July 12, 2005

帰る家

先週末、谷中の実家家族と私共夫婦合わせて5人で、愛知県一宮市北方町の木曽川べりにある母方祖父の墓参りに行ってきた。先月行った諏訪の墓には祖父母ふたりの遺骨が眠るが、こちらはM類家代々の墓から数百メートル離れたところに分骨された祖父の骨だけが埋葬されている。要するに代々の墓はもう飽和状態なのである。曾祖父母の代までは土葬だったという話だし。。(汗)

以前「家と命」というエントリーで細木数子の暴言を引き合いに出して、しかしながら家が出来たからにはご先祖様にその報告と感謝の気持ちは伝えておいた方がいいんじゃないかということを書いたが、竣工してもうすぐ1年というところでようやく墓前でのその機会は得られたということになる。血族ではない父も何となくそれを気にしてたらしきところがおかしかった。何はともあれ、我が家の新築に亡くなった祖父母の関与するところは大きいのである。

ところで旅疲れを抱えてそれぞれ帰京・帰阪してからの電話で母に聞いてみた。
「もうすぐ住んで一年経つけど、どう? その家がもう帰ってきたなって感じの家?」
すると母も父も妹もドカッと腰を下ろせる場所はもう完全に谷中になってるとのこと。
実際、私にとってのそういう場所は谷中ではなく、現在住んでいる大阪になるのだが、家族にとって谷中がそういう場になったという話を聞くのはホッとするものである。

祖父の命日の日に(1979年7月12日永眠)


by m-louis : July 12, 2005 04:37 AM
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comments

はじめてカキコミさせていただきます。
今回のエントリおよび以前のエントリ「家と命」を拝見し、先祖と家、あるいは墓と家について新たに考えさせられました。私のブログでは昭和初期における墓巡りを趣味とする人たちのDBをつくっているのですが、その当時の家・墓・先祖の関係を考えるのにヒントを頂いたような気がします(明確にはまだ言語化できないので申し訳ないのですが。。。)。ひとまず御礼までにて。

by: monodoi : July 14, 2005 03:46 PM

>monodoiさん
はじめまして。カキコミありがとうございます。
それにしても墓巡り趣味ってものもあるものなんですね。
とすると、谷中はやはりメッカということになってくるのでしょうか?

ちなみに聞くところによると「建築」という人間の営為はその起源に遡ると「家」を作ることよりも「墓」を作ることの方が先だったという話を聞きます。
それだけ人の「死」というものに対する畏怖の感情は大きかったのではないかと思われますが、それがまた現代において「墓巡り趣味」という形でDB化の欲望へ繋がっていくというのは非常に不思議な感じがしますね。

by: m-louis : July 14, 2005 11:51 PM

>m-louisさま
レスありがとうございます。
墓巡り趣味のことをその筋の用語では、
「掃苔」(そうたい)と呼びます。
苔むした墓の掃き清めることから転じたようです。
墓が多くなった状況下で発生した趣味と推測され、
江戸時代にはすでに存在した模様です。

江戸が東京になってから以降、
東京には墓地が激増しましたので、
たとえば青山や多磨など、
もちろん谷中も掃苔のメッカですね。

また「墓」も「建てる」と言います。
「死後の棲家」とも言われる墓ですが、
この点は「建築」という営為と比較しつつ考察すると、
とても興味深いことになりそうですね。

by: monodoi : July 19, 2005 08:56 AM

>monodoiさん
「掃苔」って言葉は知りませんでした。
辞書検索すると、読んで字の如くで、趣味でなくともフツウに墓参りすることも指して言うようですね。
「谷中墓地掃苔録」という本も出ているようです。
http://www.yanesen.net/books/other/1124/
編著は森まゆみさん。

しかし、最近は墓のマンション化も進んでいるようなので、そのうち墓のデザイナーズマンション化も出てくるのでしょうか?(笑)
それに赤瀬川原平氏の一風変わった家「ニラハウス」を建てた藤森照信氏は彼の墓までも作ってしまったらしいですね。最近は霊柩車のデザインもやってるとかいう噂。
いずれにせよ近い将来、墓も何でもアリ状態になってきそうな気がしてなりません。

by: m-louis : July 22, 2005 01:47 AM
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