March 06, 2004

上棟式

上棟式当日、大阪からやってくる妻と待ち合わせるため、家族よりも先に仮住居を出る。
10時過ぎ神田駅のホームで落ち合い日暮里で下車。いったん初音すまい研究所に荷物を預けて敷地まで行ってみる。
しかし計画が始まって約1年半。なんとこれが妻の敷地初見分なのである。思えば東京に来たのも三鷹金猊居解体時の手伝い以来か? 土地探しをしていた時分に谷中を訪れる機会は一度あったが、そのときにはまだこの土地は候補地としてあがっておらず、半径100m以内のところは歩いていながら生憎その前は通らなかったのだ。

040306_1045_iron.jpg敷地にはアランさんのアトリエの前を通ってお稽古横丁側から行ったから、妻にとって最初にうちの敷地で目にしたものはタラップであった。敷地では基礎工事で使っていた足場用の鉄板を搬出する作業が行われていて、現場監督の山本さんがいらしたので軽く会釈を交わす。言問通りを挟んで向こう側からしばらく敷地を眺めたり、あとはすでに妻より先に敷地に足を踏み入れた経験のあるウッくんケッくん(※)が得意顔になってるところを記念撮影したり(右の写真はウッくん)。そして打合せ予定時刻の11時ちょっと前に SCAI THE BATHHOUSE の前を通って初音すまい研究所に戻った。初音すまい研究所での打合せ内容に関しては別稿にて。

040306_1413_hebi.jpg13時少し前に打合せを切り上げ、予定通り豊田さんオススメの蕎麦屋「鷹匠」にて昼食。このレベルの蕎麦が味わえる店が近くにあるというのは何とも嬉しいものだ。個人的感想を言えば、蕎麦以上に豆腐が美味しく、またなぜかここのエビスビールが異様に美味かったのだが、それは気のせいというものか? 食後はぶらぶらとへび道〜よみせ通り〜谷中ぎんざ〜初音のみちを通って、しばし谷中散策。初音すまい研究所に戻り、上棟式用の荷物をまとめて再び敷地へと向かう。

040306_hai.jpg15時、敷地にはすでに阿部建築の皆さんはじめ、鳶&鉄骨職人さんたちも集まっていて、お酒、軽食の準備も整っていた。さっそく一同揃ったところで棟飾(※)に向かい、阿部さんの先導で二拝二拍手一拝する。その後ろから山本さんが御神酒、塩でお清めを行い、同じ所作を建物の四隅で繰り返した。

040306_munekazari.jpgそして施主挨拶(※1)。これに関しては事前に言い渡されていたので、この手の挨拶を苦手とする私は原稿を臨んだのだが、それが大失敗だった。まず何より原稿が長くなりすぎたのがまずかったが、場の空気のまずさにすぐ気づきはしたものの、読み始めてしまった手前、途中で端折るタイミングがつかめず、どうにか途中で無理矢理読み終えはしたものの、まあ、何とも跋の悪い思いをするばかりだった。やっぱりこういう挨拶は極力短く、そしてみんなの顔を見ながら話した方が良いようだ。しかしまあ、途中で終わらせてしまってもいるので、追記にその用意していた文を全文掲載しておこう(※1)。たぶん誰が見ても呆れるだろうが、本当に長いんだな、コレが(笑)
でも、ま、いろいろ感謝したくなってしまったのよね、ここまで来るの大変だったし。。

040306_snap.jpg施主挨拶の後は阿部さんの音頭で乾杯。茶菓子を摘みながらしばし談笑の時間とはなったが、何となく皆が身内同士で話してしまい、正直、職人さんたちと和気藹々といった風にはなかなかなれなかった。というか、私があんな長々施主挨拶なんぞしてなければ、もう少しみんなが互いに紹介しあえる時間など持ててもっと和やかな雰囲気になっていたかもしれない。こういう経験ってもうそうそうないだろうが、挨拶に関しては一つ学んだかなという感じである。

040306_1526_2f.jpgその後、豊田さんに先導されて2階まで家族全員上がる。まだ折板が敷かれただけの状態なので、階段の踊り場からしか見られなかったが、遠目でもバルコニーから言問通りに沿ってかなり遠くまで見渡せることがわかった。式後に工事を再開したいということで、あまりじっくり伺い見ることはできなかったが、この時点では2階にあがった印象ってのはそれほど強烈なものはなかったかもしれない。3日に1階だけではあったものの、かなりじっくり中をまわっていたせいもあったろう。下に降りてから一応全員で記念撮影させてもらって、帰る前に私は職人さん一人一人によろしくお願いしますと挨拶してまわった。そのときにはみなさんと一言ながらも目を合わせながら言葉を交わすことができて、ようやく和気藹々に通ずるものを感じることができたかな? ヘンに頭でっかちにならずに最初からこういう挨拶の仕方をしていればよかったのである。とはいえ、それは一人一人と話したからこそ感じられたことで、挨拶という場ではどうにもならない話かもしれないが。。

式後はさすがに家族全員疲れ切ってしまい、父はそのまま帰宅。母・妹・妻とは芋甚で甘味を食べたが、豊田さんから誘われていた上野桜木会館での19時からの手嶋さんのレクチャーは最終的にお断りし、この日、妻と私の二人分、宿泊の予約を入れていた澤の屋旅館で22時前には寝てしまった。ちなみにこの旅館、浴場が男女別になっておらず、鍵を掛けてプライベートに入れるので、夫婦向きと言えるかもしれません。やっぱり大きな浴槽はキモチイイ♪


□◇
※1)上棟式挨拶
本日は生憎のお天気の中(※2)、みなさんお集まりいただき、ありがとうございました。
私がこの家の施主のM類と申します。あれ?なんだか妙に幼いぞ!と思われるかもしれませんが、その通り33歳の若造です。世間で言うところの名なり功なりを成して居を構えようというのでは決してなく、祖父の遺産をたまたま引き継いだ私が身分不相応ながら施主の責を引き受けることになりました。常識知らず経験足らずなところも多々見受けられると思いますが、何卒ご容赦のほど、よろしくお願いします。

この家作りは計画が動き出したのが2002年の7月。準備不足で始動してしまったせいも多いにあるのですが、最初に依頼した建築家とうまく行かなくなってしまうという予期せぬ事態に陥り、行き詰まっていたところを救ってくださったのがインターネットで偶然発見した阿部建築さんでした。ちょうど去年の今頃のことです。
そして翌月には初音すまい研究所の豊田さんを建築家として御紹介いただき、再起動。その後は概ねトントン拍子で計画も進み、こうして上棟の日を迎えることができました。

実は私は大阪在住でして、工事の様子はときどきしか確認できないのですが、それでも根切り工事や基礎配筋、建方後の仮設工事の様子などを拝見し、どの工事も興奮しながらデジカメのシャッターを何度も切ってしまいました。何と言いますか、現場の皆様方にとっては当たり前の光景かもしれませんが、こうして土の上に垂直・平行に人が考え出したモノが人為的に突き刺さっていくということが物凄くエロティックなことのように思えてしまうのです。本当は毎日でも工事の様子を見に来たい、ここはそのくらい面白く感じられてしまうところです。

しかし、本来工事現場は面白いなんて悠長なことを言ってられるようなところではないのだろうと思います。今後の工事はもう少しソフトなものになっていくのかもしれませんが、いずれにしても危険と隣り合わせの現場ゆえ、みなさんの無事を祈ってやみません。特にうちの敷地は道路事情から搬出入が行いにくいことや土地が異形で壁ぎりぎりのやりづらい工事もあったりご苦労ばかりと思われますが、くれぐれも事故・怪我のないよう、よろしくお願い申し上げます。

最後にさきほど祖父の遺産と申しましたが、この家は1階を無名の日本画家だった祖父の作品を展示するスペースとして考えております。いつオープンできるかは我々の頑張り次第ですが、ふつうの家よりは出入りしやすいかと思いますので、お近くにお寄りの際にはちょっと自分の仕事がどうなったか見てみるかといった気軽なノリで(ひょっとするとそれが一番気軽になれないのかもしれませんが)お立ち寄りいただければ幸いです。

それではあと数ヶ月、誰一人として怪我・事故のないよう、お祈りしながら、施主の挨拶とさせていただきます。
本日はお集まりいただき、たいへんありがとうございました。

※2)天気
天気予報では降水確率70%以上で間違いなく雨だろうと思っていたら、午前中は晴れ、午後も曇りで微妙に雨雲っぽいのも出てはいたけど、結局一粒たりとも雨は降らなかった。その代わり、夜は途轍もなく寒かったけどね。


by m-louis : March 6, 2004 03:15 PM
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