March 12, 2005

garaika 邸探訪: 紀行編

昨秋、庭づくりで組むための石が足りなくなり「石 求ム!」という冗談のようなエントリーをしたことがあった。野次馬後見人のCT氏からもそんな募集告知に応じる奇特な人間いるのか?とからかわれていたのだが、それにコメント付けて来られたのが当ブログでは初コメントとなった「家づくり、行ったり来たり」の garaika さん。
尤も「石アリます」のコメントではなく「拾ってくるというのはダメですか?」というアドバイスではあったのだが、石ってもんはやはり投げてみるものである。コメントを受けた直後に私はCT氏に「garaika 氏、どういう人かはよーわからんが、ブログ結構おもろい」というメールを送信している。実を言うとそれまでの私は自分で施主ブログをやっていながら、rattlehead 氏を唯一の例外として(今でもその存在自体例外的ですが)、あまり余所の施主系ブログを「はてなアンテナ」に登録してまで購読するような施主ではなかったのである。

さて、あまり前置きをだらだら続けると garaika 邸オープンハウスのレポートを待ち望む garaika ファンの施主ブロガーの皆様をヤキモキさせるだけでしょうから、今回のエントリーは「紀行編」として訪問時の事象に限定し、次回を「心象編」として冒頭の話とも結びつけながら、訪問して以降に頭の中をぐるぐる回り続けている由無し言へと論を展開させて行きたい。尤も叙事と叙情を分離記述させる技量が私にあるかという点で甚だ疑問な船出ではあるが、、それは臆せずということで、いざ、進水!

JR東海道本線からローカル線に乗り換え、garaika 邸最寄り駅に到着したのが13:50。garaika さんから送られてきたオープンハウスの案内状(設計事務所作成)と念のためにとマピオンでプリントした周辺地図を取り出し、おおよその場所を見当に入れてからそれらをコートのポケットに仕舞う。地図を片手に garaika 邸へ直行しなかったのは家の近くに川があるから仮に迷ってもそれが目印になると思ったのと、あとは周辺の様子を少しでも多く見ておきたかったので、むしろ積極的に自分を迷わせようとしたのである。ちなみに案内状には最寄り駅から徒歩約20分と書かれていた。

050312_1403_totan.jpgで、結果から言うと最短距離からは多少迂回した程度で20分弱で garaika 邸前には到着してしまった。しかし、行きと帰りの町並みはそれなりに異なるものだったので、やっぱりそうしておいて良かったと思う。往路で見た光景にはとにかく壁面がトタンの家というのが多かった。後で garaika さんに聞けばこのあたり一帯は空襲で焼けたのだという。だから戦後の物資が不足する中、急拵えで建てられた家がそのまま残ったという風に考えられるのではないかと思うのだが、帰りに通った最短距離の道沿いではそういうトタン家の件数が減っていた。川の右岸左岸、また garaika 邸前を通る一本だけ変則的に斜めにカーブした道を挟んで、戦火の状況などが違っていたのかもしれない。ただ、私自身の性向として錆の付いたトタンの持つ質感って何とも溜まらなく心をそそるものがあるもんで、デジカメを向けていたのは専らそういう家ばかりだった(上の写真をクリックして4枚続く)。

それと今回、ここに来る前に福島の方にも行って来たので、余計にそれを感じさせられたのだが、屋根の形状、角度って地域毎に本当に異なるものだということを改めて実感。福島では積雪に備えてだろうけど、家の左右のみならず前後においてもとにかく軒が深い。それに比して温暖な気候のこの地帯はトタン屋に限らず概ね緩やかな角度の切妻屋根の家が多く(ちびまる子ちゃんの家を思い浮かべるとイメージしやすいだろう)、軒も短め、それから破風板の下のところに構造材である梁が意匠的なアクセントとして突き出ているケースが多い。これを見て garaika 邸の「渡り顎」のことを思い出してしまったのだが、ひょっとして建築家は自身の得意とする意匠としてよりは、周囲を歩き回って見た結果として「渡り顎」の突き出しを選んでいたのではないか?という風にも思えてしまった。

とはいえ、まち並みに溶け込むという意味では、それはどの新築の家でも最初は必ずそうであるように、やっぱりまだ浮いた建物として garaika 邸は見えてきた。その証拠に garaika 邸の前の通りに路地側から不意に出たとき、もうすぐに「アレだ!」とわかってしまったワケで、、まあ、ブログで断片的に外観像を見ているせいもあるんだろうけど、しかし、garaika 邸は経年変化してそれなりに周囲と馴染むようになっても、やっぱりそれなりに目立つ、云わばその辺一帯の目印的役割を果たす家になるのではないか?と思う。garaika さんは「外とのつながり──外観についての一つの要望」のエントリーで「外界を拒絶するような閉鎖的なイメージの外観にはしてほしくない」と建築家に要望されたそうだが、garaika 邸の町とのつながりは単に周囲に溶け込んで背景化するというよりは、付近の住人たちが garaika 邸の存在感によって安心を得られるようなところ(お城にはそういう要素が強くありますが)──それは garaika さんのお祖父様が丹精込めて構えられた古屋のときから引き継がれてきたものではないだろうか。

さて、ようやくお宅拝見。時計は14:15。
最初に車庫スペースに備えられた受付で署名。設計事務所の作成した印刷物と工務店のチラシを渡される。その際、受付のお姉さんが荷物を預かってくれたのは大助かりだった(それなりに小旅行だったし、PowerBook も持ち歩いていたので)。ただ、受付のところが混み合っていたので半ば押し出されるように中庭に面する外縁側の方にいきなり出てしまい、縁側越しにしばし古屋に目が釘付けとなる。やばい。気を取り直して軽く車庫スペースを見回してから玄関ポーチをくぐる。そして後に裁縫室とわかる部屋を何のスペースだろう?と思いながら靴を脱ぐと、居間・食堂、廊下を通してその一番奥に忽然と輝いていたのが、施主ブロガーたちの間で一時話題騒然となった男性用小便器なのであった。玄関の框あがって一番最初にはっとさせられたオブジェが男性用小便器なのである。それも遠近法の消失点的な位置に後光でも差し込むような感じで設置され、まさに garaika さんこだわりのというか、何とも神々しい存在感で自ずと足が真っ直ぐそちらに引き寄せられて行ってしまった。平常は引き戸閉めててそういう見え方ではないのかもしれないけど。。

男性用小便器を拝んだあとは、何だかもう欲望の赴くままにといった具合に受付直後に見た古屋の方に足が向かってしまう。丸太梁を見て、三鷹金猊居のことを思い出したり、欄間部分の作りの違いを比較してみたり、庭に目を見やったり、そして内縁側から庭越しに車庫スペースや外からは窺い切れない中庭に面する新築外観を眺めたり。
ようやくそのあたりで落ち着いてきたというか、garaika 邸の空気感といったものに馴れて、ある程度は冷静にまわりが見渡せるようになっていた。フローリングはうちと同じナラ無垢だなとか、キッチンがどこのメーカーのが入ってるとか、これが施主支給のごっついガスコンロか〜とか、、なんか微妙にブログで書かれてたことの確認作業に入っている(笑)

そして2階へ。ここでも同じように完全にブログ確認作業。おぉ、子供のお気に入りの手摺りの穴だ!とか、ここが越屋根と地窓によって空気の流れが出来るところか〜とか、1Fと2Fの上下の関係性を見つめてみたり、さらにこの辺に来るとだいぶ余裕も出て来て、特にブログでは触れられてなかったような(少なくとも私の記憶の内では)細かい気の利いた演出(特に採光と空間を広く見せようとする)にも目が向くようになり、くぅ〜、ニクいね〜と心の中で呟きまくっていたのである。そんな頃だろうか、見学客を連れて案内してる人に対してお客さんが「今日は奥様は見えてないの?」と言われ、それで garaika さんがどの人か目星がついたのである。が、そのときは案内の真っ最中だったのでちょっと声も掛けにくく、私は一人でルーフデッキの方に出てみた。

ちなみにこの日、garaika さんのブログでは「晴れ」だとは書かれているが、風が強く吹き荒れ、3月にしてはかなり寒い日だった。今回、私は先にも触れたように福島にも行っていたのでダウンコート持参で出向いたのだが、その福島にいた3/10(木) は一度もコートを羽織ることのないくらい暖かく、2日後、温暖なはずのこちらではコートは手荷物にしかならないだろうと思っていたのが一転、肩をすくめて歩きたくなるほどに寒かったのである。いや〜、受付で荷物預かって貰ったときにコート脱がなくて良かったです。ルーフデッキに出ても楽しめる要素はいろいろある(ルーフデッキに設えられた私の妻が憧れの螺旋階段をのぼって涼み台にあがると越屋根がどんな風かもはっきりわかるし、そして眺望が素晴らしい)ので、でも、コート着てなかったらきっとすぐに床暖の効いた適度に暖かい室内に戻りたくなってしまっただろうから。実際涼み台にいたとき、ルーフデッキを出てちょっと覗くだけで部屋に戻ってしまった勿体ない見学客もいたのである。

概ね一通り見回したところで、受付で garaika さんを呼び出してもらうのが筋だろうと1Fに降りようとしたところでちょうど garaika さんが階段を上がって来られて、そこでようやくご挨拶。デジカメに記録された時刻で確認する限り、それがおおよそ14:35。つまり私は訪問後約20分、おくゆかしくしていたのである(笑)
ともあれ、ここ数年ひきこもり度が増して俗に言う「ニート」と化しつつある私は半分対人恐怖症の気もあって、garaika さんとのご対面にあっても妙に昂揚してしまって、実はそのとき何を話したかをあまり覚えていない。それにそもそも記憶力に自信のない私にとってはデジカメ画像に記録された時間だけが記憶を呼び戻す手掛かりとなるものであるのに、garaika さんと話し始めてからは写真もそれほど撮ってないので想起する術が失われてしまっているのだ(ま、単に脳が半分壊れてるだけなんですが)。

ただ、いずれにしてもそれからの時間は garaika さんに案内してもらう形で2F、ルーフデッキ、1Fという順で見て回った。数少ない想起可能なことを書き出すとすれば、まず2Fのワークショップ。私はブログで読んでいたときに今イチ理解できてなかったんだけど、garaika さんの言われてた「ワークショップ」というのは部屋(廊下でもある)の名前のことだったのである。ここには「ワークショップ 2」のエントリーでも書かれているように4m超の作業机が一番明るい光のもと、デデーンと存在感を示している。そして机の下には同エントリーでも書かれているように大判用紙が収納できるスペースが用意されていたりと趣味・用途に合わせた大胆且つ繊細な造作が施されている。何だかこれを見てると子供はもう学校の工作室なんかじゃやってらんねーや!ってそのうち言い出すようになってしまうんじゃないかとさえ思えてしまう。まさにワークショップな場であったわけだ。

作業机越しには真下に中庭、右手に古屋の屋根瓦、左手にルーフデッキと車庫背面のスノコ状ルーバー、そして視線を前方に送るとお隣さんの工場と煙突が見えてくる。私は昭和の名残のある町工場の雰囲気というのが嫌いではないので(それこそ錆付トタン好きと繋がる)さほど気にはなるものでもないが、garaika さんはその利点としてその工場のこちらに面する側に開口部が一つもないということを挙げられていた。確かに隣地から覗かれる心配が全くない(その逆もまた然り)からこそ中庭に向けてこれだけ開放的な明るいスペースが1、2Fで保てるわけだ。あ、それと古屋の屋根瓦が真新しく張り替えてあった。確かに三鷹金猊居でも一番ガタが来てたのが屋根なのである。

続いて再びルーフデッキに出て涼み台にあがる。そこですっかり忘れていたプレゼントの存在を教えられる。富士山である。東海道を通るときには必ず見えるかどうか確認するし、実際今回も三分の一雲に掛かった富士山の姿を拝んできたのだが、ここに来てすっかりその存在は忘れてしまっていた。ブログで富士山が涼み台から見えると書かれていたことも。だから先ほど涼み台に出たときには中庭側の方ばかり見てたのだが、確かに garaika さんの指さす方に富士山は見えていた。そしてブログにもあるようにどう頑張って写真を撮ろうにも電信柱が被ってしまう。garaika 一家にとっては何とも口惜しい話だろうが、「家づくり、行ったり来たり」一読者としてはそうしたオチが現実に確認できるのもまたちょっと楽しかったりする(笑)

こうして書き出すと不思議と色々記憶が蘇ってくるが、そういえばルーフデッキの床面を道路側一間分 garaika さんご自身の提案でデッキを敷かずに透明の波板ポリカーボネートに変更されたらしい。確かにここが全部デッキなのと一部光が落ちるようになっているのとでは1Fの車庫の明るさは内部的にもまた外から見てもだいぶ違うものとなっただろう。ただ、ひょっとすると奥の中庭まで見通すという意味では車庫内が暗い方が光が干渉し合わず、より効果的か?とこれを書きながら思ったが、そこのところは住み手の判断というものだ。何にせよ garaika 邸は本当にどこの部屋に居ても光が満ち溢れているな〜という印象が強いのだ。

2Fでもそうだったが、1Fでも収納に対するちょっとしたところでの気の利いた工夫について説明を受け(garaika さんはそういう話を本当に楽しそうに話してくれる)、正直この家を見てから自分の家を建てたかったな〜と思わずにはいられなくなってしまった。その辺については改めて反省モードのエントリーで触れたい。1Fで他に感心したのはキッチンカウンター上部に設えられた鏡。これが明るくゆとりある居間・食堂空間をさらに拡げる役目を果たしている。garaika 邸は視線の一つ上と腰を屈めて見えてくるところで心憎い演出が随所になされているのだ。

その後、修復工事が間に合わなかったということで障子を閉めたままにしてあった古屋の離れ数寄も見せていただき、ここで garaika 夫婦が結婚式をされたという話も伺った。「古屋の良さ──超低低の実力」のエントリーでも書かれているように「正月は長火鉢を囲んで家族でお屠蘇を飲む」、そんな具合にここが今後より一層「晴れ」の場として活用されていくのだろう。「晴れ」の場を古屋に与え「褻」の場を新築スペースが担う──今後、古屋とのハイブリッド増築を考える施主にとっては見落とせない模範解答がここにある。そうそう、同エントリーに書かれている床下忍者話、私はそのエントリーで書かれてたことをすっかり忘れていて、同じことを garaika さんに向かって話してしまいました(恥)
それから内縁側のサッシとして昔のまま入ってる手延べガラスのことも「ほら、わずかに波打ってるでしょう」とブログで書かれてるのと同じように自慢されましたよ(笑)
三鷹金猊居ではさすがに冬の寒さに耐えかねてだろうが、私が物心着く頃には現代のサッシに変わってしまっていたが、こうして「晴れ」の場としての機能をより優先的に求められるようになった以上、この古屋空間は生活の利便性を更新する必要はそれほどない。徹底して「骨董」を温存できる場所として成立するのである。

それから一旦外に出て、自転車置き場となっているゆとりたっぷりの(garaika さんにとってはそうでもないらしいが)土間スペースを裏に回って見せてもらったり、車庫のすのこ状ルーバーを閉じたときの様子を見せてもらったり、そして最後にもう一度居間・食堂スペースにあがって建築家さんとも挨拶して、お茶をいただきながら図面や工事過程の写真、それからお父様が棟梁となって家族総出でセルフビルドされたログハウスの写真などを拝見した。おそらくこのログハウスも行ったら呻らされまくることになるに違いない。いつの日か、施主ブロガーで集結して遊びに行ったら楽しそうだ。

ちなみにこの日の私は東京から大阪まで全行程を青春18きっぷを利用した鈍行列車移動としていたため、最後にもう一度一人でぐるっと1、2Fを回っておさらいしたいところだったが、汽車の時間も気になり、そろそろ帰りますと garaika さんや建築家さんに別れの挨拶をした。garaika 邸を出たのがちょうど16:00。
最遠方見学者だったこともあってだろうが、garaika さんには1時間半近くお付き添いいただくことになってしまった。感覚的にはあっと言う間だったのだが、半日しかないオープンハウスでそれだけ私のために時間を割かれることになってしまったのはちょっと申し訳なかったように思う。なかなか一緒にまわっているときって露骨に腕時計も見にくいもんで、、そういえばまだ引越前だし、家には時計が設置されてなかったが、ひょっとすると1、2Fの同じ位置、つまりコの字型建物のちょうど中心となる場所に掛けられるのだろうか?──そんなことを想像してみるのもこれまた楽しい。

そして帰りの汽車の中では言うまでもなく長旅用に持参した本の活字はまるで頭に入らず、ただただ車窓風景をぼんやり眺めながら頭の中でぐるぐると色んなことが駆け巡っている状態を持て余していた。それらについては当初の予定通り、次回の「心象編」へと繋げて行きたい。

また、本エントリーにあたって、この記事内容に相応するカテゴリーがないということに気づいたので新規に「町・街・建物探訪」というカテゴリーを作成することにした。一応は家づくりが終わってしまった現在、今後もこのブログを続けて行くためにもそういうカテゴリーはあった方が何かと良さそうである。特に今私の住んでいる大阪で見つけた面白い家やスポットなどを紹介していくのにも便利そうだ。尚、このカテゴリーのヘッダ画像にはこのカテゴリーが生まれる発端となった「石 求ム!」のエントリーと掛けて garaika 邸古屋の内縁側から降りたところにある沓脱石の写真を使わせていただくことにした。下駄はこれから踏み出すというイメージである。


by m-louis : March 12, 2005 02:10 PM
trackbacks
March 24, 2005 01:04 AM
m-louisさんに感謝
excerpt: 施主ブロガー仲間である「谷中M類栖」のm-louisさんが、我が家のオープンハウスの模様をアップしてくれた。→LINK 人が自分と自分の家を見た感想を読むというのは、何か気恥ずかしいものがある。 ただ、竣工間近で現実から遊離したような気分でいた自分を客観的に観察...
weblog: 家づくり、行ったり来たり
comments

はてさて、どのようなコメントを付けたらよいものやら(笑)。

ここまで長文のレポートにしていただいて、まずは恐縮、そして感心と歓心です。
「竣工」したらしたで、引越し、残工事、各種支払いなどいろいろあるわけで、喜びばかりでなく気が滅入ることもあります。気持ちがそわそわと落ち着かず、気の利いたコメントをつけられない自分がはがゆいです。
 しかし、ここまで書いていただいて、自分が書くことがなくなりそうってことだけは言えたりします(笑)。
 
 m-louisさん、あの時、1時間半近くもご一緒したのですか? こちらのほうこそ、気持ちがふわふわと浮ついて時間を意識しておりませんでした。ああだこうだとたわいもないことを吹聴してしまったような気がします。失礼いたしました。

by: garaika : March 22, 2005 06:55 PM

garaika さんの方でエントリー立ててまでこちらの記事を紹介いただいたことで、逆に私も気恥ずかしく思ってたりします(笑)
私はデジカメデータのファイルをすべて GoodRenamer というフリーウェアを使って「年月日_時分_デジカメ番号.jpg」という風に書き換えているので、おおよその時間把握が可能で場所と急に写真を撮らなくなった時刻から推定しておおよそ1時間半ご一緒してたということがわかりました。こういう風にデジタル換算して後から見直すと頭の上での時間感覚とのズレに吃驚することはよくあります。しかし、あの日は私以上に garaika さんの方がもっと時間感覚が飛んでたんでしょうね。ちなみに私の実家の面々は半年してかなり現在の生活には慣れた模様です。

by: m-louis : March 23, 2005 10:17 AM

探訪シリーズ化希望.
ベースメントさんに突撃!とか.

濃い1時間半ですね〜
とてもそんな短時間に感じさせません.
眼力にも文力にも感服.

いい家づくりの過程は設計者と施主で幸せな時間を送れると
言いますが,オープンハウスで施主+施主が幸せな時間を送ることが出来るのは互いが家づくりに入れ込んでいたからこそですよね.

でもホントいいgaraikaさん邸総括です.
なんども見たはずのエントリをまた見たくなって
往復往復で大変でした(笑)

by: rattlehead : March 23, 2005 06:49 PM

ヒョーショージョー。
m-louisドノ。
アナタハ、garaikaノぶろぐノぺーじびゅーをアゲルコトニタダイナルコウケンヲイタシマシタ。
ヨッテココニ、ソノエイヨヲヒョウショウイタシマス。

ま、最近のノアノアさんのところの盛り上がりほどには至らないわけですが・・・(笑)。

あの議論は、私にはやはり「家(か)」の問題に見えてしまいます。

by: garaika : March 24, 2005 07:47 PM
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