先月上京できなかったので、2ヶ月ぶりの打合せ。
今回も前回と同じく場所は谷中M類栖で。確か矢原さんが冗談で、初音の事務所よりこちらの方がテーブルが大きいんですよと言われていた気もするが、まあ、工事状況等チェックするにもこちらでやってた方が手っ取り早いというのはある。
打合せ内容は今回も実際に住んでみての問題点報告と未済・補修・追加工事について、そしてメールでも少しずつやりとりの行われていた光庭について。光庭の件と打合せ記録で追加工事検討事項として取り扱われた1F応接室スピーカーアウトレットの件は別稿でエントリーする。
−谷中M類栖2F和室
−14:00〜17:00
−豊田さん、矢原さん、父、母、私
−光庭想定スケッチ3枚、植物関係参考書5冊、打合せ記録
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初音すまい研究所@打合せ記録より(記録者:矢原)
■
問題について
・浴室でシャワーを使っていると、お湯が急に水に変わってしまう事が時々あるとのお話。
・1F廊下-1 水漏れについて
2Fバルコニー全面に塗膜防水を行う事をご了承いただきました。
表面の素材感が異なってしまう事を確認しました。
・バルコニー物干金物のビスがキチンと止まってないようにみえるとのご指摘を受けました。
■未済・補修箇所について
・9/22(水) 再チェック事項をご確認いただきました。
■追加工事のご要望
・1F応接室スピーカーアウトレットのうち、屏風上をメクラプレートとしたいとのご要望(要検討)。
・トイレ-2 内収納下部の扉に換気用の穴を設けたいとのご要望をいただきました。
■庭についてのご要望
<光庭>
・ブロック塀をかくす方法として、板塀を設ける。
・石垣で土留めをして、奥を少し高くする。
・日陰でも育つ植物で考えていく。
<玄関側>
・自転車をとめるスペースを確保する。
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人が来訪したときに食後のニオイが残っていることを母は嫌う。我が家のキッチンが閉鎖的なのはそうした面への配慮から来ている。しかしこの日、初音すまい研究所との打合せ(※) が午後から我が家の和室であるとなると昼食は外でという話になってしまうのだから、考慮を重ねた間取りもぶっ飛びだ。
で、この日は父+母と言問通り沿いの「谷中 くいものや もへい」へ行った。先日は夜だと高いということで入らなかった(※) が、8月末にオープンしたばかりの店で父+母はすでに1回行ってるらしい。 <非日常をテーマとしながら、居心地のよい空間で沖縄出身の店長が「医食同源」をテーマに炭火焼と沖縄料理でおもてなし!>とのことだが、私が食べた日替りランチ(けんちんうどんと鉄火丼)はデザートのサーターアンダギー以外、沖縄っぽさはなかった。父+母が食べてたお重セットも同様で、沖縄を楽しむなら夜なのかもしれない。
むしろこの店で気を留めるのは店内外のイン・エクステリアだろう。
道路際にはちょうどうちの光庭三角形の尖った方が切られたような形の前庭がある。庭を眺める視点が二方向なので、うちとは柵の配置が違ってくるがサッシを挟んで店内外を跨ぐ縁台があり、サイズ的にも参考になりそうだ。
植栽は龍の髭を河原に見立て、玉砂利の敷かれたところが川、トクサの生えているところが島のように見受けられる。隣地との境界には本物の竹か笹の塀。その手前に高木を数本。やはり視点が異なるとサイズが似ていても構成そのものがまるっきり変わってくる。
店内も掘り炬燵仕様の座席の間に移動可能な板を挟み込んだり、他、衣紋掛けを突き出した壁との隙間に収まるようにしてたりいくつか工夫が見られる。庭の様子は店内から見た場合の方が参考になるかもしれない。サッシにはブラインドが使われ、雪見障子のように半分降りていて、それは非常に良い感じ。うちの場合、ピアノの反響問題があるためカーテンを選んだが、紫外線を避けるためにいつも閉じられてしまいそうなことを考えると足下だけでも見えるブラインドやロールスクリーンが羨ましく思えてしまう。
2004年09月26日 (日)
丸井金猊の屏風や軸の表装でも何かとお世話になってる表具屋 飛高堂の Webサイトリニューアルの件で牛田邸訪問。このサイト、1996年時に作ったまんま(恥ずかしいけど、URL公開)。一部中味は社長がいじっているが、プロバイダ変更時も任せっぱなしでサーバ上のデータが完全に移行出来てなかったりと要メンテナンスというよりはまるごと作り直す必要に迫られている。
しかし、その打合せに行ったつもりが、私と同級生のRちゃん夫婦も夕食に見えて、話はほとんど谷中の家の話と飛高堂でも1Fの中庭を再構築(プロに発注)しようとしているということで庭造りの話題で終わってしまった。後日、飛高堂から完成した庭写真が送られて来ているのでその画像をアップしておこう。ここの中庭は四角いマンションの真ん中が1Fまですっぽり吹き抜けになっていて、1Fがガラスで覆われた中庭となっている。どうせなら工事前の様子も写真に収めておけばよかったが、伺ったときにはもう夕方過ぎていて写真に撮るにはもう暗かった。
2004年09月25日 (土)
昨晩遅くから降り出した小雨で、濡れ縁(※1) が文字通り「濡れた縁側」になりました。
濡れ縁、いつ取り付けられたのか報告受けてなかったんだけど、とりあえず私は昨日サッシ越しに確認し、本日はじめて濡れた縁の上に立ってみた。光庭に降りることを考えるとやはりこの濡れ縁はあった方がいい。
ただ、ピアノの紫外線保護のため、平常はほとんどこのサッシがカーテンで覆われてしまうことを考えると、そんなにはこの濡れ縁に出られる機会もないのかな〜と、、コレ言うとこれまでの「光庭考」が身も蓋もなくなっちゃうんですが(^^;)
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※1)濡れ縁
Yahoo! 不動産 - 不動産用語集 - 濡れ縁 より
濡れ縁【ぬれえん】
住宅の外部に設けられた雨ざらしの縁側のこと。「縁」「雨縁」ともいう。建物の内部にある縁側は長手方向(敷居と平行)に板が張られるが、濡れ縁は縁側と直角方向に板を張ることが多い。これを「切れ目縁」といい、板の木口面が外側から見える。また、板と板の間にすき間をあけた「すの子縁」にしたり、竹を用いた「竹縁」にして、水切れをよくするケースも珍しくない。なお、縁側よりさらに一段低い位置に設けたものは「落ち縁」。
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2004年09月22日 (水)
追記欄にて引用される西澤文隆(※) と小林古径(日本画家)による2つの文は共に<自然>と対峙したときに求められる技巧について触れているので、ここに並置しておきたいと思う。
ジャンルこそ異なれ、ここに共通するのは<現実>というフレームに絶えず意識を働かせる視線である。そのフレームは常に<時制>によって脅かされているゆえ、決して形式として固定することが許されず、すなわちその都度違う解決法(=応用力)が求められる。
光庭において縮景・残山剰水といったレベルでの作庭を考えているわけではないが、ただ自然のままにというのではなく、誇張やデフォルメといった要素も取り込んだ庭づくりを楽しんでみたい。
右上の図版は
小林古径【三宝柑】1939年 絹本彩色・軸 60.0×72.0cm 山種美術館蔵
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『西澤文隆の仕事──2. すまう』(P.59) より
日本における木の扱いは、これとまったく異なる。木は、自然のままの姿で使われる。もちろん庭園においては、ことに日本のように室内との関わり合いをもち、ことに室内の延長として意識される場合において、自然は馴化されていなければならない。したがってある程度の剪定が行われ、自然はより自然らしく、やさしく飼い馴らされる。しかし、これはあくまで自然を人工化するのとはおよそ異なる方向である。木は、ヨーロッパにおけるように幾何学的に配置されることなく、さも自然の植生のあるべき姿のように、三々五々、バランスを取りながら植え込まれる。木は1本独立させて使われることはほとんどない。互いに相寄り、相助け合いながら配置されるだけではなく、木は互いに透けていて枝の下に見通しがあり、奥へ奥へと、さも自然植生の姿であるかのごとく、すなわちエコロジカルな様相に植え込まれる。木には添え木があり、さらに下木や下草があって、自然な雰囲気に近いほど、しっとりとよい庭であるとされる。もちろん、先にのべた通り、庭はあくまで庭であって、自然そのものではない。第一、スケールが庭と自然とでは根本的に異なる。その狭いスケールの中でいかに自然らしい庭をつくり出すかが日本庭園のデザインのポイントであるとすれば、そのスケールに合わせて、自然を不自然さを感じさせずに縮小化する必要を生じる。このようにして、縮景と残山剰水の技法が生まれてくる。
東京国立近代美術館企画展図録『写実の系譜 IV:「絵画」の成熟』(P.16) より
ここにあるこの盆一つにしても、ぢつと見てゐると生きてゐる気がする。叩けば音がするし盆には盆の生命があることがわかるのだ。ところが、それを絵にすると、なかなか音がしない。音のする盆をかくのは大変だ。写実といふものも、そこまで行かなければ本当の写実ではない。
ところで、音のするやうな盆をかくのに、真ツ正面からかいてももちろんいゝが、さうするよりも、そのまゝを写さないで、選であらはしたり、また色をなくしてやる方が、よくあらはれる場合がある。そこにウソも生じてくるし、誇張も必要になつてくるだらう。これも技巧だ。
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2004年09月17日 (金)
光庭の件で私の希望を記したメールに対して、打合せ(9/18)前の段階で豊田さんからレスポンスを戴けた。結論から言うと基本的な判断は二人ともほぼ一致しており、あとは9/18(土) に豊田さんの方で母の希望を聞いてもらってから実際にどんな植物を選んで行くのかという話になっていくことだろう。
とりあえずこのエントリーでは、互いのメールで具体名のあがった植物をネット上で拾った画像で紹介しておきたい。また、両メール必要箇所のみ追記にて転載しておく。
thanks to web site: 素路、薬草園、植物園、ヤサシイエンゲイ、電脳植物園
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私の希望:
基本的には苔が生えてて、少し蒸したような感じがあって、割と緑や苔に囲まれた感じで灯籠が同居しているという感じ。うちの方で持ってきた灯籠は玉砂利敷いてっていうような乾いたイメージはちょっと合わないのではないかと思います。
シダ・リュウノヒゲ、シュウカイドウあたりを三鷹から持ち込んだ石で囲み、その背後にもう少し背の高い樹木がある。三鷹のときはグミの木があって私はそれにすごく愛着がありましたが、残念ながら谷中には持ってきませんでした。
豊田さんからのレス:
m-louis さんの考えに基本的に賛成です。
今回のお庭は、陽当たりが厳しいのでシダ類 苔類が生息に適しています。ただ、湿り気も必要です。
これらの植物はどれも小さいので、陰性に適して比較的大きく育つ、かつ、あまり広がり過ぎて庭が狭く見えない様な・・・そんな都合の良い植物を探し中です。
今の所、案としてヘデラ類(蔦植物)を検討しています。
他の小さい植物には、笹類 ギボウシ類 フキ類 ユキノシタ も良いと思っています。
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2004年09月15日 (水)
9/18(土) に設計者による駄目工事チェックが行われるついでに豊田さんと母の間で光庭についての打合せもするそうである。というわけで、それより前に私個人の光庭に構築したいイメージをまとめておかなければならなくなった。まあ、ここ最近は庭に関する書物や写真を幾つか手に取って色々イメージしてはいたのだが、もともとガーデニング趣味のない(というよりも如何にもガーデニング的なガーデニングが嫌いである)ことから自ずと雑草をどう見せるかとかそんなことの書かれてる本の方ばかりに目が向いてしまう。しかし、あれこれ考えたのち、やはりうちの場合は原点に立ち返って、なるべく三鷹金猊居のときの庭の様子に従うという考え方が一番妥当ではないかというところに落ち着いている。まあ、しかし、それなりに作庭ということを意識するのであるならば近年のよりかは祖父=金猊が生きていた20年前当時の金猊居の庭のイメージを借りる形にした方がよかろう。
ただ、残念ながら祖父は私が9歳時の1979年に亡くなっており、私の中で庭の確かなイメージは当時の写真からしか引き出すことができない。その上、そうしたアルバムは実家にすべて置いてあるので、今、それを引っ張り出して模索するということはできないのだが、取り敢えず母には打合せ時にはアルバムを引っ張り出して検討するようメールで伝えておいた。
金猊居からの持ち込みアイテムには私が記憶しているかぎりでは、
石灯籠、備前壺、瓦、石があり、まず瓦以外はすべてを組み合わせて使うことが前提だ。その意味で三鷹金猊居の庭を参照するのは全く以て間違った選択ではないだろう。
なお、光庭の立地条件は「光庭考」(※) のエントリーでも書いていたように決して庭として良い場所と言えるところにあるわけではない。右の写真(庭を上から撮った)からも伺えるように三角形の三辺が塀と壁に囲まれ、この写真では日が差し込んでいるが、家の北側に面するため、実際のところは日陰の湿りがちな空間であることの方が多いであろう。
ただ、大きなメリットもないわけではない。北西側1.5m弱のブロック塀の向こうにはA見邸の木々が緑生い茂っているのだ。特にうちの敷地にまで葉を伸ばしそうな柿の木は素晴らしく、それは応接室からも悠々見上げられて、そのまま借景にできるといった按配なのだ。それを活かさない手はなく、そうした意味でも私はこの三角コーナーには是が非でも庭を造りたかったのだが、実際真夏日に背後に青々と茂る緑を見て、そうなって本当によかったと思った。
さて、三鷹金猊居に戻るが、金猊居にも後庭とでもいうべき、家の後ろに位置するあまり光の差さない庭が母屋の西側にあった。その庭は縁側を挟んで私の部屋の横にあり、ひなびてはいたが、私自身にとっては愛着のある庭だった。谷中に持ってくることはしなかったのだが、お地蔵さんがあり、グミや杏の木もあって、地面には苔が生えていた。また、手入れがあまりされなくなってからは朽ちてしまったが、鹿威しの音も雨の日にはカーンと鳴り響いていた。
裏寂れた庭ではあったが、私の中では後庭のイメージをベースとして、他に石灯籠は石灯籠があった場所の雰囲気(母屋側中庭のある意味中心的な位置に立っていた)を借用しといった具合に進めていくのがよいのではないかと思う。
最初は玉砂利敷いての枯山水的なことも考えはしたが、掃除の大変さのこともあるし、土に苔がベースでいいんじゃないだろうか。2つあったうちのうちが持ってきた石灯籠がどちらかというと灯籠自体が苔生した感じになってるいるので、なおさら玉砂利とは合わない気がするのだ(ちなみにもう一つの従兄弟の家に行った灯籠は割と輪郭がはっきりとして玉砂利にも合う感じだ)。
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2004年09月10日 (金)
まず光庭の具体的イメージを考えていく前に「光庭」という言葉自体に触れてみたい。
実は私自身「光庭」という用語を豊田さんの書かれた1F平面図を見るまでは知らなかった。いや、読み知った言葉ではあったかもしれないが、朧気ながらイメージできる言葉だったので、厳密な語義を知ろうとしていなかった。
確か打合せの席上では「ひかりにわ」と言って話もしていたので、その読み方に間違いないと思うのだが、広辞苑には出ていない。代わりに「こうてい」で探してみると「後庭」(※1) というのが出て来て、それはうちの庭を表現するのにある意味もっと適した言葉だったりする(笑) だが、その意味は「光庭」の活字が持つイメージとはだいぶ違う。もちろん「こうてい」で調べても「光庭」は出て来ない。
しかし、Google で検索すると「光庭」の検索結果は約333,000件に及び、そうマイナーな言葉とも言えなそうだ。ひとまず建築士の我流な庭づくり講座・気ままな庭というサイトの「自分流に愉しむ気ままな庭づくり、光庭」という記事に光庭のニュアンスを伝える文が出ているので、それを一部引用しておきたい。
「光庭」。ひかりにわ。読んで字のごとく、光の庭。建築で使う言葉です。例えば、五階建てのマンションだとして、建物の外周が全部バルコニーになっていて、建物の中央部にある階段や玄関まわりが暗いときに、吹き抜けをとったりします。その吹き抜けは天空の光をとり入れるためのものですね。そして、その吹き抜けの底が、「光庭」といわれる庭です。
しかし、庭といっても、光庭ではほとんどの場合は植物が植わっているわけではありません。もともと暗い場所ですし、そういう建て方をするくらいですから敷地に余裕があるわけでもありません。草木を植える庭という概念はありません。たいていは、狭い井戸の底のような空間。それでも天空の光の力は絶大で、ひと息つける空間になるわけです。何もないときもありますが、椅子が置いてあったり、ファウンテンがしつらえてあったりします。場合によっては石庭だったりします。
また、集合住宅博物館というサイトの新・集合住宅史という記事の最後の方に「光庭」の起源的なことが書かれているので、その内容については全文引用しておきたい。
■光庭(ライトウェル)...1904年 ゲスナー(ドイツ)
19世紀の産業革命によって、欧米の諸都市に人口が流入し、増築を繰り返し街区がどんどん建て詰まっていく。それにともない中庭の規模もどんどん縮小され、結果として光庭程度の大きさの中庭ができてくる。しかしこれは計画の産物ではない。
計画してつくられた「光庭」は、ドイツの建築家ゲスナーの発明とする。ゲスナーは、オウエル(サクソニー)で生まれ、ドレスデンとベルリンで建築を学んだ理論家であり実践的な建築家である。1897に自分の事務所を構えるまでに、アルフレッド・メッセルらの事務所で修行していた。
彼は、平面計画の理論的な分析をおこない、光庭とそれを囲む部屋の構成の最適解を生み出した。光庭は、小さなホールと玄関をもつ暗い廊下をなくしたばかりでなく、それまで縦に並んでいた居間と寝室の関係を機能的に配列することを可能にしている。
1904年のモンセンシュトラーセ、1905年のニーズアシュトラーセの住棟に「光庭」がみられ、階段室とホールを明るくし、住戸を開放的にしたかを示す優れた例となっている。
以上、多少の脱線要素まで加えたが、上記の引用記事などから類推すると「光庭」とはどちらかという植木があって何があっての庭というよりは、自然光を採り入れるためのスキマ空間と捉えた方が良さそうである。国立国会図書館などがその極端なわかりやすい例になりそうだ。
さて、そうした語義に忠実に従って見たとき、我が家の庭が「光庭」となりうるのかは、実は私自身の中では四季を通して確認してからでないと何とも言い難いところがある。とりあえず私は夏しかまだあの家を経験してない訳だが、少なくとも日差しの角度が高くなる夏においてはあの場所は充分「光庭」だった。
しかし、こうして私が「光庭」という語句に対して妙に慎重な姿勢を見せるのにはちょっとしたワケがある。それはこの家作りの計画が始まった中初期の頃(2002年12月頃)に話は遡るのだが、その頃お願いしていた前任建築家のMH氏とそこの場所に庭を作るか否かで大議論になったのである。そのとき私はそこに是非とも庭がほしいという主張をして、結局、半ば強引に建築家に受け入れてもらうことになったのだが(そのときの議論内容はいずれ書き起こすことになるだろう)、そこに庭スペースを作ること自体がMH氏には大いに心配されたのである。そしてその理由は「光庭」という言葉を使われた豊田さんとはおよそ対極のものであった。
敷地の北側にある上に、一乗寺の4mの境界塀、そして我が家の10mの高さの壁に囲まれた空間に光など差し込むべくもなく、ましてやそれが庭として気持ちいい空間になるはずがない。
MH氏の心配は乱暴に纏めれば確かこんな論旨だったと思う。
ただ、私自身はその場所に光が入らないというのも承知の上で、尚且つ、それでも庭が欲しいと言っていた。それは京都在住時代、町屋にはさほど有名でもないお店でもちょっとしたところに小庭(坪庭)があったりして、それが何とも気持ちを落ち着かせてくれたのだ。中にはまるで光の入って来そうにないジメジメした坪庭もあった。しかし、それはそれでまた別の味わいがあるというか、むしろそれを効果的に見せる演出のなされた場所などいくらでもあった。だから私は仮にそこが悲観すべき場所であったとしても、小庭スペースが欲しかったのである。
とはいえ、さすがに私にとってもそのスペースは「坪庭」というのがせいぜいであり、あるいはさきほど広辞苑で出て来た「後庭」ってあたりが妥当な消極スペースとしての認識だった。ところが豊田さんの図面には「光庭」というポジティヴな言葉が用いられ、ビックリ&慎重にならざるを得なかったのである。まあ、豊田さんの計画になって建物の一部が高さ10m→4mとなり、以前よりは光が入り込みやすくなったという実情も「光庭」という言葉の選択に加味しているのかもしれないが。。いずれにせよ今度の上京時になぜに豊田さんが「光庭」という言葉を使ったのかは聞いておこうと思う。
□◇
※1)後庭(こうてい)
【広辞苑】(1) 家の後ろの庭。(2) 奥向きの宮殿
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2004年09月07日 (火)
予定では8/31(火) の打合せ時に話し合うことになっていた光庭についてであるが、打合せ自体が延期となってしまったため、約1ヶ月、話は持ち越しとなってしまった。
ただ、母が植栽の時期についての心配を口にしており、それに関しては豊田さんにメールで問い合わせたところ、以下のような返事が返ってきたので一部転載しておきたい。
植栽の件ですが、植付け/植え替えのことだけ申しますと、植物の種類によっても違ってきますが、夏場の暑いシーズンの植付けはあまりしません。むしろ春前か秋から冬前にかけてがその時期となります。
大まかな考え方ですが、花を咲かせる時期はエネルギーをそちらに取られるのでその前までに植付け/植え替えする。夏は温度調節の為、葉から多くの水分を蒸散させるので根を傷めたく無いので植え替えは好ましく無いというふうに学んでいます。
ですからこれからが植栽はオンシーズンになると考えています。
というわけで、9月末でも心配はなさそうだが、計画は早め早めにしておいた方がいいということで、私の上京前に一度、母と話し合う場を考えておいてくれるとのこと。
私自身の光庭に対するイメージは打合せ前にもここで何度かエントリーしてみようと思います。
2004年07月27日 (火)
施主検査の日、特に深く考えもせずに豊田さんと裸足でバルコニーに降りたら、二人ともアッチッチーの飛び跳ね状態。どうやら午前中の日差しだけでも相当強烈にバルコニーの生コンクリートは過熱するらしい。
というわけで豊田さんとは「植物を直に置いてたらイチコロですね」という話になって、取り急ぎ買ってみたのがガーデニング用のウッドデッキパネル5枚。7/25(日) に三鷹のJマート行ったときに今更作ってる暇も探してる暇もないからコレだなということになったのである。本当言うと私はこういうガーデニングテイストなものが好きではないが、既に到着済みの植物の命には換えられないということでやむなしの選択。
しかし、私が三鷹仮住居の植物をほぼ全て谷中に持ち込むという離れ業を演じたため、実際に植木を置いてみるとデッキの上は鉢で一杯となり、ある意味ガーデニングっぽさは全然なくなってしまった(笑)
というか、さすがに窮屈過ぎるので、あと5枚くらいは必要かもしれない。
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