2006年06月18日 (日)
妻と大阪歴史博物館 に初めて行ってみた(詳細は LBGO「大阪歴史博物館 」へ)。
本当はチャングムグッズを求めて NHK大阪放送局に行くのが目的だったのだが、グッズコーナーにはチャングムの携帯ストラップしか置いておらず、5分と時間を必要としなかったので、隣接する大阪歴史博物館に入館したのである。ところがここが思いのほか面白く、閉館1時間前に入館したのは失敗だったと思ってしまったくらいだった。
とりわけ興味深かったのが難波宮に関する資料である。恥ずかしながら私は今年になるまで難波宮の存在すら知らなかったのだが、4月に玉造神社への行き掛けに遺跡を思わせる広場に出くわし、その存在が気になり出したのである。大阪市都市協會 が歴史散策 というページでも紹介しているが、ここでは Wikipedia 冒頭の文章を引用しておく。
ちなみに現在では宮殿のあった場所は若者のダンス練習台と化していた(^^;)
Wikipedia「難波宮 」 難波宮(なにわのみや)は、現在の大阪市中央区にあった飛鳥時代・奈良時代の宮殿。それまで史書には載っていたが、所在地は不明なままであった。1961年(昭和36)、山根徳太郎らの発掘により、聖武天皇時代の(後期)難波宮・大極殿跡が発見されその存在が確認された。さらにこれより古い飛鳥時代の宮殿址も見つかっており、これは前期・難波宮と言われる。
山根は発見当時、「われ、幻の大極殿を見たり」という発言を残した。
ところで大阪歴史博物館の7階・近代現代フロアは当時の代表的な住まいや暮らしを再現したセット空間だった。こういう大正・昭和レトロ再現空間って最近流行ってるらしいけど、私個人は古いものが好きな割にそれほど心動かされることがない。むしろ私が興味を抱くのは当時の書籍とか新聞、紙幣、または映像といった情報資料である。これをちゃんと見ていくと、この博物館は丸1日掛けても足りないくらいに充実している。7階の近代現代フロアもセットだけだったら素通りだったろうが、当時の映像が映し出されるモニタが数カ所置かれていたので、閉館時間が迫ってるのが惜しくてならなかった。そんな近代現代フロアは一部吹き抜けになっていて、8階からも見下ろすことができる。その8階を先に歩いてたときに妻に指さされたのが冒頭の写真だった。
つまり、既に在りし日のうめだ阪急百貨店が組み込まれたコラージュ写真である。
もうその阪急も今では解体工事のパネルで外観も完全に覆われ、伊東忠太の壁画も取り払われ、ゴリモンな日々「梅田の街は“白い壁”でいっぱい 」によれば 7月11日からはいよいよコンコース自体が通行止めになるのだそうである。
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