2006年12月31日 (日)
アクセス検索ワード2006.12
先月も書いたが、トップランクインの検索ワードはちょっと勘弁して欲しい。試しにググってみても最初の数ページで出て来ないのだから、よほどその言葉自体がよく検索されているということだろう。ドラマ「結婚できない男」は年末再放送されてるので、再び盛り返してるのか? 結構見てしまっている。
ところで最近、このブログでコメントができないというメールを度々いただく。どうもサーバがおかしいのか何なのか、コメントができるときとできないときがあるようで、エラーが出てしまった場合はお手数ですが、ブラウザの「戻る」ボタンで戻って、再度[POST COMMENT]ボタンを押してみてください。
2006年12月26日 (火)
シェルター大阪舘
先月末、韓国旅行に行ったのだが(それについては妻が LBGO「久々の韓国・一日目」「久々の韓国・二日目(その1)」で連載エントリー中)、関空へ向かう南海空港線の電車の中、おそらくは貝塚駅を過ぎたあたりで見えてきたのが上の写真の光景だった。
2006年12月25日 (月)
メリーヒマラヤスギ?
クリスマスツリーというと、=モミの木だと思っていたけど、Wikipedia「クリスマスツリー」を読むと「常緑の針葉樹(主に幼木)が使われ、ヨーロッパではドイツトウヒだが、日本ではモミが主で」とあり、クリスマスの本場ではモミの木が一般的ではないということを今初めて知った。ついでなので「ドイツトウヒ」という耳慣れぬ木も調べてみるとマツ科トウヒ(唐檜)属の針葉樹で「樹形や葉の付き方はモミ属と非常によく似るが、樹皮は茶色で鱗状に割け、(中略)モミ属と異なっている」とあり、要はモミの木がドイツトウヒとパッと見で似ていたから日本ではモミの木がクリスマスツリーに使われるようになったんだろうな〜ということが伺える(但し別説もある模様)。
2006年12月24日 (日)
2f/居間/床の間
前エントリーでは mitsubakoさんのブログから「日本人の居住空間から床の間が消えていったのも、おもしろさが失せたからだろう」というアランさんの言葉を引用した。このエントリーではもう少しその床の間について、うちを実例にして考えてみたい。
まずうちの場合、前任建築家との計画初期段階から、すでに床の間は図面上に書き記されている。これにはおそらく三鷹金猊居から持ち込んだ行器(ほかい)・鏡等の古道具を置くスペースとして床の間を活用するのが妥当だという判断が、三鷹金猊居時代の住まい方に倣って我々(施主側)のうちにあったものと思われる。そして床の間の導入はその後、特に大きな疑問を持たれることもなくそのまま採用されることになった。
2006年12月19日 (火)
アトリエ アラン ウエスト: 谷中の床の間
アランさんのアトリエにはこのブログでもお馴染みの mitsubakoさん、flickr 仲間でこの日が初対面だった(といってもまるでそんな気しなかったけど) ya maさん、そして幼馴染みのRちゃんと行った。なぜこの3人と一緒に行くことになったかというと、以前にエントリーした「山門不幸」がその引き金となっている。実はこの前日に長運寺の前を通ったらまだ「山門不幸」の立て札が立っていて、同エントリーを読んでくれてた3人が見たいということで、案内ついでにアランさんのところにも寄ったのだ(ちなみに同エントリーの補記で出てくる「その筋の友人」こそがRちゃんである)。
mitsubakoさんは Abejas e Colmenas「午後の谷中」、ya maさんは posinega「秋の個展めぐり(1)」でそれぞれこの日のことを書かれていて、mitsubakoさんがアランさんのアトリエでのことにも触れられているので、それを一部引用させてもらおう。