2008年08月27日 (水)
2008年8月17日 9:53, 広島県庄原市総領町/田総川, SANYO Xacti J4
家づくり、行ったり来たり「雨を下から眺める 」にて、garaikaさんはご自宅のガラス屋根に落ちる雨粒がおりなす波紋を眺めながら、「池の中の魚はこのような風景を見ているのだろうかなどと想像」され、雨の週末を楽しむ方向に持って行かれている。何という大人の優雅さだろう(それが「貧乏性」と結びつけられるところがまた面白い)。
それに引き換え、お盆に妻の実家で自分のしてきたことと言えば、何とも子供じみたというか、Google Map のストビュー じみた露見趣味である。川の中で魚が見ているだろう風景を、とあるオモチャを使って撮ってきてしまったのだ。
そのオモチャとは DiCAPac なるコンデジを透明のビニールケースに入れて水中撮影が出来るというもので、価格は4000円弱。うちでは妻が使っている SANYO Xacti J4 がムービーも割とキレイに撮れるので、対応表 に掲載されていないにもかかわらず、WP711 というレンズ用突出部分のないケースを購入。カメラをケースの上側にぴっちり詰めるようにすれば、何とか使えた。しかし、ちょっとでもズレるとレンズ部分にレンズ用窓枠がかぶってしまう。あの窓枠、もっと大きく設計できないもんなんだろうか?
2008年8月17日 9:53, 広島県庄原市総領町/田総川, SANYO Xacti J4
それと J4 はモニタが小さい上に、DiCAPac のビニールケースが水中では角度によってテカってしまって非常に見づらい。てなわけで事実上ほとんどノールックの目測撮影をするしかなかった。そうなると捉えきれる魚は群れなして泳いでいる稚魚か、川底を這っているヨシノボリ に限られる。ダボハゼとも言われるヨシノボリは、三鷹での少年時分、井の頭公園で赤虫かベニサシを餌に一番小さな釣り針を使ってよく釣っていた。彼らの愛嬌ある顔と動きは大人になってから懐かしく見飽きることがない。
2008年8月17日 9:51, 広島県庄原市総領町/田総川, SANYO Xacti J4
他方で群れなす稚魚は割と水面すれすれのところを泳いでいる。そこでこちらは完全にノールックでカメラを上に向けて撮影すると、稚魚以外にも冒頭の写真のような思わぬ光景が撮れるということに気づいた。要するに水中からの空と川の縁の写真である。もちろん川泳ぎをしているときにも目にしているはずの光景ではあるのだが、水の屈折によってか魚眼レンズを覗いているような写真が撮れる。そして、ここで Wikipedia で「魚眼 」を調べてしまうと、ストビュー以外にも地味に Google Map に搭載されていた「その他」機能とほとんど変わらないことを演じていることになるのである。
ちなみにムービーで撮るとこんな感じ。
Tabusa River from m-louis on Vimeo .
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2008年08月05日 (火)
やっちまったな〜! てか、一体いつから機能追加されてたんだ?
というのは、 Google Map でも NY あたりならば、だいぶ前から機能搭載されていた
Street View こと、ストリートビューの話。谷中の実家も大阪の自宅も両方とも自分の家がまんま見られるようになってしまっている。もちろん妻の実家の総領町はまだ当分写りそうにはないんだけど(笑)
しかし、この Street View に関しては米国でも幾つかプライバシーの侵害で裁判沙汰になったというニュースを見ているが、モンスター何とやら増殖中と言われるこの日本ではどうなることやら? 実は大阪自宅の方の写真には通学途中の女子高生が二人写っていたりして、撮った輩をうらやましく思っていたりもするのだが(汗)
あと、その他で、写真と Wikipedia 情報も載っかるようになって、こうなるとますます flickr は Yahoo ではなく、Google に買収されてほしかったと思ってしまうが、それについては Panoramio にサインアップするしかありまへんな。
2008年6月8日 16:19, 谷中M類栖, Nikon D300/16mm
ちなみに谷中の写真には「いまあざやかに 丸井金猊展 」のポスターが写っているので4〜6月の間に撮影されたということになるのだろう。
□◇ストリートビュー関連エントリー
・ちはろぐ:Google ストリートビュー (2008.08.05)
・建築プロデューサー朝妻義征:Googleマップ ストリートビュー (2008.08.05)
・家づくり、行ったり来たり:ストビューの遊び方を考えてみる (2008.08.06)
・ノアノア:Google Maps ストリートビュー (2008.08.06)
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2008年06月15日 (日)
2008年6月10日 19:34, 東京八重洲のカフェにて garaikaさんから直接手渡されたところ。
祖父の遺作展 を控えた4月中旬、銀座にある中村活字 という活版工房で活版印刷の名刺を作った。「丸井金猊プロフィール 」のエントリーで祖父が教師をしていた県立神奈川工業高校の卒業生・よもうにみちけるさんから「タイポグラフィーの基本をいやというほど叩き込まれました」とコメントいただいているように、展覧会場で祖父の教え子と名刺交換することになったときに、あまり恥ずかしい名刺は出せないなと思ったのである。それですぐに思いついたのが、Kai-Wai 散策「中村活字で名刺を 」のエントリー。
名刺のデザインは祖父がかつて使っていた縦型名刺を参照し、敢えて名前の上に余白を与え、大阪の住所、郵便番号、電話番号、谷中M類栖のURLのみを記載した至ってシンプルなものとした。メールアドレスも携帯番号(そもそも持ってない)も載ってない。
ただ、それでも注文してそれなりにコスト掛けて作った名刺を持つと、その名刺をそれまでのいい加減なホームプリンタ印刷名刺のように財布から出してというのも気が引ける(ま、それまでは名刺持ってること自体が恥ずかしいというモラトリアムな自意識があり、今持ち合わせがなくて・・で済ませてしまうことの方が多かったのだが)。
ところがそんな矢先、garaikaさんの家づくり行ったり来たり で「Eさんの名刺入れ 」という記事がエントリーされたのである。以前からレザークラフトで作られたものを度々ブログで紹介されていた garaikaさんにはいつか何か注文してみたいと思っていたのだが、その名刺入れの写真を見た瞬間、そのときは来た!とばかりに早速相談のメールを送っていた。そして、それから約2ヶ月後の6月10日、できれば郵送よりも手渡しでということで、仕上がった作品を直接受け取ったときの写真が冒頭のものになる。
しかし、ご覧いただくとわかるように、その写真には名刺入れの他に手帳と何やら棒状のものが写っている。それらこそ garaikaさんに注文したならではのオーダーメイドの醍醐味のようなものだったのだが、その話は後回しにして、まずは名刺入れのことから触れていくことにしよう。
名刺入れについては「Eさんの名刺入れ 」という明確なモデルがあったので、色の好みを言って、ポケットの数と何枚くらい入るようにするか、そして装飾をどうするかということを決めるくらいの話だった。当初は(^^;)
ところがメールのやりとりをしながら実際の仕上がりのイメージが自分の中でリアルに想像出来始めてくると、私の悪いクセとでも言うか、気まぐれな思いつきがつい口をついてアレコレ出て来てしまったのである。しかし、そこはさすがは garaikaさん!
その思い付きに付き合われながら、徐々に私が求めているものが何かを整理されていった。ただ、一応は家づくり経験1回の私も多少は施主馴れしてきてるのか、その自己解体→交通整理の過程は自分で自分を楽しみながら(敢えて無理を言ってみつつ、最後はシンプルにまとまるようにという意識を持って)、創作に立ち会えたように思う。
無論、家のように大きなものではないからというところもあるんだろうが、この互いに余裕をもった落ち着きの中で家づくりに臨めたなら、家づくりも「オトナの嗜み」の域で贅沢に(金銭的な意味でなく)味わい尽くすことができるだろう。と同時にふだんの自分が創作の側にまわっているときにもクライアントにそのような感覚を味わってもらえるように持って行きたいものである。
最終的にはヌメ革をそのまま使ったシンプルな名刺入れに。今後アメ色に変色していくのが楽しみ。
さて、仕上がった名刺入れは満足を超えて何度も唸らせられる仕上がりだった。最終的にM字で決着したステッチによる装飾は漠然と想像していたこじんまりとした意匠からは掛け離れた、見ての通りの超大胆なものとなっていた。ついM字開脚と書いてしまいたくなる面一杯のMである(笑) ただ、そのMがタダのMでないのが、名刺入れを開いたときにわかるようにしっかり折り返された革の縫い合わせとして最も適当な位置にあしらわれていることである。さらに嬉しいことにその開いた面にもMの刻印があり、そして名刺を取り出しやすいように逆三角形を入れたことで、その面全体もまたMに見えなくもない。まさにM尽くしの名刺('M'eishi)であり、「超S imple、だけど"M "」というのが garaikaさんのコンセプトだった。
名刺入れに名刺を挟んだところ。枚数が入るように膨らみを持たせられている。
そして、そんなシンプルかつ大胆な名刺入れが仕上がっていく過程で私が言い出した気まぐれ思い付き注文が、その名刺入れにふだん手帳に挟み込んでいるミニシャープペンを差し込めないかという話だったのだが、garaikaさんからは名刺入れにペンホルダーという組み合わせ上の違和感と、ホルダー部分を付けるとその分だけ名刺入れに厚みが増すことを指摘され、むしろペンホルダーの付いてない手帳の方にペンホルダーを付けたらどうかという提案がなされたのだった。
常用しているみずほ銀行の手帳と興銀のシャーペンに合わせて作ってもらったペンホルダー。
その結果として生まれたのが上記のような板状のものにペンホルダーを付け、それを手帳に挟んでゴムバンドで留めるというものである。板状なのでそれは栞としても使え、また裏面にはこれも私が思い付きで言い出したポケットを付けてもらって、そこに数枚カードを挟んでおくこともでき、名刺入れを忘れたときの予備名刺入れとしても活用できるだろう。装飾はこちらもM字をステッチで描き、それがそのまま中の塩ビ板を革でくるむ端を留める役割を果たしている。また、私の思い付きのポケットがここで思わぬ効果を果たし、本来だとどこかで革の継ぎ目が見えてしまうのだが、それがポケット部に来ることでほとんど見えなくて済んでしまった。
ポケットをあしらってもらった面。朝妻さんにプレゼントされた消しゴムスタンプの印 がここにも(^^;)
garaikaさんにとってペンホルダーは初めて手掛けられたもので、ステッチを細いものにしておけばよかったと若干納得のいかないところもあるようなのだが、名刺入れと並べて置くと、兄弟というか、漫才コンビというか、ドンキホーテとサンチョパンサみたいな姿形が同じ太さのM字ステッチだからこそ浮かんできて、愛着を覚えるものである。また、ゴムバンドの劣化を視野に入れて、それを取り外し式にされてるあたりは、さすがは福田政権の200年住宅ビジョンを評価 されている garaikaさんである(笑)
何となくボケとツッコミって感じの名刺入れとペンホルダー。ゴムバンドはツッコミ入れる手か?(^^;)
そして最後にオマケを一つ。これは garaikaさんが製作過程に入られてから思いつかれた別のペンホルダーで、ペンホルダーにプッチンクリップ というクリップを付けて、それを手帳の1ページに装着するというものである。ゴムバンドの付け外しをしなくてよいという点ではこちらの方が簡便なので、しばらくは両方を実用で使ってみて、使いやすい方をメインの手帳で使っていきたい。
このようにクリップでペンホルダーを装着する。
以上、どれも手に取ると自然と笑みがこぼれてくるのだが、ひとつ悔しいのは私が平常ひきこもりで人と会う機会があまりないということである。以前ブログ始めてブログのネタのために行動するなんて本末転倒な話を耳にしたが、私の場合、名刺入れを人に見せびらかせるために、人と会うなんていう本末転倒を演じるのだろうか(汗)
□◇
このエントリーは garaikaさんから名刺入れ等々を受け取ったときに話を示し合わせて同日エントリーにしようということになっていた。garaikaさんはひょっとして待たれていたのかもしれないが、時間的にもちょうど私がエントリーしたのとほぼ同じタイミングでエントリーされたようだ。
⇒ m-loiusさんの名刺入れ──「超S、だけどM」なモノ
そのエントリーの文末でも書かれているように、何を書くかは相談せず、ただ、エントリー日だけを示し合わせたものだったが、そのエントリーを読んでるとまた自然と笑みがこぼれてくる。何ともクライアントとして良い時間を過ごさせてもらった。というかその良い時間は名刺入れの経年変化と共に今後も続く。
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2008年06月10日 (火)
2008年6月7日 18:08, 大阪/自室, Nikon D300/26mm
祖父の遺作展で慌ただしくてたもので、時差ボケはおろか三週差ボケの祝辞である。
Kai-Wai 散策 の masaさんこと、村田賢比古氏が写真集を出版された。そのタイトルは『時差ボケ東京 』。Kai-Wai 散策ではご本人の人柄よろしく控えめな紹介に留められているので、より詳しく写真集の情報をお求めの方は、もはや masanager とも言えそうな、わきたさんのエントリー「村田賢比古・写真集『時差ボケ東京』 」を随時チェックされることをオススメする。
また、写真集を見ているとどうしても知りたくなってしまうその撮影手法については masaさんの盟友である玉井一匡氏の「「時差ボケ東京」を開く 」のエントリーを読まれると幾つかのヒントが見えてくるだろう。ただ、そのエントリーを読まれるタイミングは実際に写真集を手に取られてからの方が良いかもしれない。そういう意味では『時差ボケ東京』を一家に一冊まだお買い求めでない方は、まず一番に LOVEGARDEN の「『時差ボケ東京』当店にて発売中! 」にアクセスすべしだろう(^^;)
冒頭の写真は『時差ボケ東京』を書棚に収めたところなのだが、見ての通り、収めたというよりは飾られたという方が相応しい。収めるスペースがなかったという理由はあったにせよ、それ以上に『THE PICASSO PAPERS 』と並べて飾りたくなる表紙だったということの方が大きい。いろんな意味で大きな写真集である。必見必携の書!
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2008年01月31日 (木)
2005.10.24 16:14, 徳島県徳島市(徳島港), MINOLTA DiMAGE G400
「無印の家 」がランクイン。それにしても最近は近所の100円ショップがどこも充実してしまっているので、無印良品行く機会ってまるでない。まあ、谷中から東京港→徳島→和歌山とフェリーで経由し、和歌山からは漕いで帰った無印の電動アシスト自転車 のお世話には日々なっているのであるが‥‥。
軍艦アパート 9.2% 上棟式 2.2% 遊郭 1.7% グヤーシュ 1.5% 谷中 1.4% 無印の家 1.3% 写真 1.2% 臭突 1.1% 山門不幸 0.9% 板塀 0.8%
先月(2007年12月)の解析結果はこちら から。
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2006年09月21日 (木)
実家からの荷物に芸大絵画棟8Fから我が家の方角を撮影した写真が入っていた。
なんでも芸大が9月8日〜10日まで藝祭 期間中とのことで、その期間に8Fまで上ってきたようだ(まあ、ふだんからうちの両親は頻繁に芸大 に入り込んでいるのだが)。
で、先日の「工事中@Google Earth 」ではないが、わかる人にはわかるうちの建物3Fより上部分が今度はちゃんとタラップ薄緑青色で写っている。
ちなみに Google Earth で似たような角度を見るとこんな感じ。
当たり前っちゃ当たり前だけど、実際に見るのとは全然違う。まだまだ一般にネット上に転がる街並み写真はそれはそれで貴重なものと言えるのだろう。
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2006年09月15日 (金)
日本語版「Google Earth 」が公開された。去年6月にも「Google Satellite 」というエントリーで、Google Maps BETA版の Satellite 機能を紹介したが、前回が世界地図の衛星画像版だったとすれば、今度の「Google Earth」は衛星写真の地球儀化とでも言えようか? いや、NYタイムズ誌が「鳥のように飛べたらいいなと思ったことはありませんか…」とレビューしたように、鳥のように上下左右にグラインド可能な視座を得たとも言える。と言っても、結局画像自体は一視点で撮られた写真に過ぎないので、ズームインすれば所詮その3D感覚は画像を歪ませることによって錯覚させられているものであり、視点の切れ目のズレ(アラ)は補いようのないものなのであるが、、そういう意味では「Google Earth」が楽しく感じられるのはズームインしたときよりもズームアウトしながら「地球は丸い」と感じさせられるときである。
ところで「Google Satellite」で谷中の実家位置を確認したら、そこがまだ更地だったことは前回書いたが、今回確認したら家は一応あるようなのだが、緑青色をイメージして塗ったはずのタラップがまだ鉄骨の赤色のままなのである。ということはこの谷中界隈の衛星写真は鉄骨が立ち上がって、竣工するまでの工事期間、つまり2004年3月〜7月までの間に撮られた写真だということになる。
冒頭の写真でわかる人はどこに赤いタラップがあるかわかるはず(笑)
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2006年08月29日 (火)
上の画像は長らく私が PowerBook のデスクトップ用壁紙にしているものである。
「CWVF≒臭突 」のエントリーで、ちはる さんから「子供の頃はココからサンタさんが入ってくるのだと信じたものです」というコメントを受け、思い出したのが私も子供の頃、つまり三鷹金猊居在住時代に風呂場の煙突を見上げながら、首を傾けつつもそれでもサンタクロースを信じようとしていたことである。
三鷹金猊居は敷地内に風呂場が独立して存在する、それだけ聞くとかなり贅沢な家だった。しかし、田舎育ちの妻でさえ驚いたように、その独立風呂小屋ともいえる風呂場はなかなか年季が入っていて、戸・窓はガタガタのスカスカ、ある意味、覗きもし放題。冬場は冷たい風がピューピュー吹き込んでくるような、裸になったら即風呂に飛び込まないとやってられん!くらいのオンボロ風呂だったのである。
風呂は木桶でガスで沸かし、そのガスの換気口ということだったのだろうか? 煙突が付いていた。しかし、風呂を沸かしても煙が出たわけではないので、むしろ臭突に近いものだったと言えるのかもしれない。
小学校高学年になるくらいまで純粋培養の超無邪気少年だった私はサンタクロースの話も何の疑いもなく信じてしまうようなアホな子供だった。ただ、そんなサンタを信じつつもちょっとだけおかしいなとは思ってもいたのである。それはまず第一に煙突の穴が通気用の細い穴しかなくて、とても人が入れるような大きさではなかったこと。もう一つは風呂場が独立しているので、どうやって私の寝ていた母屋まで入ってきたのか?ということ。そういうプラグマティックな面だけは空想世界に対する無思考ぶりに対し、多少は冷静に考えようという側面を子供ながらに兼ね備えていたようである。
デスクトップの壁紙に冒頭の画像を選んだ理由は色相のバラツキが少なく、彩度抑えめで背景として目に鬱陶しくないというのが第一ではあったが、どこかこの煙突には何とも言い難い懐かしさのようなものがあり、それを無意識裡に選び、長く使い続けている理由にも繋がっているのだろう。そしてまたそれを無意識裡に日々見続けていることが私の必要以上の「CWVF≒臭突」への興味・関心にも繋がっているのかもしれない。
臭突を通れぬサンタの最大のプレゼントは「臭突」そのものだったのである。
【写真上】2002.10.07 09:33 三鷹金猊居・風呂場の煙突・モデル:ウスケ
【写真中】2002.10.03 10:53 三鷹金猊居・風呂場の浴室・モデル:ウスケ
【写真下】2002.10.14 05:36 三鷹金猊居解体日の早朝・風呂場の正面写真
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2006年08月24日 (木)
去年の秋に flickr で nodoca さんらと「臭突」のことが話題になったことがあった。
臭突とは水洗化されてないトイレ(所謂汲み取り式便所)の臭いを外気に排出する煙突状のファンのようなものである。それまでは漠然と煙突との区別なしに田舎でときおり目にする光景として捉えていたが、それが話題になってからは妙に意識して見るようになってしまった。というか、まず最初はその名前がわからなかったのである。
そして名前のわからないまま、「トイレの換気するヤツ (Copyrighting by isado )」についての Group「chimney with ventilation fan=CWVF 」を nodocaさんが flickr に立ち上げられる。で、「CWVF」という造語が flickr 仲間(といっても極数名)間での通称となっていたのだが、今年の正月に妻の実家・総領に帰省した折り、当然のように2器備わっている 家なので義父母に聞いてみたのである。
すると最初はその名前に思い当たらないのか、換気なんとかじゃろと誤魔化していたのだが、帰阪日の車の中で二人が何食わぬ顔して「あの臭突が・・」などと話しているのである。う〜む、彼らはどこかで調べていたのだろうか? それとも突如思い出したのか? いずれにせよ、その名前ならば CWVF を表現するのにもしっくり来る。早速帰宅後にググってみると wikipedia の「汲み取り式便所 」説明文に「臭突」という言葉は出ており、また、ネポン という会社からはしっかり「臭突 」という名の付いたソケット等が販売されていた。どうやら義父母の弁に間違いはなかったようである。
ところで今回なぜ「臭突」の話を突如エントリーしたかというと、Kai-Wai 散策「N的家譚 」で masaさんが江戸川区平井で見つけられた如何にも neonさん画仕立てな家の写真をアップされ「これで臭突が装備されていたら…」と悔しがられるのだが、そしたら neonさんがN的画譚「紫陽花色の家 」でお返しとばかりに臭突装備の画をアップされるという経緯があり、まあ、何となく私もそれに反応して「臭突」のことに触れたくなってしまったのである。ちなみに neonさんはコメントで「臭突」の「臭」の字が哀しいので「もっと他の呼び名はないもんでしょうか?」と書かれているのだが、とりあえず私共で提供できるのは「CWVF」と、他に nodocaさんがミクシィで発見して教えてくれた「クルクル王子様 」なんてのがある。どないでしょか?(汗)
尚、冒頭の写真は flickr「CWVF 」Group のアイコンとして採用されてる(nodocaさん、多謝!)私が去年の夏に愛知県の稲沢市で撮ったもの。また下のランダムで表示が切り替わる正方形サムネイル写真は「CWVF」Group にプールされたもの。
それとトイレ絡みの写真をひたすら収集されてる satohknackさんという方の Yahoo! フォトアルバム「HTE 臭突 」「くるくる臭突 」は臭突選として大いに見応えアリ!
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2006年08月23日 (水)
去年来のサテライト写真ブームのおかげで、最近は専ら地図検索には Google Map や Yahoo! 地図情報 しか地図検索に使わなくなってしまっていたのだが、久々にマピオン にアクセスしたら「キョリ測β 」なる新機能を発見! コレ、以前からPC上で地図を見るときに欲しいと思っていた機能なのである。例えば大阪自宅から桜宮橋東詰のドンキホーテまで行くのに、源八橋を通るのと桜宮橋(銀橋) を通るのとどっちが近いか?とか、谷中実家のJR最寄り駅は上野・鶯谷・日暮里でどれが近いのか?とか、駅を拒んだ町・妻の実家総領町の最寄り駅は上下で正しいのか?とか。。
これまではそれをモニタに定規を当てて計測してたのだが、この「キョリ測β」のおかげでこれからはそんなことをする必要もない。正確な距離はもちろんのこと、徒歩、自転車、自動車での所要時間も出してくれるし、さらには性別・体重・年齢を入力して消費カロリー計算までしてくれる。まあ、所要時間計算の方は徒歩(3.2km/h)というのは少し遅すぎるし、自動車(40km/h)は標準速度なのかもしれんが、信号などが想定されてないようなので、ちょっとアテにならない。谷中実家から上野駅まで2分で付くとは到底考えられないからだ。
とはいえ、この機能はこれからも私にマピオンのアクセス機会を増やさせてくれそうである。ただ、Google Map や Yahoo! 地図情報等にその機能をパクられたら、またそっちに行ってしまいそうではあるが(汗)←サテライト付ければいいのに>マピオン!
ちなみにさきほど例示した3件についての結果はこうであった。
大阪自宅→桜宮橋東詰のドンキホーテ
・源八橋経由:約1.1km(1085m) 自転車6分 消費カロリー約29kcal 1356歩
・桜宮橋経由:約1.2km(1182m) 自転車6分 消費カロリー約29kcal 1477歩
谷中実家→最寄り駅
・上 野:約1.2km(1153m) 徒歩22分 消費カロリー約65kcal 1441歩
・鶯 谷:約1.3km(1344m) 徒歩25分 消費カロリー約74kcal 1680歩
・日暮里:約1.0km( 991m) 徒歩19分 消費カロリー約56kcal 1239歩
総領実家→最寄り駅
・上 下:約13.7km(13736m) 自動車21分 自転車75分 徒歩258分 17170歩
・甲 奴:約16.2km(16199m) 自動車24分 自転車88分 徒歩304分 20249歩
・備後安田:約11.9km(11947m) 自動車18分 自転車65分 徒歩224分 14934歩
・備後庄原:約13.0km(13017m) 自動車20分 自転車71分 徒歩244分 16271歩
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2006年08月18日 (金)
諏訪の高過庵 を見に行ったゴリモンさんのエントリー「木の上に住んでみたい♪ 」コメントで、X-Knowledge HOME 特別編集 No.7『ザ・藤森照信』 を紹介しておきながら自分は目を通してないというのも何なので、本日、堂島のジュンク堂で買ってきた。
まだパラパラと写真を見ながら、藤森照信×岡崎乾二郎=対談「最後に残る建築は?」しか読んでないのだが、藤森建築撮り下ろしと称する写真、これがふだん建築雑誌等で見掛ける写真とちょっと違う。というか、ゴリモンさんが Photoshop 加工して最近よく遊んでられる「箱庭梅田 」写真にそっくり? てゆーかゴリモンさん、それらの写真を指して"本城直季もどき"って書かれてたんだけど、『ザ・藤森照信』の撮影者とはまさしく本城直季氏ご当人だったのである。
高額な建築雑誌を買えない身分の藤森ファンの一人としては、建築雑誌でしか見られなかった藤森建築写真も所収されているということで、フツウの建築写真(写真としての作品色の強くない)を期待していたのだが、それはあくまでプチマニアックな個人的所有欲ということで本城直季氏の写真を採用した編集方針の是非についてはさておく。
しかし、私が興味深かったのは藤森×岡崎対談の中で、藤森氏が神長官守矢史料館 の実物をオープン前に見たらそれが模型に見えてしまって恐怖を覚えたと告白していることである。この告白があって本城直季氏が撮影者として選ばれたのかはわからないが、この実物/模型についての話は建築論としても写真論としても面白く読めるので、以下に引用しておく。
藤森照信×岡崎乾二郎=対談「最後に残る建築は?」(『ザ・藤森照信』P.126) 神長官守矢史料館(1991)を作った時にものすごいショックを受けたのは、作ってオープン前ですけど、見ているとなんか実物が模型に見えた。ものすごい恐怖でさ。それは実は草の生え方の問題だったんです。地べたと土蔵のほうの外壁は、湿気の問題で切ってあるんですよ。スーと線で空いてた。あわててそこへ土を盛ったらちゃんと地べたに生えた。で、要するにそのことだけで実物になったり模型になったりするということがえらく恐怖で、ちょっとしたことで付いたり離れたりする本質を僕の建物は持っている ということに、もう初期に気づいたのね。
本城直季氏がどのように撮影→現像してるのかは知らないので、あくまでここではゴリモンさんの「もどき」話に限定するが、彼は「箱庭梅田」写真を Photoshop で「コントランストを強めにして上でピンボケ加工する」ようにして作られている。その際の加工技術は「箱庭」の持っているリアリティに近づくべく費やされている。しかしながら考えるまでもなく、その「箱庭」のリアリティとは「箱庭」自体が現実の世界のリアリティを得ようとして得損ねた部分にこそ現れているのである。そしてその得損ねた部分を得るために必要とされる技術がコントラスト強めだったりピンボケだったり、、そして『ザ・藤森照信』の大半の写真がそんな感じで模型の複写なのだか、現物の複写なのだかよくわからないのである。
しかし、おそらく藤森氏はこの刷り上がった『ザ・藤森照信』を手にしてもその実物だか模型だかわからない建築写真に「ものすごい恐怖」を感じることはないだろうという気はする。それは本城直季氏の写真の質の問題とは無関係に、それが写真であること、そして藤森氏が建築家であることに起因すると見るのは純朴すぎるだろうか?
ゴリモンさんには是非この冊子を手にする前に、高過庵箱庭にも挑戦してもらいたい♪
【写真】『ザ・藤森照信』表紙をスキャンしたものの部分掲載(撮影:本城直季氏)
【追記】後でググってみたところ、本城氏の写真は「大判カメラを用い、アオリによって擬似的に浅い被写界深度を表現することによって、実際の風景をまるでミニチュアの接写であるかのように見せる手法が特徴的」(by はてな )とのことで、Photoshop 加工を積極的に取り入れた写真ではないようだ。「Tokyo Source: 012 本城直季(写真家) 」で彼のプロフィールと自作品についてのインタビューが掲載されている。
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2006年07月15日 (土)
3連休の初日、旅欲求不満気味の妻と近江八幡に日帰りで行ってきたのだが(詳しくはLBGO「近江八幡日帰りの旅・その1 」参照)、そこで思わぬものと巡り会った。
古くから三鷹の実家にあったもので、谷中にも持ち込みはしたものの、1階で行き場もなく水屋箪笥の上に置かれた「行器(ホカイ)」である。それとほぼそっくりなものが2器、近江八幡の歴史民俗博物館 に展示されていたのだ。
この行器、実はこれまでどういう漢字なのかを知らなかった。基本設計期間中に「家具・建具・古材 再利用リスト 」を用意したときにもそこではどういう漢字なのかわからず「ほかい」と平仮名で書いてしまっている。「ほかい」という呼称を教えてくれた母も漢字まではわからず、前任建築家たちとの間でも、豊田さんとの間でも「ほかい」と平仮名のまま、図面上に記入され続けてきたのである。今にして思えばググれよ!と言いたくなるところだが、当時もググってはいたものの出て来なかったのか、その辺のところは忘れてしまった。
近江八幡の歴史民俗博物館ではその行器に「行器(食器を運ぶのに用いる容器)」というキャプションが付いていて、もちろんふりがなも振ってあった。
ちなみに私は漢字や読み方は知らなかったものの、用途については子供の頃から知っていて(実際うちの行器にも器が入っていた)、それをなぜ知っていたかをこれから書くこととしよう。
小学校の何年生の頃だったか忘れたが、「附子(ブス)」という狂言を学校で観に行ったことがあった。太郎冠者と次郎冠者という二人の召使いが出てきて、主人が留守にする間、ある容器(附子)の蓋を開けるなと命じられる。その附子の中には本当は砂糖が入っていて、それを主人は留守中、誰にも食べられたくなかったので「附子を開けると中の毒で死ぬぞ!」とまで脅して出掛けるのだが、太郎冠者と次郎冠者は興味に駆られて附子を開けてしまい、さらには中味を全部食べてしまうという話である。
・・と思っていたら、実際のところはちょっと違った。
狂言 「附子」 というページなどによると、まず「附子」というのは容器ではなくて、植物から作る毒(何と!トリカブトらしい)のことで、主人はその容器には本当は砂糖が入っているのに「附子(毒)が入っているから、その風に当たってもいけない」と二人を脅して出掛けたのだそうな。当時から国語に関しては至って低脳だった私が如何にも犯しそうな勘違いではあるが、国語嫌いの私でもこの話は妙にインパクトが強かった。なぜって「ブス」だからである(笑)
そしてこの学校で観に行った狂言では「附子」を入れた容器に件の「行器」が使われていたのである(ちなみにその容器は壺だったり、桶だったりと多説あるようだ)。なので、当時の私は「うちにはブスがある」としきりに自慢していた記憶が残っている。
ここで悪戯好きの少年であれば、当然さらなる好奇心に駆られることだろう。すなわち「うちのブスは大丈夫だろうか?」と。そして私も親や祖父母には内緒でこっそりブスの蓋を開けてみたのである。すると何と言うことはない、そこに入っていたものとはまさしく行器の用途そのままに漆塗りの器(茶碗)だった。あのときのがっかり気分(+ひそかな安堵感)と言ったらなかった。そういう体験は得てして後々まで残るものだ。
基本設計で三鷹金猊居から谷中へ持って行く家具類をリストアップしていたとき、私は言うまでもなく当初「ホカイ」を「ブス」と呼んで話していた。当然、ほどなく母からのツッコミを受けることになるわけだが、それでもその漢字は知らぬまま数年、それが今回の近江八幡の旅で「行器」という漢字に辿り着き、何となく私は少しだけ自分が大人になったような気分がしたのである。
【写真上】2002.10.04 01:36, 三鷹金猊居 畫室 床の間にて
【写真中】2005.05.25 09:38, 谷中M類栖1階 展示スペース(ちなみに行器の手前の趣味の悪いカバーは、当時、実家では無用でしかなかった電動アシスト自転車 に被せられていたものである。現在その自転車は私が大阪まで乗り帰ったため、ない)
【写真下】2006.07.15 16:40, 近江八幡 歴史民俗博物館にて
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2006年07月06日 (木)
前々からあってもいいかと思っていた「ツール・アイテム 」のカテゴリを追加した。
もちろんメインは日曜大工道具的なものでありたいと思っているが、カメラ関係の遊び道具や、果ては Movable Type 関連のブログツールまで含めたカテゴリにしようかと思っている。まあ、その辺は紹介というよりも備忘録としてのエントリーね。
しかし一応、新カテ作るに当たって、辞書で「 tool」の意味を調べてみたんだけど、一般的に知られる「道具」絡みの意味以外に「(人の)手先」「男根(penis)」なんて意味も持っているのね。ま、どっちも「道具」といえば道具なんだけど(^^;)
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2006年02月25日 (土)
数年前まで私はフライト3時間以上の飛行機に乗ると着陸後に必ず体調を崩していた。離着陸時の急激な気圧の変化に体が過敏に反応してしまうらしい。あるとき、こうした症状には耳栓が効くという話を聞き、少し調べて「サイレンシア・フライト 」なる2千円近くもする耳栓を買ってみた。上の写真を見てもわかるように3層の膜を耳孔に押し込むかなり特殊な形状の耳栓で、馴れるまでは若干耳が痛い。防音効果の方はおそらく普通の耳栓よりも相当高くて、エンジン音等の騒音が抑えられるのは良いが、同行者や機内アナウンスの声などが聞きづらくなるところが困るっちゃー困る。でも、2千円の威力とでも言うべきか、これ装着して以来、飛行機による体調不良が一気に解消されてしまったのだから、海外旅行には手放せないアイテムとなってしまった。
ところで去年、iPod mini を買って間もなく、せっかくだからちょっと贅沢なイヤホンもついでに買おうと色々物色していたときに、ドイツの ETYMOTIC RESEARCH社 が出している「ER6i 」というイヤホンがほとんどサイレンシア・フライトと同じ形状をしているということを知った。値段は2千円どころか1万円ちょいもするものなのだが、「あのアメリカのブッシュ大統領もオフでマウンテンバイクに乗る時には必ず GIRO のヘルメットに iPod & ETYMOTIC RESEARCHのER-6i」という商品説明に魅せられて思わず買ってしまった。だって、ネオコンのブッシュが新左翼系アップルの人気製品とセットで使ってるというアンバランスさは、それだけでも「オレ、ブッシュと同じもん使ってるんだぜ!」という超アホアホネタになるじゃーないですか!!(^^;)
で、肝心の使い心地はこれまたサイレンシア・フライト同様、馴れるまでに多少時間が掛かった。ちゃんと装着すれば音は漏らさず拾ってくれるのであるが、音が脳髄に響くとでも言ったらいいか、ちょっと漏れなさ過ぎで頭が痛くなってくるのである。ただ、結果的にこれも使ってるうちに馴れてしまって、音を漏らさず拾うってだけに外への音漏れもほとんどなく、まあ、ふだんひきこもりなんでそう頻繁に使うわけでもないが、これまた旅行には手放せない必携アイテムとなっている。
そして今回のフライト計13時間の中欧旅行には一応両方持参したが、使ったのは専らイヤホンの方で、充分それでサイレンシア・フライトと同等の役割を果たしてくれたと言える。特に行きの飛行機では父と席が離れてしまった上に、同列の通路側に座った人の鼾がうるさかったので、iPod 持って行っておいてよかった〜とつくづく思わさせられたのである。なお、写真のサイレンシア・フライトと ER6i の色が随分違うのは ER6i の方が使い込んでて、耳垢というか耳油で染まってしまったのである(汗)
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2006年01月13日 (金)
「謹賀新年&休業のお知らせ 」文末でカメラの悩みではなくて結果報告のエントリーをすると書いたが、その報告のためのアイテムが本日届いた。ところが!である。
正月に妻の実家に帰省してた頃から花粉症の時期でもないのに目脂が妙に出るもんだと思っていると(尤も帰省先の総領町は毎春もの凄い量の花粉 が舞う)、昨日あたりから異様に左目が腫れ始め、眼科に行ったら両目ウィルス性結膜炎 と診断されてしまった。
というわけで、眼科医からは「家族と半径50cm以上近づくな!」「極力モノにも触れるな!」とのお達しが出てしまって、せっかく届いたブツのファインダーすら覗くことができない始末である(泪)
さて、そのブツとは見ての通り、Nikon のデジタル一眼レフカメラ D50 なのである。
新機種購入にあたり、散々迷いはしたが、購入の決め手となった最大の理由は1/15(日) までやっている「1万円キャッシュバックキャンペーン 」であった。何とこれを利用すれば「価格.com 」の最安レートでなくとも、送料込み5万以下の価格でデジ一眼本体が買えてしまう。この5万以下ってのが貧乏人一家の主にとっては何とも心休まるやさしい数字なのだ。気後れしなくて済むというか(^^;)
3年前に買った KONICA MINOLTA の DiMARGE G400 にさすがに厳しさを覚え始め(ある意味買った当初 から厳しくもあったけど)、新機種購入を考え始めた当初は Nikon D70 、Canon Kiss N 、Ricoh GR DIGITAL の間で揺れていた(ま、当初と言っても本当の当初は Nikon のフィルムカメラを持っていたこともあって Nikon しか頭になかったのだが、masaさんとの「ココア談義 」によって Canon にも心揺らされるようになっていたのである)。金銭的にはどれを買うにも7万の出費は必死で、揺れてはいたが結局買わずに SANYO の次期コンパクトデジカメあたりを買うことになるんだろうな〜と、言ってしまえばデジ一眼は言ってみるだけの儚い夢のようなものだった。
それに価格以外にも悩むべき点は幾つかあった。
まず D70 と Kiss N の、所謂デジ一眼に関しては当たり前のようだが重くてデカいこと(Kiss N はデジ一眼としてはかなり魅力的な小ささを実現してはいるものの)。ふだんチャリ移動が多く、そうでなくとも手ぶら行動を好む自分にとっては結局デジ一眼はお荷物なだけ。サッと取り出してサッと撮れる携帯記録性こそが重要で、それ以上のレベルの写真を撮る必要性というか能力(アウラとも言うべき)がそもそも私にはない。
そしてもう一つ悩ましい点が、デジ一眼にはライブビュー(モニタ撮影する)機能が付いていないことだった。当初、店頭で試し撮りする際にどうやってもモニタに映すことができなくて操作が相当難しいのかと思っていたら、そもそもコンパクトデジカメとデジ一眼は構造がまるで違っていて、その性能上ライブビューできないということらしいのだ(唯一 Canon の EOS 20Da にはその機能が搭載されているが、天体写真撮影向け の特殊設計カメラである)。ヨドバシの店員によれば電池の持ちが全然違うし、脇を固めてファインダー覗いた方がブレないから良い。それにファインダー覗く方が本格的な感じでしょ!という説明を受けたが、本格的である必要がない上に視力が低いのにふだん度の入った眼鏡を掛けていない私にとってはファインダー覗いてマニュアルでピント合わせようとしてもぼやけてしまうという方が余程大きな問題なのである。
となると秋山サンタクロース が繰り返し紹介していて、mistubakoさん も買われた GR の存在が頭を過ぎる。が、「価格.com 」最安レートでも約6万7千というところに手が出なかった。超広角21mmワイドコンバージョンレンズ(GW-1) というオプションレンズはあるものの、やはり拡張性の面でデジ一眼からはどうしても痩せ細りしてるし、それでほぼ同価格ってところが厳しかった。
そこにそれまで全く検討対象としていなかった D50 の存在が浮上してきたのである。
「1万円キャッシュバックキャンペーン」に加えて、メモリーがコンパクトフラッシュではなく、SDカードというのも中欧旅行のために 1GB を2枚購入している身としては非常に助かる話だし、レンズやストラップはほとんどお蔵入り状態の Nikon F801s のもので当座は凌げる。つまり、ほぼ5万でデジ一眼ライフが実現してしまうのである。
そして最後まで悩みの種であったライブビュー問題に関しては、頭を切り換えることにした。要は度入りの色眼鏡を買えば良いのである。なんか微妙に本末転倒な気もしなくもないが、とにかく5万以下のカメラという感覚が重要なのである(笑)
それに出だしからまさしくそのライブビュー問題のオチとも言えるウィルス性結膜炎でファインダー覗けない躓きようなんで、、、
というか、今日は年明け早々から13日の金曜日なのであった(汗)
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2006年01月10日 (火)
トラックバックスパムの襲来とサーバ障害に見舞われ、一時「開店休業 」という形を取っていた谷中M類栖ですが、どうにか復活です。2つのトラブルに関してはまた改めてエントリーしようと思いますが、その前に今回の復旧作業に当たって幾つか変更箇所と問題を残したところがあるので、それについて簡単にまとめておきます。
【変更・追加点】
1)URL変更 :トップページも個別エントリーもパス変更。旧URLでは閲覧のみ可。
[旧] http://yanaka.m-louis.org/blog/ → [新] http://yanaka.m-louis.org/
2)トップページにもページ分割機能を採用。但し新着50件分まで。
3)tags(キーワード集) ページを追加。現在は最新20件分のみ記入。
4)カテゴリをタイトルリスト表示からエントリー表示に戻した(正常サーバゆえ)
5)カテゴリに「海外建築・風景 」を追加。
6)個別エントリーフッタ部に「Amazon SEARCH 」を追加。
7)メニューに「Active Entries」を追加。
8)Movable Type ver2.661 → ver3.21a-2 にバージョンアップ。
【問題点】
1)URL変更に伴い、リンク切れ が発生。また一部に画像非表示の可能性も。
2)旧URLにアクセスした場合、コメント・トラックバックができない。
3)tags アーカイブリンクの URL を簡易形式に変更できない。
4)tags アーカイブリンクの日本語文字列が文字化けする(利用に支障はない)
5)コメント時の「五五一」パスワードはスパム対応が面倒なんでそのまま継続。
と以上、今回の変更はデザイン面でリニューアルしたというよりは、システム(MT)のバージョンアップを行ったという方が適切かと思います。まあ、何よりも気が楽なのはトラックバックスパムの襲来に逐一エントリー一つずつ開いて行かなくても、一括削除できる管理画面が用意されてるということでしょうか。
それにしても書き出したデータの読み込み作業には苦労させられました。最初、大容量トラックバックスパムが原因かとも思い、約3000個のスパムを1個1個チェックボタン押して削除して行ったのですが、それでキレイになった書き出しデータを読み込まそうと思っても途中でフリーズ。結局、書き出したデータを3分割してどうにか読み込ませました。340件でもそんなになっちゃうということは1000件越えてるブログとかってさぞかし大変そう。というか、そのトラブルもうちだけのものだったり?(汗)
しかし、そうした作業中、瞬間的にサーバに旧データをアップし直したら、そのタイミングで「Kai-Wai 散策 」の masaさんからコメントが届いてびっくり。そのコメントは「飾る棉 」のところにしっかり温存してやす(^^;)
そんなこんなで年末から年明けに掛けてはトラックバックスパム、サーバ障害、データ読み込み問題と三重苦を味わっていたのですが、それ以上に何ともやるせない気持ちになってしまったのが、rattleheadさんのブログ「家の記録の妄想 」が突然存在しなくなってしまったこと。朝妻さんは「寂しい 」と題するエントリーで「家の記録の妄想」が家づくりポータルとしてほとんど日常化していたことを書かれ、ノアノアさんも「家男、PLEASE, COMEBACK!!! 」と彼の復活を待ち望んでいる。
彼がなぜブログを辞めてしまったのか、あるいは辞めたくなったのか、それとも辞めざるを得なくなったのか、その理由はすべて推測の域を越えるものではない。ただ、私個人としては彼のブログは「家」が取っ掛かりになってはいるが、それがあってもなくても読みたいブログの一つであった。その意味で「家男」の冠が外れていたとしても私は rattlehead の復活を望む。I hope that rattlehead is the resurrection.
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