2006年10月13日 (金)
谷中芸工展スタンプラリー用の印肉、紫色のを大阪の100円ショップで買って行ったんだけど、少々色付きが悪い。やはり安物は安物ということか?(泪)
紫色を選んだのは、マップの地色に緑が多いので、そこから少々遠い色の方がよいかと思ったからだ。ただ、保護色の赤まで行くと行き過ぎかな?と。。
ちなみに私が押して回った中では黒が一番多く、そして一番しっかり発色していた。安物でない黒は家にあったので最初からそちらを使えば良かったとちょっと後悔。
それにしてもスタンプラリーをゲットするためだけにチャリで界隈を走り回ってるガキんちょ共がいたとはね(^^;)
何となく彼らの元気ぶりに押されて、最初は靴脱いで家に上がらないと押せなかったスタンプを玄関すぐの靴履いたまま押せる場所に移動してしまった。さてはて、どっちがよかったんだか??
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2006年10月01日 (日)
9月29日(金) に谷中芸工展ガイドマップの折り込み作業「四季折々」を手伝いに行った母が手伝い特典として早めに受け取ったマップをDMと一緒に送ってくれた。
まだマップの紹介は公式サイトでもされてないようなので、ネタバレになっても何だしまたの機会に譲るとして、このエントリーではDMの方を軽く紹介しておこう。
以前に紹介した「谷中芸工展2006 ポスター」同様、DMにも楷書体の漢字が書き込まれている。ポスターでは少々ランダムにレイアウトされていた多数の漢字が、DMでは7×7−1で整列し、中央に「谷中芸工展」の文字が赤く浮かぶものとなった。パッと見た限りではポスターとDMの漢字は一致しているようで、おそらくは谷根千界隈をイメージする漢字を選んだのだろう。それとも漢詩であるとか、実は別のメッセージが織り込まれているのだろうか? ちなみに左下の空欄に「ここには好きな文字を!」とのことだが、うちは迷わず「栖」を選びたい。
ところで今年の芸工展参加企画数はぴったり100なのだそうだが、その100企画がどんな漢字を当て嵌めたのか、それを回収して並べ直してみても面白い気がした。ネットでならタグ機能を使って幾つ重なったのかを確認するのも面白いだろう。
なお、切手面の方には以下のように書いてある。
うちは芸工展の開催日と最終日はオープンしてないので、くれぐれもご注意のほど!
まちじゅうが展覧会場
谷中芸工展二〇〇六
十月十四日(土)〜二十三日(月)
谷中・根津・千駄木・上野桜木
池之端・日暮里界隈の
まちじゅうが展覧会場になります。
地図を片手に
いつもと同じまち
いつもと違うまちを
ぷらぷらしてみませんか?
あなただけの発見を探しに。
谷中芸工展事務局
ホームページ:http://www.geikoten.net/
※ガイドマップは本部・参加店等にあります
(谷中芸工展は谷中学校を母体として活動しています)
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2006年09月21日 (木)
実家からの荷物に芸大絵画棟8Fから我が家の方角を撮影した写真が入っていた。
なんでも芸大が9月8日〜10日まで藝祭期間中とのことで、その期間に8Fまで上ってきたようだ(まあ、ふだんからうちの両親は頻繁に芸大に入り込んでいるのだが)。
で、先日の「工事中@Google Earth」ではないが、わかる人にはわかるうちの建物3Fより上部分が今度はちゃんとタラップ薄緑青色で写っている。
ちなみに Google Earth で似たような角度を見るとこんな感じ。
当たり前っちゃ当たり前だけど、実際に見るのとは全然違う。まだまだ一般にネット上に転がる街並み写真はそれはそれで貴重なものと言えるのだろう。
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2006年09月16日 (土)
さて、谷中芸工展2006 までいよいよ1ヶ月を切ってしまった。
差し当たってこれから約1ヶ月半くらいの間は、芸工展関連とその出展物作者である母方祖父=丸井金猊絡みのエントリーが増えてくると思う。祖父についてはこれまで結構色々なところでアウトプットしてきたせいか、思いの外、このブログで触れていないことに気づいた。そこで今回の展示を機に祖父の経歴等も改めて紹介していこうと思う(現在、祖父を紹介するサイトも閉鎖→再制作検討中状態にあるので)。
それと、ふと気づくと谷中芸工展サイトのリンクページには既に「谷中M類栖/1f」へのリンク(申込み時に申請した URL に)も張られているので、慌てて情報を詰め込んだページを作成。気づく人は気づくだろうが、ほとんど flickr のパクリである(汗)
当座はこのページを「谷中M類栖/1f」のトップページとして凌いで、行く行くは全面的にデザインチェンジして「谷中M類栖/1f」のギャラリーサイトとしていく予定である。
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2006年09月15日 (金)
日本語版「Google Earth」が公開された。去年6月にも「Google Satellite」というエントリーで、Google Maps BETA版の Satellite 機能を紹介したが、前回が世界地図の衛星画像版だったとすれば、今度の「Google Earth」は衛星写真の地球儀化とでも言えようか? いや、NYタイムズ誌が「鳥のように飛べたらいいなと思ったことはありませんか…」とレビューしたように、鳥のように上下左右にグラインド可能な視座を得たとも言える。と言っても、結局画像自体は一視点で撮られた写真に過ぎないので、ズームインすれば所詮その3D感覚は画像を歪ませることによって錯覚させられているものであり、視点の切れ目のズレ(アラ)は補いようのないものなのであるが、、そういう意味では「Google Earth」が楽しく感じられるのはズームインしたときよりもズームアウトしながら「地球は丸い」と感じさせられるときである。
ところで「Google Satellite」で谷中の実家位置を確認したら、そこがまだ更地だったことは前回書いたが、今回確認したら家は一応あるようなのだが、緑青色をイメージして塗ったはずのタラップがまだ鉄骨の赤色のままなのである。ということはこの谷中界隈の衛星写真は鉄骨が立ち上がって、竣工するまでの工事期間、つまり2004年3月〜7月までの間に撮られた写真だということになる。
冒頭の写真でわかる人はどこに赤いタラップがあるかわかるはず(笑)
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2006年09月01日 (金)
実家から「谷中芸工展2006」のポスターが届いたという電話。
早速デジカメで撮影して添付で送ってもらった。母曰く、三崎坂を歩いていたらこのド派手な(といっても、決して鬱陶しいわけではない)ポスターを見つけ、あら?と思って家に帰ったら、うちのポストにも3枚入っていたらしい。
このブログでは縦長サイズの画像はサムネイルで見せるようにしているのだが、今回は特別にそのままベタ張り。すでに町中では張られているということだが、ひょっとしてネット上で最初に張られたのは谷中の看板背負った大阪発のブログだったりして(汗)
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2006年08月23日 (水)
去年来のサテライト写真ブームのおかげで、最近は専ら地図検索には Google Map や Yahoo! 地図情報しか地図検索に使わなくなってしまっていたのだが、久々にマピオンにアクセスしたら「キョリ測β」なる新機能を発見! コレ、以前からPC上で地図を見るときに欲しいと思っていた機能なのである。例えば大阪自宅から桜宮橋東詰のドンキホーテまで行くのに、源八橋を通るのと桜宮橋(銀橋)を通るのとどっちが近いか?とか、谷中実家のJR最寄り駅は上野・鶯谷・日暮里でどれが近いのか?とか、駅を拒んだ町・妻の実家総領町の最寄り駅は上下で正しいのか?とか。。
これまではそれをモニタに定規を当てて計測してたのだが、この「キョリ測β」のおかげでこれからはそんなことをする必要もない。正確な距離はもちろんのこと、徒歩、自転車、自動車での所要時間も出してくれるし、さらには性別・体重・年齢を入力して消費カロリー計算までしてくれる。まあ、所要時間計算の方は徒歩(3.2km/h)というのは少し遅すぎるし、自動車(40km/h)は標準速度なのかもしれんが、信号などが想定されてないようなので、ちょっとアテにならない。谷中実家から上野駅まで2分で付くとは到底考えられないからだ。
とはいえ、この機能はこれからも私にマピオンのアクセス機会を増やさせてくれそうである。ただ、Google Map や Yahoo! 地図情報等にその機能をパクられたら、またそっちに行ってしまいそうではあるが(汗)←サテライト付ければいいのに>マピオン!
ちなみにさきほど例示した3件についての結果はこうであった。
大阪自宅→桜宮橋東詰のドンキホーテ
・源八橋経由:約1.1km(1085m) 自転車6分 消費カロリー約29kcal 1356歩
・桜宮橋経由:約1.2km(1182m) 自転車6分 消費カロリー約29kcal 1477歩
谷中実家→最寄り駅
・上 野:約1.2km(1153m) 徒歩22分 消費カロリー約65kcal 1441歩
・鶯 谷:約1.3km(1344m) 徒歩25分 消費カロリー約74kcal 1680歩
・日暮里:約1.0km( 991m) 徒歩19分 消費カロリー約56kcal 1239歩
総領実家→最寄り駅
・上 下:約13.7km(13736m) 自動車21分 自転車75分 徒歩258分 17170歩
・甲 奴:約16.2km(16199m) 自動車24分 自転車88分 徒歩304分 20249歩
・備後安田:約11.9km(11947m) 自動車18分 自転車65分 徒歩224分 14934歩
・備後庄原:約13.0km(13017m) 自動車20分 自転車71分 徒歩244分 16271歩
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2006年07月02日 (日)
当初はこのために上京も考えていたのだが、時間&交通費の工面が難しく、代理で母に行ってもらった。芸工展サイトの「説明会のお知らせ」にもあるように期日・場所は
【期日】2006年7月2日(日) 19:30〜20:30/2006年7月3日(月) 19:30〜20:30
【会場】不忍通りふれあい館(文京区根津2-20-7)
で、母の電話によれば、参加したのは7、8組。実行委員のメンバーは5、6人来ていたとのこと。基本的には募集要項の提出とそれについての質問、後はサイトに掲載されている説明内容通りで、母に言わせると、わざわざこれのためだけに上京までしなくてよかったんじゃない?ということだったが、個人的には芸工展の公式サイトが今年はどのように展開するのかを知りたかった(あるいは内容次第では提案したかった)ので、その点で行けなかった不満は大きい。それともこの際、スタッフ募集もしてるので応募してしまおうか? でも、さすがに提案のみスタッフじゃ要らんだろな(^^;)
「谷中芸工展の紹介文」のエントリーでも書いたけど、提出した募集要項の主な情報を再度掲載しておく(追加情報+微妙な変更アリ←中日を休日にすることにした)。
・日付:10/15(日)〜10/22(日)
・時間:14:00〜18:00(10/20(金) は20:00まで)
・休日:10/18(水)
・企画(店舗)名:谷中M類栖──丸井金猊リソース ver1.0
・参加者名:谷中M類栖/1f
・紹介文(70字厳守):竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。その第1弾は昭和8年東京美校日本画科卒の丸井金猊が戦前に描いた屏風・軸・額を公開。
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2006年06月17日 (土)
竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。
目指すは谷中芸工展参加!
ちなみに例年通りに art-Link と芸工展の開催時期が重なってたのであれば、
両方の参加も検討したいところだったのですが、どうも今年は
・谷中芸工展:10/14(土)〜10/23(月) <10日間>
・art-Link:9/23(土)〜10/9(月) <17日間>
というスケジュールなもんで、残念ながら art-Link の参加は見送ることにしました。
うちの場合、企画内容的には art-Link 向きなのかもしれませんが、参加費が少し張ることと私のスケジュール的な問題、そして芸工展の方には豊田さんも一枚噛んでるということから、今年は芸工展のみで大人しく様子を見ようと考えています。
芸工展の申込締切は7月31日(月)。
それまでにガイドマップ掲載情報の必要項目を考えておく必要があります。それで
・企画(店舗名)名:
・企画者名:
・紹介文(70字厳守):
の3項目と所在地情報等をどこまで掲載するかで、やや頭を悩ましています。
まず所在地情報等に関して、昔であればほとんど気にも留めなかったのですが、最近はそうした情報自体が売買されるようになって悪用される可能性もあり、いずれにしても自宅で開催するものなので、どこまで出すべきかで迷っています。
そして企画名や紹介文。ここでの出品作家である祖父が有名人であるなら名前だけでも充分なんですが、まず祖父が何者なのか?というところから始めて70文字以内に収めなければならないのが難しいところ。そしてさらに厄介なのが本人が既にこの世にいないということです。そうすると案外、企画者の立場というのも重要なんですね。ところがその企画者たる私個人が谷中には住んでいない。てか、遠い遠い大阪にいる(汗)
そこで現在考えているのが、まずこの企画の主体(企画者名)をこのブログ、すなわち「谷中M類栖」にしてしまうということ。実は展示スペース名も同じく「谷中M類栖」のつもりではあるんだけど、ブログ自体が主体であるという考え方にすると意外と話の辻褄が合わせやすいんですね。それに現段階では谷中において身内絡みで一番有名なのは祖父よりも断然このブログ「谷中M類栖」なのです(笑) そういう意味でも、工事が始まってからではあったものの、このブログを始めておいてつくづく良かったな〜と思います。というか、ブログなしで大阪に住んでるだけだったら、昔からの知人以外で谷中界隈仲間なんて誰一人出来なかっただろうし、展示活動の指針となるものもほとんど見えないままスタートを切ることになっていたでしょう。
と考えが及んだとき、紹介文はとことん図々しく偉そうに書いてしまうってのも、この際アリなのかもしれないなと思いました。それが冒頭の文章に繋がっていきます。
・企画名:谷中M類栖/1f──丸井金猊リソース ver1.0
・企画者名:谷中M類栖
・紹介文:竣工して2年、いよいよ谷中M類栖がオフラインで始動します。その第1弾に昭和8年東京美校日本画科卒=丸井金猊が戦前に描いた屏風・軸・額を公開。
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2006年05月23日 (火)
当初より1日遅らせた帰阪日。午前中は荷物まとめと家の整理に時間を費やし、昼から奏楽堂のコンサートへ行くという両親と芸大学食で昼食を食べて、上野駅へと向かうことにした。ちなみに芸大学食〜奏楽堂は両親の生活サイクルに完全に組み込まれた一つのコースで、私はその動向を観察したかったので同行することにしたのである。
芸大の学食は私自身も昔、芸大に友人が居たりで美術・音楽共に食べたことはあった。しかし、学生時分に学食のレベルを問う暇などなく、どっちがウマイかなんて考えたこともなかった。しかし、ランチ巡りが趣味の両親は芸大学食もとことん食べ較べていて洋食や肉系を食べるなら音楽がうまくて、総菜ものならば美術がうまいというしっかりした結論を出していた。特に美術学部の雪花菜はうまいらしい(汗)
で、この日食べたのは音楽の方のトンカツ定食。確か600円でボリューム満点。これならどこのとは言わないが、近所のトンカツ屋の1500円の定食とも大差ない。それと笑えるのが、父はすっかり学食の券売員らとも親しくなっていて、呆れたことに「教授」と呼ばれているのだ(笑) まあ、その話は散々聞かされていた話ではあったのだが、実際呼ばれるところを見て、改めて両親はすっかり谷中ライフというよりも上野ライフに馴染んでしまったんだな〜という実感を得る。
食後は馴れた足取りで、奏楽堂へ。奏楽堂では芸大の作曲・声楽・ピアノ・オルガン・弦楽・管打楽の各科から選ばれた優秀な学生による演奏会が毎日午前午後と開かれている。それをうちの両親はスケジュール表を仕入れて、好きな楽曲のときにしょっちゅう聴きに行っているのだ。とにかく家から5分程度のところなので、ツッカケ気分で、それもそこら辺の市民コンサートよりも全然レベルの高い演奏が聴けるのである。オーディオマニアだった父は家ではほとんど音楽を聴かなくなってしまったという話だ。
といったわけで、芸大をすっかり自分たちの庭としてしまった両親を尻目に私は帰途に着いたのだが、そういえば奏楽堂というのはてっきり都美術館の裏手にある古い建物だと思っていたら、それは旧奏楽堂で、新しい方は芸大音楽部の奥の方だったということをこの日知ったのである。その旧奏楽堂の写真が冒頭の写真。
【写真上】2006.05.23 14:25 旧東京音楽学校奏楽堂
【写真中】2006.05.23 13:37 東京芸大音楽学部の学食にて
【写真下】2006.05.23 14:16 奏楽堂ホールで「じゃ〜ね」と心はもう演奏会の両親
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