September 10, 2004

光庭考

まず光庭の具体的イメージを考えていく前に「光庭」という言葉自体に触れてみたい。
実は私自身「光庭」という用語を豊田さんの書かれた1F平面図を見るまでは知らなかった。いや、読み知った言葉ではあったかもしれないが、朧気ながらイメージできる言葉だったので、厳密な語義を知ろうとしていなかった。
確か打合せの席上では「ひかりにわ」と言って話もしていたので、その読み方に間違いないと思うのだが、広辞苑には出ていない。代わりに「こうてい」で探してみると「後庭」(※1) というのが出て来て、それはうちの庭を表現するのにある意味もっと適した言葉だったりする(笑) だが、その意味は「光庭」の活字が持つイメージとはだいぶ違う。もちろん「こうてい」で調べても「光庭」は出て来ない。

しかし、Google で検索すると「光庭」の検索結果は約333,000件に及び、そうマイナーな言葉とも言えなそうだ。ひとまず建築士の我流な庭づくり講座・気ままな庭というサイトの「自分流に愉しむ気ままな庭づくり、光庭」という記事に光庭のニュアンスを伝える文が出ているので、それを一部引用しておきたい。

「光庭」。ひかりにわ。読んで字のごとく、光の庭。建築で使う言葉です。例えば、五階建てのマンションだとして、建物の外周が全部バルコニーになっていて、建物の中央部にある階段や玄関まわりが暗いときに、吹き抜けをとったりします。その吹き抜けは天空の光をとり入れるためのものですね。そして、その吹き抜けの底が、「光庭」といわれる庭です。
 しかし、庭といっても、光庭ではほとんどの場合は植物が植わっているわけではありません。もともと暗い場所ですし、そういう建て方をするくらいですから敷地に余裕があるわけでもありません。草木を植える庭という概念はありません。たいていは、狭い井戸の底のような空間。それでも天空の光の力は絶大で、ひと息つける空間になるわけです。何もないときもありますが、椅子が置いてあったり、ファウンテンがしつらえてあったりします。場合によっては石庭だったりします。

また、集合住宅博物館というサイトの新・集合住宅史という記事の最後の方に「光庭」の起源的なことが書かれているので、その内容については全文引用しておきたい。

■光庭(ライトウェル)...1904年 ゲスナー(ドイツ)
 19世紀の産業革命によって、欧米の諸都市に人口が流入し、増築を繰り返し街区がどんどん建て詰まっていく。それにともない中庭の規模もどんどん縮小され、結果として光庭程度の大きさの中庭ができてくる。しかしこれは計画の産物ではない。
 計画してつくられた「光庭」は、ドイツの建築家ゲスナーの発明とする。ゲスナーは、オウエル(サクソニー)で生まれ、ドレスデンとベルリンで建築を学んだ理論家であり実践的な建築家である。1897に自分の事務所を構えるまでに、アルフレッド・メッセルらの事務所で修行していた。
 彼は、平面計画の理論的な分析をおこない、光庭とそれを囲む部屋の構成の最適解を生み出した。光庭は、小さなホールと玄関をもつ暗い廊下をなくしたばかりでなく、それまで縦に並んでいた居間と寝室の関係を機能的に配列することを可能にしている。
 1904年のモンセンシュトラーセ、1905年のニーズアシュトラーセの住棟に「光庭」がみられ、階段室とホールを明るくし、住戸を開放的にしたかを示す優れた例となっている。

以上、多少の脱線要素まで加えたが、上記の引用記事などから類推すると「光庭」とはどちらかという植木があって何があっての庭というよりは、自然光を採り入れるためのスキマ空間と捉えた方が良さそうである。国立国会図書館などがその極端なわかりやすい例になりそうだ。

さて、そうした語義に忠実に従って見たとき、我が家の庭が「光庭」となりうるのかは、実は私自身の中では四季を通して確認してからでないと何とも言い難いところがある。とりあえず私は夏しかまだあの家を経験してない訳だが、少なくとも日差しの角度が高くなる夏においてはあの場所は充分「光庭」だった。

しかし、こうして私が「光庭」という語句に対して妙に慎重な姿勢を見せるのにはちょっとしたワケがある。それはこの家作りの計画が始まった中初期の頃(2002年12月頃)に話は遡るのだが、その頃お願いしていた前任建築家のMH氏とそこの場所に庭を作るか否かで大議論になったのである。そのとき私はそこに是非とも庭がほしいという主張をして、結局、半ば強引に建築家に受け入れてもらうことになったのだが(そのときの議論内容はいずれ書き起こすことになるだろう)、そこに庭スペースを作ること自体がMH氏には大いに心配されたのである。そしてその理由は「光庭」という言葉を使われた豊田さんとはおよそ対極のものであった。

敷地の北側にある上に、一乗寺の4mの境界塀、そして我が家の10mの高さの壁に囲まれた空間に光など差し込むべくもなく、ましてやそれが庭として気持ちいい空間になるはずがない。

MH氏の心配は乱暴に纏めれば確かこんな論旨だったと思う。
ただ、私自身はその場所に光が入らないというのも承知の上で、尚且つ、それでも庭が欲しいと言っていた。それは京都在住時代、町屋にはさほど有名でもないお店でもちょっとしたところに小庭(坪庭)があったりして、それが何とも気持ちを落ち着かせてくれたのだ。中にはまるで光の入って来そうにないジメジメした坪庭もあった。しかし、それはそれでまた別の味わいがあるというか、むしろそれを効果的に見せる演出のなされた場所などいくらでもあった。だから私は仮にそこが悲観すべき場所であったとしても、小庭スペースが欲しかったのである。

とはいえ、さすがに私にとってもそのスペースは「坪庭」というのがせいぜいであり、あるいはさきほど広辞苑で出て来た「後庭」ってあたりが妥当な消極スペースとしての認識だった。ところが豊田さんの図面には「光庭」というポジティヴな言葉が用いられ、ビックリ&慎重にならざるを得なかったのである。まあ、豊田さんの計画になって建物の一部が高さ10m→4mとなり、以前よりは光が入り込みやすくなったという実情も「光庭」という言葉の選択に加味しているのかもしれないが。。いずれにせよ今度の上京時になぜに豊田さんが「光庭」という言葉を使ったのかは聞いておこうと思う。

□◇
※1)後庭(こうてい)
【広辞苑】(1) 家の後ろの庭。(2) 奥向きの宮殿


by m-louis : September 10, 2004 08:29 PM
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