2007年03月07日 (水)

曙ハウス間取り図の下図

文京ふるさと歴史館で現在展示中の neonさんの描かれた曙ハウスの間取り図については、N的画譚「曙ハウス 間取り図を描く」にその制作経緯が詳しくまとめられているが、拙ブログではその制作前段階の下図作成がどのような手順で行われたか(ある意味どういう情報を書き落とし書き損ねてるかに重点を置いて)触れておくことにしたい。

まず差し当たって行ったのが、曙ハウス跡地の実測である。ところが、ここでいきなり思いも寄らぬ数字に直面する。約13×13m。てっきり長屋風と思っていた曙ハウスの敷地が、実はほとんど正方形の形状をしていたのである。奥行きが意外にあるということも更地になったことで知ったことだが、まさか正面の幅と同じだけの奥行きがあるとは思わなかった。現在のコインパーキングになっている跡地は、敷地の奥が冒頭の写真のように3mほど仮囲いされて奥行きを奪われた状態にあり、それがまた敷地が平たいという印象を与えてもいたのだろう。

しかしながら、この敷地が正方形であるという前提は案外私を苦しめた。というのも、私の脳裏には私が今回この下図(以後「下図M」と表記)を書く前にすでに neonさんの書かれていた手書き図面(「曙ハウス†スウハ曙」収録・以後「原図N」と表記)があって、その横広がりの長方形に収められた間取り感覚(間隔)は至って妥当な感じであり、なかなかその先入観から抜け出すことができなかったからである。というのも、正方形の敷地をベースに間取りを決めていくと、1階手前の各室が「原図N」からは想像し難いほどに細長くなってしまうのだ。

最終的にはハウス内部を見られている masaさんの「手前側の各部屋は鰻の寝床級に細長かった」という言葉によって、どうにかその正方形の敷地に合わせた図面を書き上げることができたが、少なくともお借りした写真を見ているだけではそれを細長い部屋のイメージに結びつけることはできなかっただろう。これは現在展示中の neonさんの間取り図を見ていただくしかないが、ハウス1階手前側の各室の細長い部屋割りはそのような迷いの末に構成されている。

それとこれはだいぶ後になって masaさんから出てきた話なので、展示中の間取り図にも反映されていないかもしれないが、図面上1階右端手前の細長い部屋(すぐ上の写真の緑トタンの部屋)は、部屋を前後に分断する仕切りがあったようだ。今にして思えば、なぜハウスの路地側手前(路地側から見たら左端)のところに外に出入りできるドアがあったのかも、その証言によって理解可能である(むしろそれは細長い部屋割りだったからこそ、その仕切りが可能になったともいえる)。そして、そうすると部屋数は一時1・2階各7部屋の14部屋ということで決着が付いていたが、この事実を踏まえると1階8部屋、2階7部屋の計15部屋だったということになるのだろう。

「原図N」では neonさんが記憶される限りの窓位置が記されていたが、「下図M」ではその表記はしないことにした。というのも、さすがに masaさんも全室の写真を撮られたわけではなく(モノが散乱して入れない部屋もあったようだ)、つまり masaさんの写真から判断付く限りでしか、窓位置の提示ができなかったからだ。今、このエントリーを書いている時点ではわかってる範囲内だけでも書き記しておくべきであったようにも思えてしまうのだが、「下図M」作成段階では、最終的には neonさんの描かれる「間取り図」という作品的なものになるため、わざわざ「この部分に窓があったかは不明」といったような補註を描き込ませるのも鬱陶しいように思えたのである。

また、私自身、図面を専門に書く仕事をしているわけでもないので、私の「下図M」はCAD系の製図ソフトではなく、グラフィック系の Illustrator で書いていた。そして、neonさんがそれをトレースして、「間取り図」作品に仕上げられるということを想定し、2本線の必要となる壁厚は書き込まずに、単に線の太さによってのみ、壁厚がイメージできるような描写にしていた(実際、壁厚の寸法自体わからなかったし)。

寸法は基本的に半間=90cmという単位で捉えていくことにした。江戸間か京間か団地間かという問題もあるが、そこはもう厳密に追いようがないので、単純に計算のしやすさを優先してしまった。2階右奥の部屋がたぶん四畳半だったという情報を基に、ひとまず270×270cmの正方形を配置し、そこから横軸のスペース配分を考えていく。
また中央を左右に走る廊下幅は、床に敷かれた割板の幅を1枚30cm×7=210cm と想定(つまりかなり幅広の廊下だった)、そこから三和土+押入スペースを90cmと大目に見積もって引き算し、縦軸の間隔に見当を付けた。ただ、そこで割り出されたのが奥行き5m近くになる鰻の寝床型1階手前の各室だったので、しばらくの間、迷わせられることになってしまったのであった。

階段は24cm13段で当たりを付けてしまったが、これは寸法から来るイメージ優先採択なのであまり段数は数えないでおいてほしい。家づくり、行ったり来たり「階段の段数」では、13段という段数は縁起がよくないということが書かれていて、まあ、特にその根拠はないようなのだが、昔の建物なだけにそうしたものを気にしている可能性がないことはないかもしれない。というか、図面に書き起こすことをもっと早くに考えていたならば、masaさんに階段の段数と幅を計っておいてもらえばよかったのである。それがわかれば平面は元より、その高さも推定がしやすくなったというものである。

他、もう一つ迷わさせられたのが、共同便所のあった奥廊下側の間取りであった。これが現在の建物であるならば、トイレというのは割と規格サイズから諸々想定しやすくなるのだが、如何せん昔のトイレなだけにどう解釈してよいのかわからない。さらに和式便器だとばかり思っていたら、取り替え型の洋式便器に替えられていて、masaさんも「曙ハウスらしくない!(^^;」と写真を撮られていなかったのである。それはそれで、ちょっと面白いエピソードなのでここに書き記しておきたい(笑)

ともあれ、この「下図M」は masaさんの写真と、masaさんを始めとする何人かの方の記憶を合わせなければ、到底書き上げられるものではなかった。ハウス左手の手前側1・2階の物干し台と増築部分の複雑に入り組んだ位置関係も masaさんの写真を幾つかの角度から検証することによってどうにか書き落とせたものである。ただ、さきほどもちょこっと触れたように、私は製図を専門にしているわけではない、只の施主(それも、つい自分で図面を引いちゃいました系のダメ施主)なので、文京ふるさと歴史館で展示中の間取り図は、あくまで曙ハウスの雰囲気や味わいを感じ、愉しむものとして、そして何よりも neonさんの一つの作品として、ご覧いただければ幸いである。

設計図、平面図といった言葉を使わずに「間取り図」という現代建築家たちからしたら少々野暮ったい言葉の表記にこだわったのも、その厳密性が担保できないことに因る。
尚、私が作成した「下図M」は、文京ふるさと歴史館での展示終了後、気が向けばこのブログで公開するかもしれない。

【写真上】2007.01.12 13:31, 東京都台東区根津・曙ハウス跡地
【写真中】2006.01.22 13:24, 東京都台東区根津・解体を1週間前に控えた曙ハウス
本文中「1階右端手前の細長い部屋」の分断された手前側のスペースを外(正面)から写したもの。右手側面側に庇が見え、その下に外に直接出入り可能なドアがあった。
【写真下】2006.01.22 13:26, 同上・曙ハウスの正面から見て左側スペース
【註】テキストリンクは一部「Kai-Wai 散策」の写真にダイレクトでリンクしている

by m-louis : 2007.03.07 13:31
comment

実を言いますと、最初は、寸法などはほとんど無視したイラスト見取り図…のようなものを描くもの、と考えていました。が、m-louisさんとやり取りするうちに「え、この人は寸法も出そうとしてるんだ!」ということが分かり、それから僕も気合いを入れ直した…という感じでした。ネットで交信しながらの作図、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

by masa : 2007.03.08 12:44

>masaさん
(笑)
いや〜、実は私の場合、どこかしらの寸法が確定してないと全体との関係性が掴めないという融通の利かない頭の持ち主なんですよ。なので、厳密に図面を再現しようとしたというわけではなく、一つのものさしとして寸法=単位を利用したって感じですね。
ただ、こういう見たことない空間を写真だけから起こしていくという作業は初めてでしたが、やりとりの最中にいろいろ発見があって面白かったです。やはり具体的に事物に当たると忘れられていたものが不意に出てきたりしますね。

by m-louis : 2007.03.08 14:20

m-louisさん
どうも本当に色々お疲れ様でした。m-louisさんの下図のおかげで、私は大変楽をさせていただいたようなものです。ありがとうございました。改めてこのエントリーを読んで、色々なご苦心があったのを思います。それにお応えできたか少し心配になってきました。。。
展示のほうは後半を過ぎてしまいましたが、最後のしんがりにm-louisさんのおいでをお待ちしております。

by neon : 2007.03.08 16:23

>neonさん
こうして書き出すと苦労したようにも見えますが、実際に掛かった時間的労力としては neonさんの数分の一にも及ばないと思います。ある意味、辻褄合わせのパズルをやってるような感覚でしたね。
で、neonさんは謙遜されてますが、私は図面で「魅せられる」ことを期待して、足を運びたいと思ってます。何しろ CADソフトの流通によって、図面で「魅せられる」ことのすっかりなくなってしまったご時世ですので。。

by m-louis : 2007.03.08 20:35

図面で「魅せられる」に、なるほどと思いました。
そういえば、昨年、天六の「すまいのミュージアム」でおこなわれたDOCOMOMO建築100点という企画展で、心斎橋大丸、ポートタワー、朝日ビルディングなど近代建築の図面(ほとんどが手描き)がたくさん展示されていて、読めないながらもそれ自体に大いにひきこまれたことを思い出しました。あと、どういう経緯で入手されていたのかわかりませんが、三信ビルの保存プロジェクトチームによる写真展でも設計図が出ていてとてもおもしろかったです。

ところでneonさんのブログに書かれてあった、「すまいろん」春号に掲載のm-louisさんのレポートも気になります(^^)このブログで公開予定は?

by のりみ : 2007.03.09 14:08

一番上の写真が跡地なのでしょうか。街の一画が駐車場というのは(便利でしょうが)残念ですね。

作図の苦労、よくわかります。私も写真だけでよく図面をおこしております。
「ビデオ撮って来い!」って思いますよ。

m-louisさんのレポートって何ですか?

by ちはる : 2007.03.09 17:45

こんばんは。

先日「まちかどの近代建築写真展」設営後の町歩きでご一緒させて頂いた”ひろ009”です。
銭湯に入り、打ち上げでは隣に座って色々とお話もさせて頂き、大変楽しかったです。あちこちへの寄り道も面白かったですね。
またお会いする機会があると思いますので、今後ともよろしくお願い致します。

※コメント欄をお借りしてスミマセンでした。

by ひろ009 : 2007.03.09 23:29

>のりみさん

私が学生時代はまだ手書き図面で、ドラフターと平行定規を使ってたんですけどね。

その頃は字がうまいか下手かでも随分と図面のイメージが変わったものです。ただ、学生レベルの場合、図面がうまく書けるからと言って、必ずしも内容も面白いというわけでもなかったですね。とはいえ、DOCOMOMO で展示されるような手書き図面は、おそらくどれもこれも魅せられるものだったのではないかと思います。

>ちはるさん

駐車場は、しかし、まあ、一時しのぎの金儲けとしては、やむなしなんだろうと思います。ちなみに向かいの長屋も同時期に解体されたんですが、そちらはもう今風の建売り的な家が建ち並んでいて、駐車場とどっちがいいかというと微妙ですね。

しかし、写真担当 masaさんは外せないので、もう一人ビデオ担当の人が今にして思えば欲しかったです。

>ひろ009さん

実はぷにょさんのところでお見受けし、おそらくそうだろうとは思いつつ、人違いしても・・と「ひろの東本西走!?」(前からたまに見ておりました)でコメントするのは差し控えておりました。あの日は私も楽しかったです。というか、初対面でいきなり裸の付き合いですからね(笑) 今後ともどうぞよろしくお願いします。

※すまいろん

住宅総合研究財団が発行している機関誌です。

http://www.jusoken.or.jp/

曙ハウスと、そのまわりで起きていたことについてちょこっと書きました。

ブログでの公開は販売物である以上、できないものと思われます。

※ブログのコメントについて

年度末仕事に追われて、コメントに応対する余裕がなくなってきているので、

しばらくの間、全エントリーのコメント機能を停止します。

by m-louis : 2007.03.10 01:30









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