2007年02月22日 (木)

由良タイルハウスと淡路瓦

Yura*CWVF, Sumoto

戦没学徒記念 若人の広場」で記したように、仕事で初上陸した淡路島。残念ながら車窓風景以外にプライベートで撮れた写真は少なかったが、仕事が終わって車に乗り込む直前に唯一撮れた淡路島の家の写真がこれである。場所は洲本市由良の由良大橋の袂。もちろん淡路島の家はみんなこんな感じというわけでは決してない。ただ、さすがにこのタイル&臭突は、、撮らずんば男が廃るという気がして撮ってきた(汗)

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2007年02月03日 (土)

バルコニーの躙り口

Nov 23, 2006 at 13:44 KST

この写真はチャングムテーマパークへ行くのに議政府北部駅から乗ったタクシーの中から撮影したもの。走行中なだけにかなりの無茶撮りではあるが、屋根裏部屋(?) 手前にあるバルコニーの、何とな〜くプリティな様子が気に入って flickr にアップしていた。

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2007年01月08日 (月)

ソウルの□■□□▲□■

Yongsan-gu, Seoul

去年の10月にエントリーした「△▲△▲△△▲▲」とどことなく共通性を感じる。
ソウル市南部を流れる漢江に架かる東湖大橋を渡っているときにバスから撮った写真。
丘の上の乱立状態とでも言えばいいだろうか?(個人的にはこちらの方が好きかな)。

2006年10月24日 (火)

△▲△▲△△▲▲

Oct 24, 2006 at 15:35 JST

ふだんは所在地・時刻情報等をなるべく正確に記すよう心掛けている谷中M類栖であるが、このエントリーでは写真だけでノーコメントってことで(^^;)

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2006年10月19日 (木)

一番高い芸工展ポスター

本日、谷中芸工展2006 の実行委員さんが見え、ひょっとするとうちのバルコニーの外壁に張られたポスターが今芸工展中、一番高いところに張られたポスターじゃないか?とのお話。なるほど、そんなことは全く考えたことがなかったけど、谷中は全体的に低い建物が多いので、その可能性は高いのかもしれない。加えてうちは谷根千でも最も海抜の高い立地にあるので、海抜で考えても一番高いのかもしれない(笑)

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2006年05月19日 (金)

解体跡地隣家の側面

さなえ

よく建物の解体が行われるとその解体跡地に隣接していた家屋の側面が剥き出しに現れて無惨な印象を与えることがある。特に解体側の土地の建物が先にあって、隣接側が後に建てられ、互いに敷地目一杯に建ってる場合など、後に建てる側はさほどその外見を気にしなくてよい性質上、どうしてもなおざりになってしまいがちなものだ。

事実、三鷹金猊居も都市計画道路問題で背後がざっくりえぐられたときには納屋を増改築した部分が道路側に面してしまって、かなり情けない感じになってしまったし、現在の谷中の家も南西側のK山邸との境界壁面に排水管や雨樋等が集中し、決して見栄えの良い見た目とは言えない(今思えばもうちょっと仕掛けを考えるべきだった)。

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2006年03月27日 (月)

橋本遊郭の記憶

旧橋本遊郭

N的画譚の neonさん、ちはろぐのちはるさんと京阪沿線・京都のはずれは八幡市にある橋本を散策した。橋本は元々は遊郭として栄えた小さな宿場町で、私はその所在はおろか地名すらも知らなかったのだが、20年前に橋本を訪れたことが今の作品スタイルの確立へと繋がったという neonさんとの交流をきっかけに知る機会を得たのである。

京都断章*1」「京都断章*2」「京都断章*3」と neonさんが橋本との接点について断続的に書かれているので、まずはそちらを参照されたい。特に「京都断章*2」で紹介される作品は、そのエントリーでもコメントさせていただいたようにそのモチーフである「建物の中に neonさんの絵がある」と感じさせられた必見の大作である。
(橋本から帰られた neonさんは「橋本幻景」というエントリーを新たにされている)

2006年03月11日 (土)

赤穂と日生〜古さ考

最近にわかに温泉&城めぐり趣味を持った妻に付き合って青春18きっぷで赤穂日生に日帰りで行った。赤穂は言うまでもなく赤穂浪士と塩田の有名な城下町で、赤穂城跡と赤穂温泉の宿「潮彩きらら 祥吉」を中心にレンタルサイクル(1日200円)で回った。
個人的に赤穂浪士や忠臣蔵に特に思い入れがないので、感慨を持っての観光は難しい。加えてこの日、天気予報では日中20度近くまで気温が上がるということだったのに、実際は物凄い濃霧で気温がまるで上がらず、春の装いで寒空のもとをチャリで風を切って走らなければならないという、非常に苛酷な一日となってしまった。

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2006年03月07日 (火)

経年変化一人お先に

060307_1335_sanmon.jpg

建物の経年変化は家づくりを終えた者に残されたもう一つの家の楽しみと言えるものだろう。我が家の場合、当座の楽しみは玄関口の壁面一帯に張った杉縁甲板の壁面やパーゴラ用の檜材がどのように変化していくのかということなのだが、今のところ杉縁甲板の方に大きな変化は見られない。冬場はそれなりに日も差し込むが、材が焼けて色白んで(あるいは黒んで)来るまではまだまだ時間が掛かりそうな感じである。防火地域で準不燃材を利用しなければならなかったせいもあるのかもしれない。

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2006年01月21日 (土)

夜中の雪掻き

snowed M-Entrance

朝から降り続いた雪はたぶん21時頃には止んだ。
入浴時に今日は雪見風呂か?と窓を開けたら、もうその時点で止んでいたからそのくらいの時間だったのだと思う。湯冷めしないくらいの時間が経ってから表に出てみると見事に歩道の雪は踏み固められている。これは明日滑るな〜と思い、玄関脇に置いてあった板の端切れで雪掻きをしていると風呂から出たばかりの母が出てきて、一緒に雪掻きを始め出した。こういうときの母は残念ながら何を言っても言うことを聞かない。

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2005年03月09日 (水)

4ヶ月ぶりの対面

去年の11月以来のひさびさ上京。
で、4ヶ月ぶりに我が家を外から見た最初の印象は「ずいぶん茶ばんだな〜」だった。壁を吹付塗装にしてるので、細かな粉塵が付着しやすいというのもあるのだろうが、やはり言問通りの交通量が尋常でないことを物語っているような気がする。壁面のみならず、駐車している車や自転車、さらには玄関ドアの把手上っ面まで見てすぐわかるくらい埃を被って黒ずんでいた。というか、何でこの家の住人はそれらを拭き取らずに平気なのだろうか?という寂しい疑問もあるのだが、さすがに壁面の茶ばみばかりはどうしようもない。むしろ薄汚れたことで壁の色として落ち着いたというくらいに見てしかるべきだろう。

050309_1149_knob.jpgしかし、繰り返しにはなるが、義父が作ってくれた把手くらいは自分たちだけでなく、お客さんも手で触れるところなのだから、もう少しキレイにしててもらいたいよな〜と思ってしまう。とまあ、それはおそらくこの後に愚痴エントリーとなるであろう室内にあっても同様というか、それ以上にひどい(というより物凄い)話は出て来てしまうのであるが。。

それと余談ではあるが、自転車が1台増えていた。それについてもたっぷり愚痴は零せるがもうそこまでの話はこのブログではしたくない。ただ一つ、半ば呆れ半ば感心した笑い話として、その1台増えたという自転車は決して新しく買ったものではない。武蔵野市の伯母の家に預けてあったものを現在74歳になる父が3時間掛けて一人で谷中まで漕いで来たそうなのである。

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2004年11月30日 (火)

デザインリニューアル

昨日の予告通り、新しいデザインのブログに更新。
デザインついでにシステム上の細かいところで幾つかカスタマイズを加えてみたが、事実上、ほとんどの作業時間はデザインにではなく、そのカスタマイズ血迷い時間に費やされてしまった。しかし、以前よりかは記事の時系列判断がしやすくなっているはず。その辺の主な改良点は追記にて。

デザインの方は思いっきり露骨だが、実際にファサード壁面に使われた吹付材サンプルを複写して壁紙として使ったり、他の配色も前回のイエローM類栖同様、実際に構想された(今度は実際に建てられた)色を基調に構成した。特にカテゴリーページはそれぞれのカテゴリ毎にそのニュアンスをリプレゼントするようなヘッダ画像を布しているので、何となくページを捲りながら谷中M類栖を訪問してるような気分にでもなってもらえたら此れ幸いである。

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2004年11月29日 (月)

サヨナラ、イエローM類栖

サヨナラ、イエローM類栖

えっと、、「ブログ閉じます」の告知ではありません。

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2004年11月02日 (火)

コオロギのいるファサード

コオロギ光庭についての打合せの時に豊田さんがコオロギが集まってくるような庭にしたいと言われていた。実はその後、庭造りに入る前だというのにすでに光庭でコオロギを見掛けていたのだが、今回はエントランスの杉板張りした板壁で気持ちよさそうに日向ぼっこしているコオロギを発見。
発見時、隣にいた豊田さんにもうここにコオロギいますねと指さすと、
あ、ホントだ! でもこの種は一体何蟋蟀だ?
と首をひねっておられた。

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2004年10月26日 (火)

水道バルブ取付工事

バルブこれまで外部に出ていた工事用水道口を外して、バルブのみにする工事が行われた。母は倉庫内の水道口だと父が洗車時に倉庫床に水を零す心配があるので、工事用水道口も残すことはできないか?と希望したが、外部にあると(それも歩道から手の届くところに)悪戯される可能性もあるので残すことはできないという話だった。工事は午前中一杯で完了。

終わったところを確認すると水道メーター口の横にバルブ口が新設され、水道口はきれいさっぱりなくなっていた。それといつの間にやら「舗装工事終了→隣地段差」(※) のエントリーで個人的に気掛かりと話していた水道排水と下水メンテ用のキャップの出っ張りが新たなキャップに取り替えられて地面に真っ平らになるよう設置され直されていた。

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2004年10月25日 (月)

丸太と杉板のアク

丸太の染み丸太柱下にも染み?(※) で書いていた母の見つけた染みの問題だが、どうやら矢原さんが山本さんから聞いたところによると、材そのものから染み出たアクではないか?とのこと。タイル下のコンクリートから染みていたらまずいがアクならやむを得ない。気になるのであれば応接室室内杉縁甲板塗り残しの処理をするときに一緒にやりますが、、ということだったが、私はこのままで良い気がする。

杉板のアクそれから丸太だけでなく、エントランス部アプローチ壁全面に張った杉板甲板からも同様にアクが出ていて、それは板自体ではなく、板の下の土台のコンクリートに板からアクが流れ出した感じになってしまっている。が、これに関しても特に材を傷めることにはならないので心配はいらないそうだ。要は見た目の問題。気にしていつも洗うのか、それとも放っておくのか。ま、玄関ドアが泥の跳ねで汚れ、さらには埃まみれになっていても差して気にせぬ実家のことだから、放っておかれることになるのだろう。大部分が車で隠れてしまうのもまたそれを助長している。

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2004年10月19日 (火)

舗装工事終了→隣地段差

隣地段差豊田さんから車寄せ部分のコンクリート舗装工事が終わった旨のメール。
ただ、西側隣地とのレベルの取り合いで段差が生じているので、ブロックかレンガを並べる必要があるとのこと。計画ではこの段差は生まれないはずだったが、排水管の深さの問題がありこのレベルで施工したとの報告を受けたらしい。豊田さんの想定と少し違っていたとか。。
また、隣地側も地面のレベルが少し高いので(隣地の土を勝手にさらう訳にはいかない)植栽意匠含めて検討が必要とのこと。

私個人としては隣地境界との段差以上に車の後輪の後ろに2つ突き出た某かのキャップらしきものの方が気になってしまった。

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2004年10月18日 (月)

母メモ: 玄関アプローチ工事

玄関アプローチ工事写真(計10枚)

この玄関前アプローチ部分のタイル張り(厳密には天然石:ボテチーノ)工事で大方、本工事と呼べるものはすべて終了。あとは施主+建築家のDIYによる庭関連の工事を残すのみだ。
母メモ: コンクリート打工事でも書いたが、とにかく引き渡し後の残工事では何かというと天候不順で工事がどんどん先送りになって行った。それがようやく一段落付いたのだから、実家の家族にとっては喜ぶべき話であるに違いない。

なお、タイル張りの工事の様子は追記の母メモを参照してもらえればと思うが、どうも母はボテチーノという石自体が屋内用であることにかなり心配の種を宿しているようだ(豊田さんは問題ないと言われていたが)。早速汚れがついてなかなか落ちないこともそのせいだと言っているし、あと、石の欠けた部分がアプローチの中央に集まってしまったことにも不満を溜めていた。まあ、欠けてる部分には汚れが何かと付きやすいので、意匠的な意味でも尤もな不満なのだが。。

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2004年10月16日 (土)

母メモ: コンクリート打工事

コンクリート打ち工事(計9枚)

10/11(月) の工事以後、天候不順と山本さんの別現場での都合などにより工事が再開されたのは5日後のこの日だった。その間、雨での中止はやむを得ないとしても、晴れた日に今日はやるのかな?と待ってると何もなかったりといった多少連絡不行き届きの面があり、工事職人に何かと気を遣わずにはいられない母、車の移動を考えなければならない父、共にそれなりにストレスを溜め込んでいたようだ。というわけで、私の方で代弁する形で豊田さんにメールで伝え、まあ、その辺の対応模様は母のメモから読み取れるだろう。たぶん13日に何の連絡もなかったのが尾を引いたんだろうね。

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2004年10月12日 (火)

外構工事: 砕石砕き

午前中実家と電話。こちらからは試し忘れていたキッチンシンク錆対策(※) の件(日付遅れでエントリーしたことで思い出したのだ)。実家の方からはその後の工事の進捗状況について聞く。

2ヶ月ぶりの上京(※) の最後でも書いたが、雨天順延が続いてようやく確定した工事日が昨日だったらしい。といっても、その昨日がまた小雨の降る中で、すでにエントランス全面に敷かれている砕石(※) を一旦トラックにあげて少し土を掘り、そしておそらくその砕石をまた地面に戻してさらに細かく砕く作業をして午前中で引き上げて行ったらしい。職人さんは山本さんを含めて4人。そのうちの1人は道路の見張りをしていたとか。。そして予定では本日コンクリートを流す工事に進む手筈だったのがまたしても小雨で延期することを山本さんが伝えに来られたらしい。他、遅くなっている LAN配線工事と屋上コンセントの修理は電気屋さんの都合がなかなか付かず、もう少し遅れるとのこと。

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2004年10月11日 (月)

母メモ: 車寄せ外構工事開始

外構工事開始

母のメモより

天気:小雨
8:45〜11:40 外構工事開始。山本氏ほか工事人4人。自動車を山本氏に預ける。
砂利と土を掘り出し、一旦トラックに上げたあと、新たに砂利を敷き、叩く
玄関ドアに細かいキズ(表側)がついたように思う。

翌日9:50 山本氏来訪。小雨交じりの為、本日の工事は中止。

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2004年09月28日 (火)

夕方、鴉

040928_1716_karasu.jpg

9月下旬17時過ぎ。まだ夕焼け空というほど赤くない。鴉が通り過ぎる。

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2004年09月14日 (火)

タラップ天板の雨溜まり

母からの言付けより。

雨の日の翌日、天気がいいので洗濯物を干していたら、上から大粒の雨が風の向きでドヒャーッと降ってくるので(晴れてるのに)、山本さんに言ったら屋上のタラップの天板(ポリカーボネート)に水が溜まってそこから落下するのでは?と一考してくれそうです(矢原さんの話では傾斜をつけとくべきなのに真っ直ぐ平らに張ったかもとのこと)。

その傾斜修正工事が本日行われたそうです。

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2004年08月16日 (月)

パーゴラ取付完了

メール「Re: 残暑見舞」で矢原さんがお盆直前にエントランス上のパーゴラが取り付けられた旨の報告とその画像を2枚添付してくれた。これでようやく通行人の目が把手に釘付けという状態は回避できるようになったんじゃないかな?

それと階段の手摺りが取り付けられたところで区からの完了済書も交付されたらしく、残すはエントランスのタイル&コンクリート工事と光庭の造園をどうするか?だけになりました。

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2004年08月05日 (木)

パーゴラ支持鉄骨塗装

040805_silver.jpg

先日までの上京で待てるものならパーゴラの取り付け工事が終わるまで待って帰りたかったのだが、本日の時点で終わったのはパーゴラを支持する後から取り付け直した生の鉄骨部分を銀色に塗るという作業までだったらしい。何やら丸く穴の空いてる部分を塗り残してしまったため、2日にわたって塗装作業は行われていたんだとか。。

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2004年07月29日 (木)

車寄せスペースに砕石

040729_macadam.jpg

工事が遅れる最大の要因となってしまったのが、一旦認可の下りていたはずの道路の切り下げ幅の問題が行政側の担当者が変わったか何だかで、再度仕切直しになってしまったことに拠る。アプローチ部分の外構工事は歩道と高さを揃えて作りたいので、どうしても切り下げ工事(実際には工事用に切り下げられているので、切り下げ部分を再び元に戻す作業となるのだが)の後でということになってしまうのだ。

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2004年07月18日 (日)

初めての朝@谷中

040718_morningbed.jpg妻は母のムアツふとんで、私は父のベッド(※) で寝た谷中初日の夜。エアコンが苦手な我々は当然窓という窓を開け放し、風通しを良くして眠ったのだが、一乗寺側窓が足下まで開く母の部屋は想像通り最高の風通しだったが、父の部屋は母の部屋との間の仕切戸を開けていたとしてもいまいち風の抜けが悪く空気が籠もりがちで、妻に較べ私は寝苦しい夜を過ごすことになった(右の写真は一回目の引越が終わった後のものだが手前が母のムアツふとん、奥が父のベッド)。

ただ、明け方、先に目覚めたのは妻。というのもまだカーテンが付いていないため、足下まで窓全開の母の部屋は朝日も見事全開に差し込んでくるのだ。ふと私が目を覚ましたとき、隣のムアツふとんで寝ているはずの妻の姿がなく、びっくりして部屋を出たら脱衣室の引き戸を閉じて光を遮り、床の上で寝ていたのである(笑)

車の騒音の方は、4車線の谷町筋に面したところに住む騒音馴れした我々ゆえか、音が近いという感じはあるものの、寝られなくなるほど気になるというでもなかった。

おそらくこの日、谷中に戻ってくることはないだろうとの予測のもと、引越屋がいつ来てもよい状態にまで全階整理をし、それと各階の写真を幾ばくか撮って、9時前に谷中を出た。もちろん行き先は引越を翌日に控える三鷹仮住居。だが、主に我々の準備作業はトランクルームの方で行われることになるだろう。ちなみにこの日の起床時刻は6時半。ふだんの私の就寝時間。

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2004年07月17日 (土)

把手取付

040717_grip.jpg

阿部建築での引き渡しの際、山本さんと玄関把手(※) の話にもなり、今日中に付いていた方が何かと便利でしょうということで、長田さんの設備説明最中に把手の取付工事をしてもらうことになった。まあ、できれば妻には自分の父親の手による把手がちゃんと付いた状態での家を見せたかったので、ぎりぎりセーフといったところ。助かった。

把手の取付自体は山本さんが直接細工されて、基本的には打合せで決められた通りの取り付け方となった。ドアへの取り付け位置も図面で数字は出されていたものの、念のため、母+妹+妻にも手掛け部分を実際に握ってもらって高さの頃合いを調節。鍵との取り合いを考えるともう数センチ低くてもよかったかもしれないが、掴みやすさ優先でこの位置に確定した。ちなみにこの日は裏からのビスを打ち込んでなかったので下手をすると盗難に遭いかねない状態でもあったのだが、後日その工事も完了。もはや引っ張ろうと何しようとウンともスンとも言わないはずだ。

040717_1817_kattagrip.jpgただ、さすがに10kg の重量はそれなりに重く、また断熱対策でエアパッキンが玄関ドアには組み込まれているため、ドアを引く/押すしてからでないと鍵が掛けられない。それはちょっと使い勝手が悪い気がしている。また、鍵の差込口が今回のは横になっているのだが、どうも縦で馴れてる者からするとそれがちょっと使いにくい感じだ。

把手の梱包を解いたとき、梱包材として使われていたプチプチの痕が把手の表面塗装に残ってしまい、妻がしきりにそれを拭き取ろうとしていたが、それに関しては今後も1年置きくらいに塗装する必要が出てくるので、特に心配はいらないと云う。

この日は母+妹は三鷹の仮住居に戻り、我ら夫婦だけがこの家に初寝泊まりすることになっていて、夜、電気の点いてない1Fでしばしくつろいでいたら、通行人が把手を見つけて何やら話しているらしいことに気づいた。早速「把手の家」が始まっているようだ(笑)

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2004年07月15日 (木)

再々?歩道切り下げ問題

7/11(日) に届いた豊田さんからのメールで、既に了解済みとなっていたはずの敷地前面道路の歩道切り下げの問題が再浮上したことを知る。実はこの問題に関しては豊田さんとの設計プロジェクトが始まる前にもすでに役所および警察双方の了解を得ており、今回の交渉で3度目ということになるのであるが。

で、豊田さんから、こうした問題は業者だけで赴くよりも敷地の所有者であり納税者でもある施主自身が出向いた方が役所の側としてもいい加減な対応ができないだろうということで、山本さん、豊田さんと共に父が交渉の場に立ち会うことになった。まあ、以前も父と私と前任建築家のT氏と3人で乗り込んでいるのだが、今回は引越準備で忙しいこともあり施主側からの参加は父のみ。

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2004年07月13日 (火)

施主検査

初見後初撮影写真
午前10時からの施主検査に合わせ、早朝6時前に大阪自宅を出る。9時ちょっとすぎの東京着だったため、直接初音すまい研究所には向かわず、上野駅で下車して家を見てから事務所には向かうことにした。
3週間ぶりの現場。シートも取れたという話は豊田さん以前に gumoblog :: shinya さんからも聞いていたので、いざ建物が見えてくる交差点に足を踏み出すときには思わず息を呑み込んでしまう。そしていざ視界に捉えたときには何というか頭の中が何も感想を持たないような状態となった。ま、茫然としていたという言い方があるのかもしれないが、どこかそれとも違う。頭はむしろ感想というか批評心(例えば何か似ているものを探したり比較したりといった)を追い求めていたように思うのだが、そういったものを手繰り寄せられないちょっと情けないような状態に自分はあった。
とりあえず数枚デジカメで撮影し、正面の方にまわると阿部さん&山本さんが作業してるのが見えたのでさっそく声を掛ける。なぜかこのときは声を掛けられる人が現れてホッとしていたのだから自身の精神状態はよほど妙ちくりんなことになってたに違いない。別にその状況を誰に見られてるというわけでもなかったのだから。。しかし、そこで阿部さんとようやくここまで辿り着いたことや暑いこと家族のことなど話しているうちにどうにか落ち着きは取り戻し、初音すまい研究所へと向かうことにした。

初音にはすでに両親に妹と家族も到着していて、軽く挨拶を済ませて再び現場へと向かったのだが、その挨拶で豊田さんに現場を見てきたことを話すと「どうでしたか?」と訊ねられてしまい、先述した頭の回転停止状態から立ち直っていたわけではないので、しどろもどろな返答に。確か「相変わらず見る度に大きさの印象が変わりますね。今回はシート分の容積がなくなった分、ちょっと狭く見えたかな〜」といった、おそらく豊田さんが期待していただろうものからはおよそ見当違いな返事をしてしまった。

040713_check.jpg現場での施主検査は前日行われた建築家検査のチェックリストを見ながら屋上から順に豊田さんらの案内で行われたのだが未済工事箇所の方が多い状況(約70項目)だったもんで、前夜、住宅づくりのマニュアル本「How to make your own Home−ここち良い住まいをつくる」を読んで施主検査の心得みたいなもんを確認しておいたのだが、何だかそういう感じの緊張感は全然なく付いて話を聞くだけって感じになってしまった。で、後ろに付いて回ってる間にも幾つかこちらで見つけた染みとか汚れとか、その他いろいろあったけど、それらは矢原さんに伝えてチェックリストに書き加えてもらったもんで、どれがどうだったかさすがに一ヶ月もあとにこの記事を書いてるもんですっかり忘れてしまった。その辺は完全にダメダメな施主ですね(笑) 母は家路に着いてから「本にもちゃんと書いてあるのに何でちゃんとやらないんだ!」と憤懣やるかたないご様子だったが。。それとまあ、豊田さんや工事の職人さんたちが居られる前であれやこれや細かくチェックするってのもやりにくいことでもあり、職人さんのお昼時を利用して我々施主だけで再度見させてもらった(豊田さんたちは一緒)。大きなチェック事項は別エントリーで個々にピックアップしていく。

−谷中M類栖宅
−10:00〜13:00
−豊田さん、矢原さん、父、母、妹、私

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2004年05月26日 (水)

天然石&ピンコロ@ADVAN

前日の打合せで豊田さんから提示された床材を確認するため、母と原宿表参道のアドヴァン(ADVAN)へ行く。1F応接室の床材としてダントー傘下 dee plus 社VENIS/GERMANIA(VNS-401)のタイルで希望を固めて以降、工費的にもなるべく同じ業者のもので揃えた方がいいのだろうと考えて他社製品をそれほど見に行っていなかったので、アドヴァンは久し振り(原宿のは私は初めて)。

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2004年04月22日 (木)

続・玄関ドアの意匠審議

義父からの把手型紙(※) が届いたところで、遅ればせながら4/9(金) にポストした玄関ドアの意匠審議(※) に寄せられた皆様のコメントに対するレスをこちらで書かせていただきます。
とその前に、豊田さんの方からは4/9(金) の晩にすでにスリットを入れたタイプの模型写真も送ってきてもらえてたので、まずはその画像を以下に。

まあ、とりあえず私が前に模型画像をいじって作ったC案画像(※) と較べてもらえばわかると思いますが、スリットが片袖の中央に寄り、幾分上下の丈が短くなっています。横幅は同じ10cm程度ってところかな。この辺は実制作上でもっとも作りやすい寸法を探していくという話でした。豊田さん自身、このC案タイプの模型を作られてからは、この案も結構良いと思われてるようです。

で、皆さんへのレスは豊田さんの言葉を借りながら返信させてください。
まず前室の明るさについては

 明るさについてはイメージをお伝えするのはなかなか難しいですが、昼間の場合外から玄関ホールへ入る人にはかなり暗く感じられると思います。ですからお客様などには照明は付けてあげた方が良いと思います(一般的には)。
 応接から玄関ホールへ入る人にはさほど暗くないと思います。ただし華燈窓からの光は壁面上方を明るくすると思います。また足元は丸窓がありますので問題は無いと思います(通常滞在時間の短い空間ですから眼が慣れるまでの時間が足りないのが、多少ストレスを与えるかもしれません)。お客さんには華燈窓が見えてくるまで、じっくり味わっていただきたい空間なのですが。

といった具合でやっぱり心配しても良い程度には暗いようです。
ただ、入ってくる人と出て行く人では明るさの受け取られ方は異なり、どちらかというと出て行く側(住人)の方を心配していた私としてはその明るさを求めてB案にする必要まではないのかな?とこの意見から思いました。ちなみに2月のいぬさんはご自宅の玄関と比較されながらB案がよいと言ってくださった訳ですが、前室に7畳近くもスペースがあるとは本当に羨ましい限りです。うちは横幅は2.6mあるものの、奥行きは1mちょっとしかありません。おそらくそこを抜けていく感覚というのは全然異なるんじゃないかな〜と思います。ただ、掃除がしやすいってご意見はさすがは住んでられる人ならではのご意見だなと思いました。

また、開放性に関しては全員の方にいろんな角度からコメントいただきましたが、これに関しても豊田さんから意見をもらっています。

 デザインイメージとしては多少暗めの方が、場所が変わったことを強く感じますので(お寺のお堂に入ったり、教会等もそうですが)異界の場所(ギャラリー)としての積極的演出として照明は出来るだけ使わないという考え方もあります。日常的に靴の履き替えは応接に入ってからですから問題は無いと思います。
 演出の方向性は、明るく誰にでも開いた感じにするか/少し暗めで人を選ぶ(緊張感)を持たせ、訪れた人の滞在時間を延ばすか大きく2つの考え方になります。

まずうちの場合、一つ特殊なのが玄関扉がギャラリー用の入口も兼ねるということです。その意味において豊田さんも考え方自体が二通り出てくることを書かれてますが、ここで私の個人的な好みを言うならば暗い方が好きです。それは wtct さんが書かれた「三鷹の家」のイメージ(透きガラスの格子引き戸だった)とは反転するように思われるかもしれませんが、私の中ではその暗さは一致しています。というのも、三鷹金猊居の玄関は東向きで車寄せの軒下部分が広かったせいで、開放的なガラス扉になっていたにもかかわらず、玄関前室は非常に暗かったんですね。もちろんその暗さを靴を奥から出すときなどに不便だと思ったりしたこともなかったわけではないけど、自己習慣としてはその暗い場所をいったん抜けて外出するという行為に苦痛は覚えなかったし、むしろ「異界に出る」という行為の線引きをその暗さが演出してくれていたと大袈裟に見れば考えられるかもしれません。
そうしたある種の象徴的場所を作るという意味では豊田さんも書かれているように「暗さ」がその演出に一役買ってくれるのは間違いないと思います。ただ、昼でも電気を点けなければならないほどの暗さだとちょっとつらいんですね。そうしたところから折衷案としてやはりスリットで光も採り入れたC案が優勢なのかな?って感じです。ちなみにスリットに関して豊田さんは

スリットが入るとかなり違ってきます。天気が良ければ昼間の補助照明は必要ないくらいだと思います。(インテリア重視の場合は、スリットがない方が明解な空間にはなります)・・・色々矛盾したこと書いてすみません。考えると楽しい悩みなのですが、考えの方向性を決めなければなりませんね。

と言われていて、やはりスリットによる採光効果は侮れないようですね。ただ、折衷とは言ったものの、これを読むとスリットによって象徴性自体が幾分損なわれてしまうのでは?という懸念材料もないわけではありません。
その辺、妻なんかはあくまで取っ手そのものの象徴性第一でスリットなしでもいいんじゃ?のA案派です。ysh さんはさらには丸小窓もいらないのでは?と言われてますが、これに関してはまあ、個人的好みの問題と言ってしまえばそれまでですが、前投稿でも書いていたように我々の間では不思議と取っ手と小窓が合うねといったところで話は落ち着いています。

謎の匿名さんの<入り「易さ」では、B>と言われながらも<入り「たい」のは A>というのは、ひょっとすると豊田さんが以下で書かれてるような最近のどこでも明るすぎる風潮に対する反動もあるんじゃないでしょうか?

最近はどこも明るい空間ばかりですね。良い例えではありませんが、古いおうちの窓の小さいお便所だとかお寺のお堂といったところでしょうか。(私は結構暗いお便所好きです。かっこよく言えば陰影礼賛派ですか。)

もちろんどこも彼処も暗いというのでは、不便するばかりか精神的にも身体的にも滅入ってきそうですが、私が全体的に暗く洞窟みたいな自邸を作った白井晟一の建築を好むのも、まず<建築家の建築作品を見る>という行為自体がある種の象徴性を追究する視点になっている(そもそも建築関連本に出てくる写真そのものが象徴的な場ばかり写しますしね)ところによるのかもしれません。実際に彼の自邸で生活したら、暗いの好きだなんて言ってられなくなるのかもしれない(笑)

by m-louis : 05:07 | comments (0) | trackbacks (0)

2004年04月21日 (水)

把手の原寸型紙

総領の義父から玄関ドア把手のおおよその寸法を写した型紙が到着。しかし、これが思ってた以上に大きかった(^^;)

縦MAX90cm×横MAX57.5cm×厚み6.5cm

豊田さんからは当初こちらから差し出したものよりももう少し小さめでお願いします!なんて言われていたので、さて、これを実際に見てもらったらどんな反応になることやら?(実家も含め)
ちなみに私は案外、このくらい大きくてもそれはそれでアリかな?と思ってます。というか、その方がインパクト強そう。「あそこの把手の家」なんて言われたりして(笑)

とりあえずこちらの家の引き戸に型紙を貼り付けてみました。本当は玄関扉に貼り付けて写した方がよかったんだろうけど、扉全体を写せるほどのスペースがないものでして。。

by m-louis : 19:13 | comments (0) | trackbacks (0)

2004年04月09日 (金)

玄関ドアの意匠審議


A案(↑クリック拡大!)

B案(↑クリック拡大!)

C案(↑クリック拡大!)

玄関ドアの取っ手のイメージ(※)が概ね固まったということで、再度豊田さんに模型で玄関スチールドアのイメージを何パターンか提示してもらいました。
一応、家族内での見解はまとまってますが、実際のところエントランスイメージが大事なのって案外お客さんだったりして、そういう意味ではパッと見の印象で直感的にどれに入りたい感じか、ちょっと余所様の意見を求めてみたい気もします。
もしここを通り掛かった人で、私ならコレ!ってのがあったら是非是非コメントください。

一応、1Fではギャラリーとピアノ教室を予定していますが、玄関入ってすぐのところに前室があるのでどの案も特にそこから中の様子を覗き込めるという状態ではありません。
もちろん家族内での審議は諸々の文脈を踏まえ固まって行ってる訳ですが、そうしたところは度外視した上の話として、気軽に書き込んでいただけたら幸いです。

家族内での意見交換は追記にて。

by m-louis : 19:00 | comments (6) | trackbacks (0)

2004年02月29日 (日)

現地ノイズ調査2

建方見学後、休憩がてらに先日母と豊田さんで行ったという和菓子の喜久屋に入り、現地ノイズ調査を再び実施。
古い和菓子屋なだけに大したサッシュを使ってるわけではないが、それでも開け閉めすると随分交通音は違う。エンジン吹かす音も確かにうるさいが、ハイスピードで走ってる車のタイヤがシューッと擦れる音が案外気になるものだ。あと、このお店では車が横を通過するたびに巻き起こる風でサッシュがガタンガタン音を立てるのが一番気になってしまった。そういう音はうちでは発生しないと思うんで、問題はないかと思うが。。

豊田さんが来られる前にセブンイレブンでもチェックしたり、向かいのマンションの6階住人にも話を聞いていたので、それらも合わせて報告し、まあ、ひとまず最初は標準の一枚ガラス+サッシュをエアタイト仕様で使うというので大丈夫なんじゃないか?、もしうるさく感じられるようなら後付で取り替えるという方向で話は落ち着いた。

040229_1141_sawanoya.jpg店を出る頃にはちょうどお昼時となっていたので、僕が蕎麦好きなのを知ってる豊田さんから、上棟式の日のお昼にも行く予定になってる「鷹匠」で食べませんか?と誘われ、もちろんOKってことで藍染通りを降りていくと、上棟式の晩に妻と宿泊予定にしている「澤の屋旅館」が出て来た。この旅館は如何にも谷中な話だが、外国人旅行者が好んで泊まる旅館らしく、Webサイトも手作り的ながら日英両対応。宿泊価格はシングル4700円、ツイン8800円と国内宿泊費として考えれば高くはないが、貧乏外国人旅行者からしたら簡単には泊まれない価格。ということは、つまりお客はそれなりにプチブルな人が多いのだろう。本当は日暮里の駅を降りてすぐのところにあるゲルマニウム温湯と謳われたちょっと怪しげな「寿々木旅館」ってところに泊まってみたかったのだが、妻もいるし危ないと母に言われ、豊田さんも推奨される「澤の屋」の方を選んだのである。個人的にはこういう場末の旅館って妙に心浮立つものがあるんだけどね。

040229_1221_nenozu.jpgさてしかし、肝心の「鷹匠」は開店はしていたものの、この日は貸し切り予約が入っていて入店できず。そこで豊田さんも行ったことないけど、近くに割と美味しいと言われてる讃岐饂飩の店「根の津」があるというので入ってみると、なんとそこでKちゃんがバイトしてました。ま、谷中に住んでるのは知ってたけど、まさかこんなところで会うとはね(^^;)

店内では、最近この手の作りの建築が増えてる(俗にいう癒し空間?)といった四方山話。豊田さん曰くこの手のものを作ってるのは大抵自分たち世代(豊田さんは現在42歳)の建築家なんだとか。。純和風というわけではないけど、なんとなく各国テイストを適度に織り交ぜ、光を抑え気味にしたこぢんまりと落ち着く空間を造形する。こうした傾向が顕著になったのは自分たち世代から海外旅行が気軽にできるようになったのが大きな要因じゃないか?(※1)と豊田さんは言われていた。私もこの手の場所はたまに入ると確かに落ち着くんだけど、これが毎日となるとどうなんだろ?とも思う。それはおそらく自分が三鷹金猊居というある種、厳正に日本建築の伝統形式に沿った住居環境で暮らしてきたことと大きく関係するだろう。癒しや緩さよりも落ち着くものが緊張感の方にあるのだ。

by m-louis : 11:41 | comments (0) | trackbacks (1)

建方見学 - 裏手にまわって

敷地の裏側をまわる前にそういえば敷地北西側にお住まいの永松さんご夫婦と会った。
地鎮祭時のご挨拶ではご不在だったので、改めて建築家が変わった旨を話して、豊田さんを紹介。といってもお隣の柏山さんとは親子関係なんで話はすでに行き渡っていた。
永松邸はうちの建物でほとんどが影に入ってしまうものの、好意的に完成を見まもってくれているようだ。ただ、現場付近に昼食後のものと思われるゴミが散らかってることを指摘されてしまい(^^;)、それに関しては豊田さんがしっかり伝えときますとのこと。

040229_1017_tatekata.jpgさて裏側。
柏山邸の横の細い路地を入って、まずは柏山邸と永松邸の間からどのように見えるかを確認。
続いて、浅見邸の駐車場からも見てみようとしたが、そこからは我々の背の高さでは何も見ることができなかった。
道をしばし奥に入っていくと途中からタラップにかかる屋根の部分だけが見えてくる。その後またしばらく見えなくなって、ぐるっとまわって法蔵院のあたりまで来るとちらっとタラップ屋根が見える。040229_1028_tatekata.jpgしっかり見るには法蔵院の中のお墓のあるところまで行かないとって感じか? しかし、我々がタラップを上り下りしたり、滑車を使って荷物の上げ下げをしてる様子はおそらくそこからは丸見えで、案外お参りしてる人からは何やってるんだ!アレ?と気にならずにはいられなくなってしまう雰囲気かもしれない。そういえば墓場からは母の部屋の上部あたりまでが見えるということは母の部屋からも墓場は見えるということか?(^^;)

040229_1041_tatekata.jpg一乗寺の東側を抜け、今度は言問通り沿いのセブンイレブンやルネ上野桜木のある方へ。
こちらからの見え具合は実質正面よりもこの角度から見た面がファサードと言いたくなるくらい全体像がよく見える。正面は言問通りが狭くて引いて見るというほどの距離が取れないし、言問通りの谷中六丁目交差点が若干折れているので、東からの視界が大きく開けているのだ。それは言い換えれば、うちの2階バルコニーや3階両親の部屋からの見晴らしが良いということを示してくれる。
しかし、こちらから見ても何よりも目立つのはタラップだ。本当にタラップで何かやってるとどこからも丸見えだと思って間違いない。とはいえ、このタラップのおかげで間違いなくファサードが無理なく表情を持ってくれたし、第一、豊田案以前の一乗寺の壁と平行して2、3階まで立ち上がる案になっていたとしたら、相当に重苦しい印象を与えてしまっただろう。豊田案の大胆さもさることながら、案外それをあっさり受け容れた我が家の判断力もこの件に関してのみはあながち捨てたもんじゃないなと思う。

まだ完全に確定していないサッシュの色の取り合いについても話し合う。
お寺側にシャイングレーのサッシュとその色に近い感じのガルバリウムの波板鋼板を組み合わせることは確定しているが、果たして正面を黒のサッシュにしてよいものなのかどうか? まずお寺側と正面でサッシュの色が違ってしまうことを豊田さんは気にしておられ、私はその場では言わなかったが黒サッシュとALCパネルの白吹付が武家屋敷のような雰囲気になってしまいはしないか?という心配が多少はある。無難なのはすべてをシャイングレーのサッシュにしてしまうことだろうが、その場合、シャイングレーが遠くから見て光に当たったときにどう見えるかが問題だ。シルバー系のように白く飛んでしまうと、最近小ざっぱり系若手建築家の間でありがちな如何にもな建築で終わってしまう。もちろん古き良き近代建築には白壁+黒サッシュの取り合わせは多く見られるが、今回の場合の黒の利用は若干挑戦といった意味合いが強くなるんじゃないか?(外したときが悲惨)と思う。

by m-louis : 10:17 | comments (0) | trackbacks (0)

建方見学

夜行バスは予定通り新宿朝6時着。ひとまず歌舞伎町向かいのラーメン屋で腹拵えして、山手線をぐるっと外回りで今回初めて鶯谷下車で敷地まで歩いてみた。で、南口側から出てしまったんだが、どうやら北口の方が多少は近かったようだ。しかし、どっちにしたところで鶯谷で降りるなら、上野か日暮里から行った方がいい。直線距離では一番近いはずだが、かなり迂回しないとならないのよね。

040229_0744_tatekata.jpgさて、すでに完了してしまった建方工事。
7:45頃に現地到着したが、やはり今日の工事はもうないようだ。今回バスで行くことにしたのも、工事が早朝から始まるので、前日三鷹に来ておいて翌朝谷中まで出向くよりも、到着した足でそのまま現場に向かった方が効率的且つ確実だと思われたからだ。しかし、その思いつきも虚しく終わってしまった。
ただ、工事中でなかったおかげで写真は撮りたいようにじっくり撮れたとも言える。昨夕、工事中に撮影した母は迷惑がられてる感じがあってなかなか思うように写真が撮れなかったそうだ。とはいえ、前日に来てれば両日にわたって撮ることもできたわけで、やっぱり大いに悔やまれることには変わりない。とまあ、しかし、恨み節もこの辺にしとこう(^^;)

朝7:45の時点では敷地にも鉄骨にも朝日は全く差していなかった。春分までもうわずかだが、ルネ上野桜木(※1)の影に完全に入ってしまっている。雲の多い日だったので、厳密なことは言えないが、初めて陽光が建物全体に差し込んだのは8:40をまわったあたりでだった。確かその頃アランさんが自転車で前を通られ、しばし談笑する。

040229_0857_tatekata.jpg9:00ちょっと前に向かいのマンションの住人が出て来たので、非常階段をあがらせてくれないかお願いすると、前にも一度来られましたよね?とちょうど一年前の1月頃に声を掛けてあがらせてもらった6階の住人の若いお兄さんだった。これから出掛けるときだというのに、わざわざ6階まで付いてきてくれて大感謝!である(ま、心おきなく写真を撮るわけには行かなくなってしまったが)。騒音のことなども聞いてみる。6階なのでちょっと参考にはならないかもしれないが、夜間は交通量もそれほど多くなく、車の騒音で眠れないと感じたことは一度もないとのこと。ただ、今、うちがやってるのがまさにそうだけど、聞き慣れない工事音とかはやっぱりうるさく感じてしまうらしい。交通量の多い昼間は気にすればうるさいと感じるかもしれないけど、気にすること自体がほとんどないと、まあ、それは当たり前と言えば当たり前の話。あと、写真を撮って何かするんですか?と聞かれたので、Web で最近レポート始めた旨、伝えた。URL も教えておくんだったな。というか、名刺でも作ってみてもいいかもしれない。

9:30過ぎに豊田さん登場。前夜、すでに見られてるとのことだったが、明るいところで再確認。
と、ここまでまったく書いてなかったが、私の方からは想像してたよりも遙かに建物の高さが低く(特に1階)、基礎レベルが両隣よりかなり低い設定になってる(※2)ことに気づくまでは、ひょっとして寸法間違っちゃったんじゃないか?と不安になってたってことを話したり、あとは柏山さん側の鉄骨柱の垂直線が微妙に右に傾き気味なんじゃないか?と話したり。
それに対しての豊田さんの返答はおそらく北西側の鉄骨柱とパース上で重なるので、そう錯覚して見えるのでは?とのこと。豊田さんの昨晩見た感想はむしろ思ってた以上に大きいなという印象だったようだ。確かに近寄ってみるとパーゴラの位置も意外に高くて、大きいといえば大きくも見える。これが道路を挟んで見てしまうと両隣との関係から急に丈が低いように見えてしまうわけであるが。。

040229_0921_tatekata.jpg窓位置の重なり具合は、妹の部屋の西側窓とキッチン西側窓がだいぶ被ってしまった感じだ(これは当初のイメージではレベル差を考えてなかったので、重ならないと思っていた)。バスの窓は重ならない訳ではないが、上から見下ろすような感じなんで心配はなさそう。キッチン北側窓もちょうど面一つズレてくれた恰好だ。

豊田さんの気になる点としては、床材基礎として使われる波板鉄板がすでに上に載せられてしまっていて、その荷重で仮止めした鉄骨が微妙にズレるんじゃないかと心配されていた。まあ、搬入がしづらいことからやむを得ない処置なのではあろうが。。

その後、周囲をぐるっとまわって背後からの見え方など話し合ったが、長くなってるので別稿に譲る。

by m-louis : 07:44 | comments (0) | trackbacks (0)

2004年02月03日 (火)

第18回打合せ: ファサードの色調

第18回打合せのところでも書いたようにまず今回の打合せの席で豊田さんからこれまでの黄色ベースの暖かいイメージから白ベースで黒サッシというちょっと緊張感のある色調に建物のイメージをがらりと変えたいという意向があることを伝えられる。

040203_compare.jpg実は豊田案の図面と模型を初めて見せられたとき、まあ、模型がスチレン色で白かったせいもあるかもしれないけど、漠然とこの形なら色のこと深く考えなくても充分イケる!つまり白で持ってってもしっかり個性の発揮できる器になるだろうという安堵感が第一印象としてあった(大袈裟に言えば肩の荷が下りたような気分にさえなったものだ)。
しかし、先月、豊田さんから黄色で塗り絵した図面を見せられたりして、無難に白に落とさないで考えて行くのもそれはそれで面白い考え方だと成り行きを見まもっていた(黄色はキスケの色だから好きだしね)のだが、実際問題、予定している吹付材のサンプル色に満足できそうな黄色系統色が見つからなかったのと、あったとしても一乗寺の隣という立地で暖色系の家が建つと少し場違いにほのぼのしすぎるのではないか?(田園みたいなところにぽつんと佇む家ならいいけれど)と思われるようにもなったらしく、そのときサンプルで取り寄せていたほんのり蒼味掛かった白色(フッコー FMX-101)をベースにする方向に考え直されたらしい。

吹付材の色見本を現場に持って行って、エントランス軒下に張る杉縁甲板やガルバリウム鋼板の色と組み合わせて見ていくと、確かにその白(FMX-101)がスキッとした透明度を持っており、単純に風景に馴染むというよりは、それら3色が微妙な緊張度で干渉し合いながらもふわっと浮き上がる感じでちょっと不可思議な印象を与える。父はサンプルを単体で見ていた当初はそれより少しクリーム色掛かった白(FMX-103)を好んでいたが、組み合わせると FMX-101 の方がよいと豊田さんの考えに賛同。私もほぼ同意見。帰宅後、経緯報告してから判断を仰いだ母も同意見だったが、どうせなら何の説明もなしにどれが好みか聞いてみるんだった。

040203_model.jpg事務所に戻ってからエントランス部のみの 1:10 の模型を見せてもらう。
先の3色に、さらに黒い玄関扉と搬入口のサッシの色が入ってくるとまただいぶ印象が違う。FMX-101 の色味が単純に白とは言い難い色をしているので、スチレン色と組み合わさった黒色では逆にイメージが捉えにくい。それとパーゴラの檜も紙でできてるので、これが木の色だったらばまただいぶ印象も違っただろう。

それから玄関ドアをこの模型のように重たく黒でどっしりさせた場合、取っ手部分は考えようによってはデザイナーに発注するような、すこし変わったものを持ってきて、アクセントを持たせてもいいのではないか?とのこと。まあ、確かに黒でずっしりだけだとちょっと人を寄せ付けない入口になってしまうかもしれない。しかし、こういう話の流れになってくると途端に「じゃ、取っ手だけDIYしたいです!」というセリフが喉元から出掛かってしまう。何とか自制したが、もしそれが木でもOKなら、総領の義父と作りたいものだ。

豊田さんとしては1920年代の近代建築的イメージになってきてしまったかも?と、具体例としてル・コルビュジエのシュタイン邸を挙げておられた。

第18回打合せ: 白い家

040203_planbw.jpg工事が本格始動してからは毎週火曜に行われている定例会に併せ、打合せも月1ペースで火曜に行うこととなったのだが、先月末あたりから母が声帯炎を患い、当初予定の1/27(火)から1週遅らせても快復しなかったのでこの日に行うこととなった。

主な打合せ内容は工事状況の説明(※1)、今後のスケジュール(※2)、検案・検討事項の確認(※3)、母からの質問(※4)といったところだが、大きな変化としては先月提示されたファサードの色彩イメージががらりと変わったということが第一にあげられる。

黄色ベースだったのが、白ベースに黒サッシという具合に豊田さんの考え方は移行してました。
取り寄せた吹付サンプルを見せてもらったり、現場にサンプルを持ち込んでエントランス軒下に張る杉縁甲板やガルバリウム鋼板の色とも組み合わせて考えてみたり。ファサードの色彩イメージについては別稿にて。

また、近所にアトリエを構える日本画家のアラン・ウェストさん宅を訪問し、照明についてのアドバイスをいろいろ伺ったけど、それに関しても別稿にて。

−初音すまい研究所、現場、アランさんのアトリエ
−14:00〜20:00
−山本さん、豊田さん、矢原さん、父、私(+ゲスト:アランさん)
−契約書、意匠・設備図面、構造図面(以上、綴じ本)、管理報告ファイル、工事工程計画表、打合せ記録
=トイレットペーパーホルダー、タオルかけ、MO

2004年01月09日 (金)

臨時会談: 黄色い家

地鎮祭から一月以上空いてることと、前回打合せに私が出席できなかったことから、本格工事がスタートする前日、豊田さんと個人的にお話しする機会を持たせてもらった。
しかし、臨時会談とはいえ、内容的にはかなり濃いものだったといえるかもしれない。まあ、二人が私の家族の存在に気を取られず建築のことをあれこれ話せたせいもあったが、この席で初めて建物の色調が提示されたことが何よりも大きいだろう。

040109_yellow.jpg豊田さんとしては生き抜き半分、色鉛筆を使ってお絵描きしてみました〜というような言い方をされていたが、ズバリ黄色で来た!というのは意外であると同時に、豊田さんならばあり得ない話でもないなという感じではあった。黄色い家という考え方は家作りが始まって、まだ豊田さんと出会う以前に計画されていた貫通案(※1)というプランのときに私と妻の間だけでイメージされていたことである。我々夫婦は殊の外、黄色という色に執着が強い(※2)のだが、だからと言って即座に好みの色を外観色に使いたいと言い出すほど建築をナメてはいない(笑) しかし、その貫通案においてはそのプランのヴィジョンと結びつく要素が黄色にあった。それは至って個人的動機によるものだが、私が初めて公に出した作品(※3)が全面黄色で覆われた箱型の作品で、箱の中央には思いっきり貫通孔が空いていたのである。だからそのプランを見るまで黄色い家ということは考えもしなかったが、ふと自分の作品との呼応ぶりから黄色い家も悪くないと思うようになり、そのことを妻に告げると、当時谷中の家作りに私が関わること自体がストレスとなっていた妻にも急に明るい兆しのようなものが見え始めてきて、それはそれで希望を与えてくれる色となっていたのである。もっともその色のことは当時の建築家たちに伝える前にそのプラン自体が頓挫してしまったが。。

その後、黄色い家のことはプランが変わって全く考えなくなっていたが、ここに来ての復活には何とも不思議な因縁みたいなものを感じさせられた。それと豊田さんならばあり得ない話でもないと感じたのは、あの立地条件に加え、何となく和風仕立てになってきているファサードにあって、黄色を使うというのは相当な挑戦心がないとできないことだと思ったからである。それは、これまでの取り組みの最中に幾度か豊田さんのその風貌からはちょっと想像できないようなマッチョ的(=良い意味で地中海のヒト的)とでも言うべき大胆なデザイン手腕を見せられてきているので、こうした挑戦も納得というか、任せてみたい気分になったのである。もちろん両親にでもわかりやすい説明をしてくれることや事業に対する誠実な対応にも信頼を置いているが、私が豊田さんという建築家と接して一番魅力を感じているのはこのパッと見の穏やかさに隠れた豪傑なところなのかもしれない。そういえば、ジュゼッペ・テラーニ(※4)が好きだって言ってたもんな(笑)

この日、豊田さんとは少しこれまでの経緯を振り返りながら互いの労をねぎらった。この計画の最大のミソは諸々要素を思い切り切り捨てたことによって出て来た2階のバルコニースペースにある。バルコニーに出て一乗寺やA見邸の緑を背に感じながら自分の家を見上げるとタラップの先には大きな空が広がっている。その空はこの上なく贅沢な我が家の一部として感じられるにちがいない。そんな話をしていたら、思わず涙腺が弛みそうになってしまったが、豊田さんも心なしか涙目になってたのは気のせいか?

−初音すまい研究所
−15:00〜18:30
−豊田さん、矢原さん、私
−ファサードのイメージ図、工事工程計画表、打合せ記録

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