2005年05月06日 (金)

騒音って慣れるもの?

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田植え」のエントリーコメントでカエルの騒音話になったついでに、実家の交通騒音に対するその後の話をレポートしておこう。

家の前の言問通りがあの界隈で東西に抜ける唯一の抜け道となっているため交通量が多く、騒音が激しいことは上棟前の「現地ノイズ調査」のエントリーで取り上げた。
また引き渡し後の「一週間住んでみて」というエントリーでも実家家族全員が車の騒音に悩まされているということについても触れた。

が、今ではもうほとんど騒音が気にならないものになってしまったらしい(汗)
まあ、私から見れば以前の線路から100mと離れていない仮住居での電車騒音をモノともしてなかっただけに、谷中の騒音の方がよほど軽いと思っていたのだが、結局のところは慣れの問題というしかないのだろう。私も妻の実家で初めて寝泊まりした頃はカエルの鳴き声(昼版.wav[65KB]夜版.wav[245KB])があまりにうるさくてなかなか寝付けなかったし、それから大阪に越してきたばかりの頃は朝っぱらから始まるクマゼミの鳴き声に毎朝吃驚させられていたものだ(関東はアブラゼミやミンミンゼミが主流でクマゼミはほとんどいないのである)。

by m-louis : 23:59 | comments (2) | trackbacks (1)

2005年05月04日 (水)

田植え

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前回の「苗代」エントリーに続き、GWを利用して田植えの手伝いに行ってきました。
田植えは苗代と違って誰でも知ってそうな言葉ですが、試しにヤフー辞書検索すると

田植え(たうえ/たうゑ)苗代で育てた稲の苗を水田に移し植えること。[季]初夏。

と出て来ます。が、これだけでは物足りないので知恵蔵からも引用してみました。

田植え(文化-日本食文化考・米)昭和40年代に田植え機が普及してから、家族・親戚総動員しての田植えという風景は見られなくなった。そして、田植えの後、酒を酌み交わし、労働をねぎらう「さなぶり」も姿を消した。種籾を直接水田にまけば、「苗代」での苗作りや田植えという煩雑な作業は不要であるにも関わらず、田植えがおこなわれてきたのは、雑草対策である。「代掻(しろか)き」をして田んぼを平らにすると同時に、芽吹いた雑草を土の中にすきこんで殺す。雑草が一時的になくなった水田に苗代で育てた稲の苗を植えることで、初期の成長を容易にする。しかし、水田といえども、雑草の成長は早く、田植え後の「一番草」「二番草」「三番草」と呼ばれた手取り除草は農家にとって辛い作業だったが、除草剤の登場とともに、田んぼで「中耕除草機」を押す農民の姿は見えなくなった。
どことなくその変遷が村人総出で手伝いに来た時代の家づくりを連想させます。「さなぶり」は云わば「棟上げ」にあたる行事だったのでしょう。しかし、近代化の波は過疎村の隅まで行き届き、我が実家の田植えもその例に漏れず、ほとんどの部分は田植機がやってしまい、手伝いといえば田植機に苗を移すとか運ぶとかその程度のものでした。

冒頭の画像は「苗代」のエントリー最初に見せた2002年時の画像とほぼ同じ田植え前日のまだビニールハウスが取り払われていない時点での苗の様子です。

2005年04月15日 (金)

casa=女性名詞

我が家では語学オタクの妻に合わせて大抵一つ二つNHKの語学講座が毎年見られている。で、今クールといえば一番の注目は妻も LBGO で書いてるように笑い飯の出ているスペイン語会話。先週の初回分を見逃してしまったもんで、今日はTVに「笑い飯」という紙を貼り付けて忘れないように見た。

スペイン語には男性名詞と女性名詞があって、概ね男性名詞は語尾の母音に「o」が付き、女性名詞は「a」が付くという。その例として「libro(本)」と「casa(家)」が挙げられていた。どっちも日本で固有名詞的に扱われているのでスペイン語を勉強してなくても知ってる単語だけど、「casa」はやっぱり女性名詞なんだな〜。

それを聞いて作家の島田雅彦氏と建築家の隈研吾氏の対談で隈氏が次のようにぼやいてたのを思い出した。

島田雅彦著『衣食足りて、住にかまける(P.27)隈:建築家の仕事のほとんどは女性相手で、女性が持っている、空間に対するはてしない欲望みたいなものに常に晒されてほとんど辟易しているわけです。その解毒作用として建築家にはホモが多いという説もあって、実際アメリカの建築家はヘテロよりホモの方が多いかもしれない。僕もあんまり女の顔は見たくないから、事務所のスタッフは美青年ばかりですね(笑)。
by m-louis : 00:33 | comments (4) | trackbacks (0)

2005年04月10日 (日)

苗代

週末、妻の実家(広島の庄原市にこの春吸収合併された総領町)にて苗代の手伝いをしてきました。苗代というのは検索サイトの辞書検索結果によれば

苗代(なわしろ/なえしろ)稲の種をまいて苗を育てる所。苗代田。田植えが機械化された現在は育苗箱が多く用いられる。[季]春。

といったところで、我々はその苗代となるビニールハウスを押っ立て、育苗箱に籾米を無肥土でサンドし、ビニールハウス内に積み重ねるところまで手伝ってきました。このあと田植えまでの約25日間、積み重ねた育苗箱の順番を幾度か反転させて蒸れ具合を均等にし、発芽した頃から一段ずつハウス全体に並べて行くのだそうです。

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上の写真は2002年のGWに田植えの手伝いに行ったときに撮った田植え直前の育苗箱の並べられた様子です。すでにハウスは取り払われ、青々と背を伸ばした苗が田植えの瞬間を待ち構えていました。このあとの追記欄では今回手伝いをした苗代作りの経緯を写真と共に紹介します。

by m-louis : 07:30 | comments (3) | trackbacks (3)

2005年04月05日 (火)

黴(かび) の責任

040718_understrage.jpgもう数週間くらい前になるだろうか。母から1F縁台通路下の収納に入れておいたヴァイオリンケースに厚さ数ミリの黴が生えていたという電話があった。私はその状況を見てないので何とも言い難いところだが、黴を見つけた母はやや一大事といった口ぶりで、ただ、すぐに工務店や設計事務所に苦情連絡するようなことはしてなかったので、ひとまずほっとした。

この問題、一概に設計・施工側に責任を求めるのは誤りである。というより、その責任の比重はどちらかといえば施主の方にあり、より厳密に見るならば諸々関係性の間において生じてしまったと見るのが正しいところだろう。

我が家の1Fが空調面において他の居住スペースとは異なるハイテク装置(エアカルテット)を導入していることについては去年7月の「設備点検&指導」のエントリーで書いた。この選択は祖父の日本画作品保存を第一に考えてのもので、室内はほぼ一定の湿度を維持し、常に浄化された空気が循環するシステムが採用されている。ただ、その仕組みは作品収蔵庫にまでは適用させていたが、さすがに縁台通路下の小収納までは非対応だったのである。

つまり1Fは空調万全だから心配無用という油断がつい我々の間で働いてしまったというわけだが、こうした問題は住人がふだんの生活でもう少し家の隅々まで気配せする習慣を身に付けていれば未然に防げたろうにとも思えてしまう(特にまだ住み始めて間もないわけだから)。だが、この件は毎度の家族への愚痴に繋がるのでこれ以上書くのはやめておく。それよりももう一点、こうした問題を誘発した遠因として考えられるところについてここでは触れておきたい。

by m-louis : 11:11 | comments (0) | trackbacks (0)

2005年03月31日 (木)

祖父から祖母への手紙

施主適齢期」のエントリー最後のところで予告した晩年の祖父が祖母に宛てて書いた手紙をここに掲載する。祖父は1979年に69歳で死んだ。はじめに晩年と書いたが、この手紙が書かれたのは1972年3月31日(金) で祖父はこのとき62歳。その後7年間は低空飛行ながらもそれなりに元気に自宅で暮らしている。手紙の受取人である祖母は祖父より1歳年上の姉さん女房で、祖父が亡くなってから16年間、つまり1995年89歳で永眠するまで生きた。ただ、生きたとはいってもその最晩年は脳梗塞で倒れ、数年間ほとんど植物人間に近い状態で家に帰ることも出来ず病院で亡くなってしまった。

そういえば今月10日に福島に行った際には、祖母の種違いの弟である茂雄大叔父とも会ってきた。もはや三鷹金猊居の昔を知る最後の人と言ってもいいかもしれない。今回は別のことを目的として出向いていたため、こちらの準備不足で一歩踏み込んだところまで話を聞くことはできなかったが、茂大叔父まわりの家系図のコピーを貰ってきたので、今後これをきちんと纏めてもう一度話を聞きに行きたいと思っている。

ところでそんな福島談義を土産話に谷中の実家に戻って母と話していたら、二人とも半分忘れかけていた事実を思い出した。いや、これが母にとってもかなりショックな話なのだが、なぜだか母も私もその話を忘れがちなようなので(あまりにショックだったからだろうか)、ただの身辺話にはなるが記憶保存も兼ねてここに記しておきたい。

祖母は祖父との結婚が2度目の結婚だったのである。
一度目の結婚は地元の茅野だか諏訪の人が相手で新婚生活は半年程度で途切れてしまったらしい。ただ、その途切れ方が時代を感じさせる。
その相手の男性というのがコミュニストだったのだ。教育県として今も知的イメージの強い長野には当時から田舎でありながらもコミュニズムの思想の広まりやすい土壌があったようだ。祖母の初婚の相手はその地域一帯のリーダー格ともいえる存在で、あるとき突然連行されて帰って来なくなってしまった(所謂特高によるアカ狩りというやつだろう)。そのとき祖母は幸いにしてというべきか、入籍届けは出していなかったので、身内のすすめでその結婚はなかったことにさせられたらしい。だから私の母がその事実を知ったのも祖母が亡くなって間もなく親戚の口から不意にその話が漏れたときのことであって、それは衝撃の事実だったわけだが、なぜだか母も私もその話を忘却の彼方に追いやろうとするきらいがあるようだ。

おそらくこのあとに掲載する手紙の差出人である祖父はこの事実を知っていたはずである。その後、そのコミュニストは出所してそれなりに有名な存在になったというから、祖父にとっては死せる亡霊とはまた違ったレベルで気が気ではなかったことだろう。今の時代なら妻の元カレを気にするナイーブな夫と言って片付けられそうだが、ここに時代差的感覚が生じるのかは断定できない。しかし、私も「一歩間違えれば」と仮定するほどのところでもないが、微妙にコミュニストが遠くないところにいたというわけだ。敢えて三歩間違えるなら「種違いのコミュニストの孫」だったわけである(笑)

2005年03月20日 (日)

「家」の選択肢

ノアノアさんが奮闘続けてられる「どこと建てるべきかシリーズ(いや、これが朝妻さんも旋毛曲げちゃうくらいに《つづく》続きなんですが、teacup のブログって本文スペースの横幅狭いもんで、その方が見せ方としてはビジターに優しい気もします。ただ、トラックバックしようとするとどれ選ぶかで迷いますが)」のエントリー。

ノアノアさんの場合、私のように端から建築家じゃないと〜というのではなく、順繰りにすべてを体験された上で(契約したハウスメーカーを解約もされているらしい)、ハウスメーカー、建築家、工務店それぞれの立場に立たれて見られていて興味深い。特に建築家を「擁護すべき立場なのでは」という視点に立たれたのは、やはりまず何よりも家づくりが「成功(朝妻さんが使う言葉の意味において)」だったことを示しているように思う。それと同時にそうした視点に立たれたからこそ、家づくりが終わったあともこうしてブログで意欲的に「家」のことについて、それも「自分の家」自慢を超越したところで書き続けられているのではないだろうか。

よってこの件に関するリアルな観点からの議論はノアノアさんにこのままお任せしてしまおうと思うが(コメント欄のバトルも決して掲示板等にありがちな貧しいバトルに終わってないのでお見逃しなく)、私の方ではある種冗談レベルに話を落として、もう少し遠く離れたところからこの問題について考えてみたい。コメント欄ではノアノアさんでさえ「現実離れした理想論」と言われてしまっているが、私の方はもう最初から積極的に現実離れしたところに話に持って行くつもりである。

by m-louis : 11:48 | comments (2) | trackbacks (0)

2005年03月09日 (水)

4ヶ月ぶりの対面

去年の11月以来のひさびさ上京。
で、4ヶ月ぶりに我が家を外から見た最初の印象は「ずいぶん茶ばんだな〜」だった。壁を吹付塗装にしてるので、細かな粉塵が付着しやすいというのもあるのだろうが、やはり言問通りの交通量が尋常でないことを物語っているような気がする。壁面のみならず、駐車している車や自転車、さらには玄関ドアの把手上っ面まで見てすぐわかるくらい埃を被って黒ずんでいた。というか、何でこの家の住人はそれらを拭き取らずに平気なのだろうか?という寂しい疑問もあるのだが、さすがに壁面の茶ばみばかりはどうしようもない。むしろ薄汚れたことで壁の色として落ち着いたというくらいに見てしかるべきだろう。

050309_1149_knob.jpgしかし、繰り返しにはなるが、義父が作ってくれた把手くらいは自分たちだけでなく、お客さんも手で触れるところなのだから、もう少しキレイにしててもらいたいよな〜と思ってしまう。とまあ、それはおそらくこの後に愚痴エントリーとなるであろう室内にあっても同様というか、それ以上にひどい(というより物凄い)話は出て来てしまうのであるが。。

それと余談ではあるが、自転車が1台増えていた。それについてもたっぷり愚痴は零せるがもうそこまでの話はこのブログではしたくない。ただ一つ、半ば呆れ半ば感心した笑い話として、その1台増えたという自転車は決して新しく買ったものではない。武蔵野市の伯母の家に預けてあったものを現在74歳になる父が3時間掛けて一人で谷中まで漕いで来たそうなのである。

by m-louis : 11:44 | comments (3) | trackbacks (0)

2005年02月22日 (火)

施主適齢期

住宅建築ネットワーク」のコメントスペースでは施主と設計者の「恋愛結婚」という言葉が出て来たが、結婚適齢期という言葉があるように施主が家を建てる適齢期というものはあるのだろうか。今回は祖父のケースを引き合いに出して考えてみたい。

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私の祖父は自邸=三鷹金猊居を29歳で建てている。
身内贔屓であることを承知で言うならば、あらゆる意味において早熟だった私の祖父は自分の家を建てるということにあっても、自ら実施図面まで引いて大工を指示する辣腕振りを発揮していた。当時祖父の本職は日本画家だったが、工芸や建築への造詣も深く、日本画での繊細な描写を得意とする祖父にとっては建築図面を精緻に描くことはお茶の子さいさいだったにちがいない。何せ残された図面のコピーを見た私の知り合いの建築史家もぶったまげてたくらいだから。

しかし、そんな早熟多才な祖父が私の目から見て決して満足な一生を送れなかったように思える理由の一つにこの三鷹金猊居の存在があるような気がしてならない。1997年10月に祖父の遺作展(※1)を企画した私はその挨拶文で「不遇」という言葉を使ったが、今回の家作りという経験はその言葉の採用に些かの疑問を抱くものとなった。私は9歳のときに祖父を亡くして以降、母方の身内からは事あるごとに祖父は無念を残したまま死んでしまった、時代が悪かったという話を聞かされてきたが、果たしてその話を鵜呑みにしていて良いのだろうかと思い始めたのである。

by m-louis : 19:18 | comments (8) | trackbacks (4)

2005年02月20日 (日)

家と命

直接家作りとは関係ない話だが、友人のブログ・コメントスペースで友人の誕生日に祝いの言葉を贈っていたとき、その友人が面白いことを書いてコメントレスしてくれた。

ひめごと波乱万丈な日々報告」より考えてみると、誕生日というのは、お母さんが大変な思いをして生んでくれた日なわけで。今日は休暇をとって一日フラフラ出歩く予定ですが、帰ったらちゃんと長崎の母に電話してご機嫌をうかがいたいなと思います。

正直、この話は目から鱗というか、言い得て妙の話である。うちの母は趣味がプレゼントといっても良いような人なもんで、つい反動的になってしまって、何やかんやと理由をつけて貰うことを拒絶する態度を示して来ていたのだが、こういう逆転の発想があったとは! というか、これだったらば何の抵抗感もなく親に対して素直に感謝の気持ちが現わせられるような気がする(玉川上水で入水心中したなよっちい文豪は違うかも知れないが)。というわけで、母の誕生日はもうすぐだが、それは妻に任せるとして、自分の誕生日には両親に対して何か考えてみたい。というか、まだだいぶ先なんだけど、なんだかそれはちょっと楽しみになってきた。

by m-louis : 06:43 | comments (9) | trackbacks (0)
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