1999年夏、大阪に越してきた日の翌日、私たち夫婦(当時はまだ夫婦ではなかった)を最初に驚かせたのが蝉の鳴き声だった。それは引越荷物の段ボールに囲まれ、寝苦しい夜を過ごしての早朝だった。だが、早朝から目を覚ましたのは決してその段ボールによる暑苦しさからではなく、開け放した窓の外から聞こえてきた「シャーシャーシャーシャー」と連続して響くクマゼミの鳴き声によってなのであった。
ただ、当時の私はそれがクマゼミの鳴き声だとはわからず、水道管か何かが破裂して、水が吹き出した音ではないか?と勘違いしていた。東京に生まれ、東京に育った私にとってクマゼミの鳴き声というのは馴染みの薄い音声(88KB)である。東京都心部ではミンミンゼミ、郊外ではアブラゼミが主流を占め、他にツクツクボウシやヒグラシがいる程度で、クマゼミの鳴き声を聴くことはほぼ皆無に等しい。だからあの一斉に激しく始まるシャーシャー音を蝉の鳴き声と気付くのにしばらく時間が掛かってしまった(間近で聴く鳴き声とマンションの室内で聴こえる鳴き声の響きが違うこともそうした判断を鈍らせていた)。
だから今も7月半ばにクマゼミの一斉騒音が始まると、大阪に引っ越してきた日の朝のことを思い出す。おそらくこの記憶はクマゼミの鳴き声をマンション室内から聴く環境にある限り、忘れることはないだろう。それにしても大阪のクマゼミの数はちょっと異常に多すぎるんじゃないだろうか? 子供時分、セミ捕りに耽って北の丸公園などにわざわざ連れて行ってもらってたこともあったが(アブラゼミよりミンミンゼミの方が自分の中での価値が高かったため)、この大阪のクマゼミほどの数の蝉がそこかしこに居たとしたら蝉の価値も大したことなかったろう。それとも東京も同じように増えすぎた状態にあるのだろうか?
2015年の世界を描いた「新世紀エヴァンゲリオン」では新東京市が一年中真夏で蝉が鳴き続けてる世界が描かれていた。現在の社会環境・地球環境を見ていると10年後にそんな状況に絶対にならないという保証はもはやどこにも見当たらないだろう。
蝉の破裂は人が納めて行かなければならないものだろう(無論一掃するのではなく)。
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