2006年07月29日 (土)
朝鮮人街道、高麗橋まで
LBGO「近江八幡日帰りの旅・その3」で京街道商店街の丁稚羊羹で有名な紙平老舗のことが書かれているのを読んでいて、お店のご主人から教わった話を一つ思い出した。
それはその商店街のある京街道が近江八幡〜彦根あたりまでにかけて朝鮮人街道とも呼ばれているということについてである。ちょうど市立資料館を出て、商店街へと向かう途中に「朝鮮人街道」と書かれた石碑があり、その脇には近江八幡観光物産協会による以下のような説明書きがなされている。
2006年07月22日 (土)
トヨクニハウス・Aの影
わきた・けんいちさんの Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」で「トヨクニハウス」という戦前のRC造集合住宅を知って以降、都島方面に用がある度に何度か見に行っているのだが、なかなかそれについてエントリーする機会を持てずにいた。この日もコーナン都島店にフライパンを買いに行く必要があったため、前を通りはしたものの、今は大相撲名古屋場所期間中なもので、夕方の外出でそう悠長に寄り道してもいられない。というわけで、自転車に乗ったまま撮影したトヨクニハウスのロゴのみ今回は紹介することにしよう。厳密にはロゴそのものよりも、「トヨクニハウス・A」のロゴが夕陽を浴びて出来た影の方を撮りたかったのであるが。。
2006年07月21日 (金)
近江八幡の葦と天神祭
妻の LBGO「近江八幡日帰りの旅・その1」では近江八幡の葦が天神祭で大阪天満宮に奉納されるということについて触れられている。近江八幡への日帰り旅行で水郷めぐりをしたとき、船頭さんからその話題が出て、天神祭ご当地に住む我々としてはさすがにその話に食いつかない訳にはいかなかった。はるばる近江八幡まで来て、自分たちの住む街とリンクする話題が出るというのはそれだけでも嬉しくなるものだ。
2006年07月17日 (月)
斜め反り立ち工場
ドリアン求めて野田のジャスコに行くときは、いつも最短距離の国道2号線をチャリで突っ走るのだが、この日は何となくJR東西線福島駅のあたりから路地に入って寄り道気分。すると間もなく出てきたのが、この淀川マシン産業株式会社の建物だった。
写真を見てもわかるようにかなりアヴァンギャルド(無茶)な形状をしている。
特に正面2階の斜めに反り立った部分は床面の骨組みが半分露出していて、ブルーシートが被さられているだけなのだ。会社名でググると一応電話帳登録ページなども出てくるが、現在も健在なのかはよくわからなかった。
2006年06月18日 (日)
大阪歴史博物館の阪急百貨店
妻と大阪歴史博物館に初めて行ってみた(詳細は LBGO「大阪歴史博物館」へ)。
本当はチャングムグッズを求めて NHK大阪放送局に行くのが目的だったのだが、グッズコーナーにはチャングムの携帯ストラップしか置いておらず、5分と時間を必要としなかったので、隣接する大阪歴史博物館に入館したのである。ところがここが思いのほか面白く、閉館1時間前に入館したのは失敗だったと思ってしまったくらいだった。
とりわけ興味深かったのが難波宮に関する資料である。恥ずかしながら私は今年になるまで難波宮の存在すら知らなかったのだが、4月に玉造神社への行き掛けに遺跡を思わせる広場に出くわし、その存在が気になり出したのである。大阪市都市協會が歴史散策というページでも紹介しているが、ここでは Wikipedia 冒頭の文章を引用しておく。
ちなみに現在では宮殿のあった場所は若者のダンス練習台と化していた(^^;)
2006年05月09日 (火)
ぐんかんびより
またまた展示のお知らせ。ここのところ、このブログのアクセス検索ワード1位が続く軍艦アパートですが、それをテーマとした「ぐんかんびより」という企画展示が大阪の南船場にあるギャラリー・アビィで開催されます。flickr contacts の sympathyさんも出展されるとのこと(sympathy 〜共感〜「ぐんかんびより」より)。
2006年04月20日 (木)
耐震強度偽装問題への提言3
このエントリーでは当初、前エントリーの終わりの方で予告していた「より実践的なレベルで免震建築の話をどう耐震強度偽装問題に切り込ませたらよいかについて」書くつもりでいた。しかし、理屈っぽい話ばかりずっと続くと疲れるので、このエントリーはちょっと軽い話題(事例を中心に紹介して)をして閑話休題ということにしたい。
まずこれまで解決案として打ち出してきた免震建築であるが、実際にそれが取り入れられている有名建築を3つほど挙げてみることにする。ちなみにこの3つの建築が免震建築であることを知ったのは、丸激のトークでと多田英之氏の著作によってである。
2006年03月27日 (月)
橋本遊郭の記憶
N的画譚の neonさん、ちはろぐのちはるさんと京阪沿線・京都のはずれは八幡市にある橋本を散策した。橋本は元々は遊郭として栄えた小さな宿場町で、私はその所在はおろか地名すらも知らなかったのだが、20年前に橋本を訪れたことが今の作品スタイルの確立へと繋がったという neonさんとの交流をきっかけに知る機会を得たのである。
「京都断章*1」「京都断章*2」「京都断章*3」と neonさんが橋本との接点について断続的に書かれているので、まずはそちらを参照されたい。特に「京都断章*2」で紹介される作品は、そのエントリーでもコメントさせていただいたようにそのモチーフである「建物の中に neonさんの絵がある」と感じさせられた必見の大作である。
(橋本から帰られた neonさんは「橋本幻景」というエントリーを新たにされている)
2006年03月04日 (土)
軍艦アパート
flickr で sympathyさんのアップされた「大阪 軍艦アパート」の写真でミナミの下寺町(日本橋の東側)に軍艦アパートなる物凄い雰囲気のアパートがあることを知った。
聞くところによれば昭和の初め(昭和6年)に建てられた現存する日本最古の鉄筋公営住宅なのだそうな。ところがそのアパートがこれまた今年度中に取り壊されるという、何だか最近そんな話ばかりで気持ちも凹むが、住民たちは2月末までで退去し、3月から解体工事が始まるまでの間、アパート内に立ち入ることも可能という情報を耳にしたので、私も2/27(月)、3/4(土) と2回に渡ってカメラを持って出掛けてきた。
2006年02月23日 (木)
阪急コンコース*オフ会
「旧阪急梅田駅コンコースを残したい・・」の有志・協力メンバーたちと初のオフ会をしてきました。まあ、オフ会というより、伊東忠太の壁画も撤去作業に入ってしまった現在となっては残念会という方が相応しいものでしたが、こうした出来事を通して新たな人と人の繋がりが生まれ、また新たな活動の萌芽となりそうな予感もあって、全くの付け焼き刃な突貫起動ではあったけど、やってよかったとつくづく思ってます。
もちろん保存の訴え第一ではあったけど、活動を通してブログの展開法を模索する機会にもなったし、自分の仕事にフィードバックさせて考えても経験として非常に価値の高いものでした。あと、こうした活動を立ち上げたときにブロガー仲間たちが一斉に協力体制を作ってくれたのが本当に嬉しかった。これはここ数年で一番嬉しかった出来事と言ってもいいかもしれません。本当に皆さんには感謝しています。