さて、しかし、写真展に行くというのは前回行ったのは一体いつだっけ?というくらいの話で(実は美術展も限りなくそれに近い状態にあるが>知人や仕事絡みを除くと)、いずれにせよ展示空間という場所に何とも不慣れな人になってしまっていて、まずその場に自分を慣らすのに少々時間が掛かってしまった。
とはいえ、そこには我が実家・谷中M類栖の1Fピアノ室で、指先を同じ高さで向き合わせるようにピアノに手を掛けた両親がふだん絶対見せないような満面の笑顔で待ち構えているのである。それは館内に入った瞬間わかったが、私はまず顔を背けた。そして何食わぬ顔をしながら落合佐和子作品、澤田知子作品、蔵真墨作品、藤澤卓也作品と見て、ようやく清真美作品と向き合ったのである。しかし、そこまでの間、それまでの作品は見ているようで全く頭に入ってなかった気がする。そして、清作品も朧気に見つめていたところで当の清さん本人がやってきたのである。
そこからだったと思う。ようやく落ち着いて写真を見られるようになったのは‥‥。
そういう意味では結果的に最後に見ることになった長島有里枝作品だけが「作品」として初対面の待遇を受けることとなった。そして、私もそんなに写真に詳しい訳ではないが、今回の作家6名の中では長島さんがおそらく最もビッグネームであろうだけにと言うべきか、「これは作品だ」という認識を持って観ることができた。
その後、清さんからCT氏が後から来るという話を聞いたので、彼を待つ間、もう一度同じ順路(たぶんその順路はキュレーターの考える順路ではない)で回ってみた。その結果、清作品はここでは除外するとして、他に「作品」と思えたのは皇居前広場に訪れた人をモデルとしてひたすら撮影した藤澤卓也作品だった。ここで「作品とは?」の議論をするつもりはないが(ひょっとすると後日それに近いエントリーは flickr と絡ませてするかもしれない)、もし今回の作品群が flickr 上で見られたとしたら、コメントや FAVE を付けたのはおそらく藤澤・清・長島3作品に対してであっただろう。
CT氏が現れて間もなく、思いがけない人物が館内にいることを知らされる。それは私がムサビの学生時代、エアコンの効いた映像学科に編入してしまうまで、夏暑く冬寒い教室で製図板を並べて一緒に建築の勉強をしていたモリ君だった。
卒業して10年もすれば同じ学科の友人ですら数人としか付き合いがないのだから、編入で転出した学科の友人との付き合いまで続けるのはより難しい。ただ、結果的に私は「建築」に先祖返りすることとなるので、今にして思えばもう少しコネを残しておくべきだったとも言える(別の学年ならば後から思わぬ形でコネも出来てきたのだが)。
モリ君はインテリアデザイナーになっていた。もちろん話があれば住宅もやってみたいそうだ。住宅は大変だよ〜と吹き込んではおいたが、機会があれば是非挑戦してもらいたいし、施主相手に困ったときには相談に乗ります。こういう旧友との緩い付き合いに mixi はもってこいのツールなんだが、彼が mixi に入ってるのか聞くの忘れた。
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