその漢字は知らぬまま数年、それが今回の近江八幡の旅で「行器」という漢字に辿り着き、何となく私は少しだけ自分が大人になったような気分がしたのである。
【写真上】2002.10.04 01:36, 三鷹金猊居 畫室 床の間にて
【写真中】2005.05.25 09:38, 谷中M類栖1階 展示スペース(ちなみに行器の手前の趣味の悪いカバーは、当時、実家では無用でしかなかった電動アシスト自転車に被せられていたものである。現在その自転車は私が大阪まで乗り帰ったため、ない)
【写真下】2006.07.15 16:40, 近江八幡 歴史民俗博物館にて
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